4.29.応龍・応錬


 大きく巨大な目玉が、僕を見据える。

 その厳格な顔立ちは見られているだけで体が硬直してしまいそうだった。

 動いていないならまだしも、やはり動き、彼の意志で見られると一気に不安が押し寄せる。

 本当に封印を解いて大丈夫だったのか、と一瞬ではあったが後悔する。


 彼は目を細めたり、大きく見開いたりと忙しなかったが、しばらくして思い出したかのように叫んだ。


『宥漸だとおおおおおお!!?』

「おわああああああああ!!?」

「わああああ!!?」


 その大きな叫び声に、洞窟が振動する。

 地底湖の水面も暴れてバシャバシャと音を立て、一気に静かだった空間が騒がしくなった。

 アマリアズと他の二人も咄嗟に耳を押さえてその叫び声に耐えている。

 だが、ウチカゲとカルナは心なしか嬉しそうに笑っていた。


 なになになになに!?

 急にそんなに叫んだら洞窟壊れそうなんですけどっ!!

 ていうか声でっか!!

 うるっさい!!


 僕の心の叫びが届くはずもなく、目の前にいる龍は大きな腕を持ち上げて陸にドンッと置いた。

 そして首をぐーっと持って来て目玉を僕に近づける。


「おわああああ!!」

『お前宥漸か!? あの宥漸なのか!?』

「そっ、そそそそうですそうです!! 近い近い近い近い!!」


 なにが“あの”なのか分からないけど、とりあえず反射的に返事をしておく。

 この状況で今の言葉を冷静に考えられるだけの時間はない。

 急に巨大な目玉が間近くに迫ってきたのだから、驚かないはずがなかった。


 龍はしばらく僕のことをまじまじと見ていたが、しばらくして納得したかのように息を吐いた。

 それだけでアマリアズが吹き飛ばされそうになっていたけど、僕には向けられていない。

 彼はそのまま、隣にいるウチカゲとカルナへと目線を動かす。


『……ということは……?』

「お久しぶりですね、応錬様」


 軽く頭を下げるウチカゲお爺ちゃんだったけど、どうやら誰だか分かっていないようだ。

 眉を顰めて難しい顔をしている。


『……誰?』

「ウチカゲお爺ちゃんです」

『ウチカゲなのぉ!!?』


 先ほどより声は大きくなかったが、それでも驚きのあまり大地を少しだけ揺らした。

 ずいっと巨大な頭を持って来て、ウチカゲお爺ちゃんに迫る。


『随分歳を取ったな! だが元気そうじゃないか!! 誰だかマジで分からなかったわ!』

「あの、応錬様。申し訳ありませんが、人の姿になっていただけると助かります。声が聞こえませんので」

『え? マジ?』


 あれ、僕は言葉分るんだけどな……。

 なんでだろう……。


 彼は『なるほどな』と呟いてから、頭を引っ込めた。

 次の瞬間、ボンッという音と同時に大量の白い煙が洞窟の中に広がり、一気に視界が遮られてしまう。

 だが焚火をした時のような煙ではなく、濃霧のような煙だったので息が苦しくなるということはない。


 しゅたっという足音が聞こえてきた。

 大量の煙を意味もなく手で払いながら、一人の人物が歩いてくる。


 白く長い髪を後ろで束ねており、白を基調とした和服を着ている。

 美しい羽織には波を模した様な模様が刺繍されており、袴は黒色で脛には防具を付けていた。

 瞳は蛇の様で、黄色い。

 そのせいで少し目つきが悪いような気はするが、先ほどの会話の中で聞いた口調からするに、見た目に反して意外と砕けている人物なのだろう。


 久しぶりに人の姿を取ったからか、肩や首を回しながら近づいてくる。

 四百年も眠っていたので、体は固まっており関節を動かす度にぱきぱきと音が鳴っていた。

 特に首が酷いようで、ぐるりと回すとこちらにまでバキバキッという音が聞こえてくる。


「いてぇ」

「変わりませんな。応錬様のお姿は」

「まー……。俺は不死みたいなもんらしいしな。なんせ龍だし。にしてもだ!」


 パンッと膝を叩いて笑顔を作る。

 そのままウチカゲの側に近づき、その笑顔を一瞬で消し去って真剣な目つきで睨んだ。


「なんで封印を解いた」


 彼は再会の喜びよりも、その問いを優先させた。

 睨みを利かせたまま、腕を組む。

 明らかに不機嫌そうに眉を寄せ、苛立ちを隠すことなく言葉に乗せる。


「俺たちのことは歴史に残っているはずだ。宥漸がいるということは、あれから四百年が経ったくらいか……。今この時代でも、俺たちは悪しき存在だとして広まっているんだろう?」


 ウチカゲは既に、彼がその言葉を口にする事を予想していたかのように、静かに頷いた。

 苛立ちを乗せた言葉をぶつけられても動じていない。

 だがなだめることはせず、肯定する。


「応錬様の仰る通りです。今も尚、貴方様方四名の方々は世界を滅ぼそうとした存在として、恐れられております」

「じゃあ、何で封印を解いた? また……俺たちのせいで戦争が起きるかもしれないというのに」


 応錬は今、少し機嫌が悪かった。

 目覚めたばかりだというのに僕を見てどれだけの時間が経ったかすぐに理解し、昔起きたことを覚えていて、この時代でも同じ認識が続いていると予想した。

 それは見事的中しており、ウチカゲを更に強く睨む。


 今自分がここで活動を再開することに、何の意味もない気がしていたからだ。

 目覚めたというだけで、その事を知った国々はこの事態を深刻化してとらえる筈。

 まだ周知されていないかもしれないが、それは時間の問題だろうと考えていた。


 邪神が目覚めたとなれば、やはり大騒ぎになることは間違いない。

 それを覚悟で封印を解いたのだから、それなりの理由があるとは分かっていたようだ。

 しかし、それが納得するものかはまだ分からない。

 だからこそ、再会を喜ぶ前にこの問いをぶつけたのだ。


 ウチカゲはその視線を意に介すことなく、一言で応錬の封印を解いた理由を説明した。


「天使が、出現いたしました」

「……な、なに?」

「私どもが死力を尽くして戦った、“何か”に与する天使が、動き出したのです」

「……悪魔と鬼でも対処できそうになかったということか」

「はっ」


 嘘は言っていない。

 天使は既に少数の信者、もしくは大多数の味方を付けている可能性が高い。

 技能を持ちゆる彼らは既に脅威であり、同じ技能を持つ悪魔で対処できるかは些か不安が残る。

 鬼も世代交代が続き、技能を持っているのがウチカゲのみとなっていたので、天使たちと戦える術を持つ者は非常に少なかった。


 だが鬼の本質を見出した者であれば、その限りではない、と予測していた。

 現にウチカゲの弟子であるタタレバは、鬼の本質こそ見出していないが天使であるキュリィと戦い、瀕死ではあったが何とか生きている。

 厳しい修行を乗り越えた鬼であれば、本質を見出した際、奴らとほぼ同等の力を保有すると考えていた。

 しかし、数は少ない。


 未知数の敵に鬼と悪魔だけで戦いを挑むのは、勝算が低かった。

 だから、それらに対抗するため……応龍という存在の封印を解いたのだ。


 応錬は難しい表情をしていたが、そこで何かに気付いたらしく振り返る。

 僕と目が合い、次にアマリアズへと視線をやった。

 なんとなく事情を察した応錬は、ウチカゲに向きなおり、嘆息する。


「この二人ね」

「ご明察です」

「あーあー……。天使が動き出したんじゃ……後始末しないといけないし、動くしかないかぁ……」


 頭を掻き、諦めに似た口調でそう呟くと、不機嫌な表情が少しずつ緩んでいき、微笑を浮かべる。

 それを見たウチカゲも、安堵したように小さく息を吐いた。

 珍しく、緊張していたのかもしれない。


 少しの間沈黙が流れたが、頭の中と心の準備を整えるのにはちょうどいい静けさだった。

 覚悟を決めた様に応錬は一つ頷き、腰に手を当てながら、片方の手で手を上げる。


「んじゃ改めまして……。久しぶりだな、ウチカゲ。それと、カルナだな」

「はっ」

「お久しぶりです」

「そんで……」


 今度は僕とアマリアズの方に体を向ける。

 すると、同じ様に手を上げた。


「初めまして。俺は応錬。よろしくな」

「宥漸です」

「あー……アマリアズ……でーす」

「アマリアズっていうのか。意外と長い名前だな」

「う、うるさいな……」


 なんかアマリアズの様子が変だけど……。

 どうしたんだろう。


 まっ!

 なんにせよこれで……応錬さんは一緒に来てくれることになったのかな?

 よかったぁー!!


 次の瞬間、僕は一気に応錬さんに持ち上げられた。


「大きくなったな宥漸よー!!」

「ぎゃあああああ!!」

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