ハミルトン寄宿学校では、朝昼夕三食の食事は寄宿舎に併設された大食堂で供される。高いアーチを描くゴシック様式の天井は、中世の建築美と建造者の技術の高さを今に伝え、十二列ある石のテーブルは、長年の使用の末に磨耗し艶やかな光沢を放っている。

 二月のシェフィールドと言えば、冬真っ盛り、極寒の寒さに包まれるが、六歳から十八歳まで五百人の生徒が一堂に会する食堂は、百本もの薪がくべられる大暖炉からの熱を加えて、熱気に溢れていた。給仕は輪番制で生徒が務める。座る席は特に決まっていない。

 その日は、フランク・トットナムが私の前の座席を占めた。寄宿舎で同室の上、食事の時にまで顔を合わせることもなかろうに、わざわざ私の前の席を選んだようだった。

「そういやな顔をするなよ。狭い学校だ。たまには同じ席にもなるさ」

 そう言われて、私は自分が迷惑そうな顔をしていることに気付いた。

「いや、別にそんな風には思ってないさ」

「ま、いいさ。今日は折り入って君と話したいことがある」

 話なら寄宿舎でいくらでも出来るだろうに、人の耳目の集まる食堂で一体何を話すと言うのか。フランクというのは人間関係の機微には目端の利く男だ。わざわざこの場所を選んで話を切り出すからには、何か目論見があるのだろう。

「例の貴婦人の話さ」

 そら、来た。

「そう構えるなよ。確かにいい話じゃないが、君は知っておくべきだ。いや、君には知る権利がある」

 含みのある言い回しに警戒が募った。このまま話を続けさせるべきだろうか。

 しかし、ことシェリルのこととなると、私は聞かずにいられなかった。

 私が意を決しかねている間に、フランクは話し始めた。

「彼女、さる名門貴族のご令嬢らしいぜ」

 さして驚くことでもない。シェリルはその地位にふさわしい気品と教養を備えている。どこに問題があるというのか。

「スコットランドのシンクレア家と言えば、地元では知らぬ者とてない名門中の名門だ」

「シンクレア?」

 シェリルの姓はフルブライトだ。

「そうさ。君は知っているはずだろう?ははん。どうやら知らなかったと見える」

 私の顔に表れた当惑を見て、フランクは勝ち誇ったように笑った。

「ま、君が知らなかったとしても無理はないがね」

「知らないって、何をだ」

 口調が荒くなるのを、私は抑えることが出来なかった。訳知り顔にシェリルのことを話すフランクの態度が気に食わなかった。

「無知ってのは罪だな。彼女のことなら何でも知っているつもりだったんだろう?」

 フランクは胸を反らせ、私を見下すように言った。

「言いたいことがあるなら、早く言え」

「おお、こわ。相当入れ込んでいるみたいだが、やめた方がいいぜ。彼女、君に本名も明かしていなかったんだろう。ま、無理もない。彼女の家が名門だったのは、過去の話だからな」

「どういう意味だ?」

「シンクレア家はもう存在しない」

「え?」

 シンクレアというのが彼女の本名なのかどうかは分からない。だが、最早フランクの話を聞き捨てにはできない。

「所謂、没落貴族ってやつさ。彼女の父親のシンクレア卿が無類のギャンブル狂いで、賭けで負けた借金のかたに全財産を巻き上げられたそうだ。先祖伝来の土地屋敷を含めてね。それでもまだ莫大な借金が残った。金の切れ目が縁の切れ目ってね。親戚や友人にも見放されたシンクレア卿は酒に溺れて死んじまった。

 悲惨なのは残された家族さ。

 君の付き合ってるあの『貴婦人』な、親父の作った借金のかたに売り飛ばされたらしいぜ。俺の言っている意味、分かるよな?頼る相手も財産もない若い女が売り飛ばされる先と言や、相場が決まってる。可哀そうにさ。十六、七のみそらで、淑女として育てられた貴族のご令嬢が・・・だ」

 フランクの顔には同情の気持ちなど微塵も浮かんでいなかった。その取り澄ました話しぶりが私の神経を逆なでした。

 しかし、悪いことに、フランクの持ち込む噂はたいていが真実だった。私の顔は青ざめていたに違いない。

 敢えて尋ねたことはなかったが、シェリルはまだせいぜい二十歳前後の年齢だ。とすると、彼女の家が凋落したというのはほんの数年前の話だ。この数年の間に彼女の身に何があったのか、どういう経緯で今『教授』に仕えているのか。頭の中に疑問が渦巻き、私はくらくらと目眩を覚えた。

「『貴婦人』が何の目的で君に近づいたかは分からんが、気をつけたほうがいい。女なんて数年で別人に変わるって言うからな。お前が入れ込んでるあの女、とんでもない悪女かも知れないぜ。育ちのいい世間知らずのおぼっちゃまを手玉に取るぐらいお手のもの、なんて思われてなきゃいいけどな」

「どこからそんな話を聞いた」

 私は怒りを抑えて、フランクを睨みつけた。

「おっと。そう恐い顔をするなよ。作り話じゃないぜ。うちの学校はイギリス中から生徒が集まっているだろ。社交界のパーティでたまたま彼女を見知っている奴がいたのさ」

「人前でする話じゃないだろう。根も葉もない噂で女性を侮辱するのは紳士の名にもとるぜ。恥を知るがいい」

 私は席を蹴って立ち上がった。

 

 ガタン。


 椅子の倒れる音に、ざわついていた食堂がにわかに静まり返った。

 その静寂が私を我に返らせた。そうでなければ、私はフランクに掴みかかっていただろう。わざわざこの場所とタイミングを狙ったのは、彼の作戦勝ちだ。それだけに、私は胸に渦巻く不快を吐き出さずにいられなかった。

「根も葉もないとはとんだ言いがかりだ。自分の耳で確かめるがいい」

 フランクの捨て台詞が私の背中に突き刺さった。

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