第106話 どうして先輩が守ってあげないんですか?

 騎士団長フルーリエ視点



 宵闇が明ける手前の曖昧な時間。

 夜なのか朝なのか判断しかねるその境界は、観測者次第で時の呼び方が変わる。


 教会領に建てられた騎士団本部にて。


 気怠げな私は珍しく朝番に入っていた。


 とは言っても、早々に訓練や書類作成が終わってしまい仕事が完了してしまったところなんですけど。


 なので、騎士団本部一階の物置もとい極秘待機室で後輩のリカさんとお茶を嗜んでいた。


 この部屋は常に封鎖されていて、基本的には私ぐらいしか使用しないスペース。

 騎士になりたての頃に見つけて以来ずっと使っている。


 何故だか私に懐いてしまった後輩が平然と利用しているのはもう慣れてしまった。


 焼き菓子や紅茶などが用意された長テーブルの前で、私は硬い素材の椅子に座っている。


 訓練で疲労しきってしまったリカさんは、四席程の椅子を並べてクッション置き、その上で寝転がっていた。



「あの、リカさん。蒸れた足をこっちに向けないでくれませんかぁ?」


「えー、せっかく団長の為を思ってブーツで蒸れ蒸れの足を用意したのに。

 そんなこと言われるなんてショックです」


「私一度も蒸れフェチなんて口にしてませんよね?」


「してました。あたしの夢の中で」


「私に対する解像度、もうちょっと上げといてくださいね」



 性癖を口走ってくる上司が無意識の領域に登場するって、この子の精神状況どうなってるんだ。


 そろそろ健康診断を入れて貰った方がいいのかもしれません。


 お茶の入ったカップを口にしながら、ファッション雑誌を読み進める。


 一通り流し見したが、私の好きなブランドはまだ載っていなかった。


 あんなに素敵な服を作るショップに目をつけていないなんて、この雑誌の編集者はどうやら無能らしい。


 騎士団長の権利を乱用して強制的に掲載してもらおうかな。


 そんなこんなでお茶を飲み終える頃には、すっかり朝日が登り始めていた。



「団長、暇だからあれ見せてくださいよ〜。ナルルカさんの技」


「やですよぉ。あれやると不快感でゲロぶち撒けることになるんですよ?

 ま、リカさんが後始末をしてくれるなら考えますけどぉ」


「はい! 是非! 食べます!!」


「……冗談ですよね?」



 というか、故人の技を披露してくれなんてあんまり口にしない方がいいと思うんですけど。


 私、なんでこんな変な後輩に懐かれてしまったんだろう。


 別の雑誌を手に取ったところで、高周波の音が鳴り始めた。


 それは聴覚を通ってくる音波ではなく、直接脳内に届けられる思念。



「あ、団長……アレ来ますよ、アレ。うへぇ」


「そうみたいですね」



 高音のノイズは徐々に取り除かれていき、やがて声が流れてくる。


 リカさんは両手で耳を塞いでいる様子だった。

 しょうもないボケだろうか。



『只今、全ての騎士に直接回線を繋いでいます!!

 緊急討伐対象『ドラゴン』を確認!! 

 南山岳地帯に出現との報告です!!

 直ちに隊列を組み、出動してください!!

 繰り返します!!』



 脳内を揺さぶるような大声を受信した。


 感情がそのまま乗りやすい分、思念は声という物理の何倍も大きく伝わってくる。



「あぁー……繰り返さないでぇ……」



 その意見には同意しますけど、椅子に寝転がりながらじたばたと手足を動かすのは騎士としてどうかと思いますよ。



「うるさぁ……苦手なんですよねぇ、緊急時の思念伝達術式」


「得意な人いませんって……え? ドラゴン!?」


「そうみたいですね。さっさと支度して出ますよ」


「え? え? 冷静で平然過ぎませんか団長。

 いや、そういう人じゃないと団長は務まらないのか」


「自問自答を口にしないでくださいよぉ」



 『ドラゴン』。

 上空を通過された街はひとたまりもなく消失してしまう凶悪な魔獣。


 大蛇に大きな羽を生やして角ばった手足をつけた姿をしている。


 その強さと伊達な見た目から知らない者がいない程に有名。


 個体数も詳細も不明な割と雑な伝令だった気がするが、気にしている場合じゃない。



「あ……シャワー浴びとけば良かった……」


「大丈夫ですよ団長。汗臭い団長も素敵です」



 何気ない日常を織り交ぜながら、戦闘準備を整えていく。


 部屋の外、さらにその奥の方から足音が聞こえてきた。


 玄関の方から聞こえるそれは、徐々にこの部屋に近づいてくる。


 この方向には使われていない物置しかないんだけどな。


 まさか、私達意外にこのサボりスポッ……待機室を知っている者がいるのか。


 でも、そんなお気楽な展開はやってこなかった。


 だって、扉の前で足音を止めて部屋に入ってきたのは……。


 ミュエル・ドットハグラだったから。



「フルーリエ……ご主人様を、助けてくれ」



 不健康な汗と涙に塗れた顔面で血に塗れた給仕服を纏うメイドは、私に救いを懇願してきた。


 不快だ。


 今季最悪の朝が来てしまった。


 助けてという情けない言葉、周りが見えていないであろう必死な形相。


 きっと凶悪で凶暴な事件に巻き込まれたんだろうな。


 ご主人様っていうのは、あのエリゼなんとかのことか。


 でも。



「なんで……?」



 どうして、ここに先輩が来るの?


 どうして、先輩は自分より弱い私に縋るの?


 分からない。


 理解できない。


 こんな無様な人に憧れた覚えは無い。


 私が大好きな聖騎士はもっとかっこよくて、もっと暴力的で、もっと強い人。


 目の前にいるこの女は誰?


 無能な人。


 ムカつく。


 馬鹿で阿呆でドジで間抜け。


 ……。


 ああもう、こっちまで涙が感染うつってきたじゃないか。


 こう、先輩のこととなるとすぐ感情的になってしまう。


 どうしてかなんていうのはとっくの前に答えが出ている。

 だけど、私はそれを認めたくない。


 感情の伝播によって溢れ出しそうになる涙を必死に堪えながら。



「先輩がっ! 先輩が救うべきでしょ!!

 私よりもっ! 誰よりも強い先輩がどうして他人に縋っているんですか!!

 分からないですよ……何で?

 どうしてこんな……」



 それ以上言葉は出てこなかった。


 どうしてこんな弱い女になってしまったのか。


 それを知っているから。


 先輩の目の前でナルルカ先輩が死んだから。


 ナルルカ先輩が命に代えて守ってくれたから。


 だから、先輩は命の重さを知ってしまった。


 大切な人の死を通して獣は人に成り果てた。


 今まで殺してきた罪人や魔族にも、その帰りを待ってくれていた者がいたんじゃないかって。

 それを理解してしまった。


 責めていい訳がない。


 人を殺せない、傷付けたくない。


 そんな立派で正しいことを想う先輩を、悪く言って良い訳がない。


 流れる液体を袖で拭き取り、涙腺を根性で閉める。



「……すみません取り乱しました。

 お話を伺いますが、できれば速やかにお願いします。

 こちらも色々と大変なんです」



 私の言葉が追い討ちとなってしまったからか、先輩は分かりやすく落ち込んでしまっていた。


 俯いている彼女を席に座らせて、暖かいお茶を飲ませる。


 落ち着きを取り戻すまで待っている余裕は無い。


 さっさと要求を吐かせないと。


 そう思っているのに、結局嗚咽が収まるまで待ってしまった。



「アヤイロ、ネイハ、メートゥナ、この三人がエリゼ・グランデを監禁しようとしている。

 だから、どうか騎士団の力を貸して欲しい」



 先輩は悔しそうにそう言った。


 後悔を感じているのなら、もしかすると私が信じるあなたは死んでいないのかもしれない。


 また、剣を手にする日が訪れるはずだ。

 それを……信じよう。



「その名前が出てくるということは、犯罪組織『スルト』の件ですね。

 となると、相手は百を超える人数を有している訳ですか」



 伝えられた情報をノートに書き殴りながら、記憶と知識を整理していく。


 メートゥナと呼ばれる女が作り出したお遊びグループ『スルト』。

 しかしながら、時間経過と共に人を多く集めてしまったそれは利潤を追求する組織と化した。


 サロンの経営、クラブでのイベント集客。

 表向きの面はそういう賑やかな場を提供する活動をしている。


 表の顔があるなら、無論裏の顔も存在している。

 『スルト』は顧客に製造元不明の薬物を売り捌いた。


 依存性の高いその薬物は通称『デザート』。


 薬物の高い依存性で群がる顧客を、そのままクラブの集客に利用していたらしい。


 犯罪組織『スルト』はその他にも薬物を用いた強姦や傷害など、数多くの罪が疑われている。


 それでも検挙できていないのは、証拠が一つも出てこないから。

 聡い人間が証拠隠滅を完璧に企てているんだろう。


 メートゥナ、アヤイロ、ネイハの三人は目に余る素行の悪さによりギルドに見限られている。


 パーティ解消後はアヤイロとネイハの消息が不明に。

 ただ、その二人が『スルト』が所有する建造物に出入りしている場面が確認されている。


 このことから、『クラウン』を通してメートゥナと繋がりがある二人も組織関係者であると考えている。


 確か、諜報部が提出したレポートはこんな感じだった気がするな。


 先輩も現役時に聞いたことあるはずですが、あの頃はてんで情報不足でしたね。



「それで、場所は?」


「裏通りにある大きなクラブハウス。華やかな建物だった」



 私が持っている情報と照らし合わせるなら、そこは『スルト』の旧拠点のはずだ。

 現在は繁華街の方へ拠点を移している。



「『スルト』の旧拠点ですね。

 ですが、そこに標的はいないでしょう。

 先輩を逃した時点で移動を開始しているはずです。

 リカさん、彼女らが逃げそうな場所の検討付きますか?」



 あらゆる人物の情報を頭に叩き込んでいる彼女に頼めば、必ず的確な答えが返ってくる。


 リカさんは騎士団屈指のプロファイラーなのだから。


 私一人で考えるよりも、俄然効率が良い。


 彼女は顎先を指で支えながら思考を巡らせ、演算を開始する。



「えーっと、『スルト』じゃなくてその三人に絞るなら……。

 まず挙げられるのは、街から離れた広大な土地にある大きな倉庫ですかね。

 彼女らがギルドに所属していた頃に住んでいた拠点です。

 でも、この街に留まらず遠くへ逃亡している可能性も考えるとすれば……」


「それはほぼ不可能でしょう。

 ドラゴンが確認された時点で、首都近辺の住民には避難勧告が出されています。

 街中に避難を誘導する騎士が点在しているはず。

 騎士による不規則な監視網を潜り抜けるのは困難かと。

 ただ、念の為街の外周には規制を張らせておきましょう」


「あと、安直過ぎますがやっぱり現在の拠点施設も候補に挙げていいと思います」


「そうですね。倉庫が外れなら次はそちらへ向かいましょう」



 現在自由に使える人員は当直の者ぐらいでしょうか。


『ドラゴン』討伐に連れて行く部隊を編成し直す時間はない。


 支部の方々も誘導に出ているはずですから……。


 仕方ありません。



「騎士団はなるべく速やかに出動させますが、少しだけ時間が掛かってしまいそうです。

 先輩、私以外に助けを求められる友人がいるのならすぐに当たってください。

 きっとあの女に必要なのはそっちですから」


「ありがとう、フルーリエ」



 涙をずーっと流し続けている先輩は、粗悪な微笑みを浮かべてそう言った。

 不甲斐を感じているのがひしひしと伝わってくる。


 そんな顔しないで。


 ずるい。


 ずるい。


 許したくないのに、私の甘さが彼女を許容してしまう。



「さっさと行ってください。先輩の泣き顔なんて見たく無いんですから」



 軽くお辞儀をすると、先輩は部屋から出ていった。


 廊下を走る足音は遠のいていき、次第に聞こえなくなる。


 ……わざわざ私に直談判する必要もなかったでしょうに。

 でも、私が昔からこの部屋で空き時間を潰してるの、覚えてくれてたんだ。


 別に嬉しくはないけど、ちょっと頑張ってあげようかな。



「でも団長、良いんですか? ドラゴンの討伐を放り出すなんて」


「何言ってるんですかぁ、リカさん?

 両方こなすのが騎士団の頭ですよぉ。

 とりあえず、リカさんは騎士を引き連れて犯罪組織の撲滅へ向かって下さい。

 恐らく、今回で『スルト』の件は片付きそうですから全力で挑むように」


「え!? 『ドラゴン』の方は誰と向かわれるんですか?」



 答えが分かりきっている問いだった。


 きっと、リカさんも頭の中には浮かんでいるはず。


 騎士団を連ねてしまう馬鹿な女がやりそうなことを。



「トカゲの駆除なんて私一人で十分ですよぉ」



 流し目で彼女を通り過ぎながらそう言うと、リカさんは苦笑いを浮かべた。


 ちょっと格好つけすぎたかな。



「団長……それ、噛ませ犬が言うやつですよ」



 私は早足で部屋を出た。

 赤面を晒さないために。

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