第三章 愛欲に溺れて嫉妬に首を垂れるその女

第62話 とある夏の日、魔術師は聖女と並んで

 魔術師リューか視点



 聖教国クオリアの季節は、夏という暑いだけの時期に移り変わり日々最高気温を更新し続けていた。


 国の人々は氷系統の魔術や魔道具を利用して冷涼を確保している。


 聖女様のつてで教会の手伝いをしているこのあたしも、炎天下には耐えきれず流行りに乗ってしまうのだった。



「もたらせ冷徹を。授けろ悲恋を。くぐもる音色をその風に刻め、コールドスター」



 氷塊を出現させる魔術の詠唱を終えると、あたしは目線上に持ってきた右の手のひらに魔力を集中させる。


 さあ出てきなさい、そしてこの溶けるほど暑い日差しからリューカ・ノインシェリアを解き放ってよ。


 ……。


 何秒経っても氷が出てくる気配は無い。



「んぬあああああっ!!でろっでろっ!!っつぅぅ……はぁ」



 いくら力んでも魔術は展開されない。

 エリゼの願いを叶える力の恩恵を受けていないあたしは、魔術師になれないんだ。


 つまり、この夏を乗り越えることができないと言っても過言。


 こんなことなら、さっさとエリゼとっ捕まえてパーティを組めばよかった。


 何も出すことのできなかった右手をだらんと降ろし、影になっている白塗りの壁にもたれかかった。


 大聖堂を中心に建設されているこの教会本部。

 修道女の居住スペースや病棟、国の管理が行われる機密が詰まった要塞もあれば誰でも入ることができる庭園など、さまざまな施設が並んでいる。


 セキュリティの心配もあるけど、そこは厳重に結界が張られているみたいね。


 そして現在のあたしはと言うと、女神ニーアの生誕祭に向けて絶賛準備お手伝い中。

 倉庫として使われている建物から大聖堂へ装飾を運んでいて、既に三往復目。


 周りの修道女が全員ひんやりとした氷魔術を纏う中、汗腺から豪雨が発生しているあたしは耐えきれずに術式の展開を試みたってわけ。


 失敗に終わったけど。



「あっつぅ。誰かあたしにも氷分けなさいっての」



 手で顔を仰ぎながら、せっせと働く修道女の群れを眺める。


 ほんと働き者ね、ここの信者は。

 存在するかどうかも分からない女神様のためにこんなに頑張れるなんて。


 女神ニーア、この国を天災から救ったとされている聖教国クオリアの象徴。


 そんな幻想に縋りたい人間がこれ程いるとはね。

 あたしが思っている以上に人間の心っていうのは脆いのかもしれない。


 ぼーっと人間観察をしていると、純白を纏った修道女がこちら側に歩いてきた。



「リューカさん、サボっていないで荷物を運ぶの手伝ってください」



 聖女セレナ・アレイアユース。

 あたしよりも年下のまだお子様に見える少女は、ほんの少しだけ怒りながらそう口にした。



「なら、あたしにも術式を掛けなさいよ。暑くて死ぬわ」


「えー、魔術師なんですからそれぐらいご自身で用意してくださいよ。

 まったく……優しく包み込め、スカイフロート」



 聖女様がそう口にすると、あたしの全身を冷気が包み込んだ。


 絶妙な温度調節が施された氷のドレスを身につけているみたい。

 気持ち良い。



「あー、これよこれ。どうやらあたしに足りなかったのはあんただったみたいね、聖女様」


「ほんと調子良いですよね。さ、働きますよ」


「はーい」



 先ほどまでの気怠さへとあたしを焼き殺そうとしていた熱気へ、これにて離別お悔やみ申し上げます。

 もうお前らに足を引っ張られるあたしではない。


 さあ今日も今日とて元気にやっていこうじゃないの。


 もたれかかっていた倉庫へと入ると、大聖堂へ運ぶ荷物の受け渡しをしている修道女に石膏を持たされた。


 それも、大司祭ララフィーエを形取ったものだ。


 何に使うんだこれ。


 隣にいるセレナは花の植えられた鉢を渡されていた。


 あたしの石膏これと重量違いすぎじゃないかしら……。


 持たされた荷物を運びながら、倉庫を出る。

 ここから大聖堂までは結構距離があったりするんだけど、今のあたしなら余裕で運搬を完遂させることができそうだわ。



「今年、大司祭様は何を披露してくれるのかしら」



 大司祭様の等身大石膏を抱えながら、雑に会話を仕掛ける。



「例年通りコンサートを開催してくれるそうですよ」


「コンサートってあんた……ああいうのはライブって言うのよ」


「別にコンサートでも問題ないじゃないですか」


「それだとなんだかお堅く聞こえちゃうでしょ。

 で、なんであんたがそんなこと知ってるのよ」


「ララフィーエ様が楽器隊の方々と練習に勤しんでいる所に偶然遭遇しちゃいまして。

 ララフィーエ様含めて、皆さんなんだかクオリティに納得できていない様子でしたよ。

 音が足りないとかなんとか仰ってました」


「へぇ、流石大司祭様ね。とことんストイックで惚れちゃうわ」



 他愛も無い会話を繰り広げながら大聖堂までの道を歩く。

 荷物は重いけど、先ほどまでの灼熱を感じることはない。


 ありがたいことに、セレナが掛けてくれた術式がちゃんと作動しているみたいね。


 で、その聖女様はなぜかあたしの顔をじっと見ている。



「何? 気持ち悪いわね」


「あの、リューカさん楽器弾けますよね」



 ……え。


 嘘、どうして。


 楽器を弾いている姿を見られないよう徹底していたはずなのに。


 いや、別に極秘にしてた訳でもないんだけど、ただ完璧に弾きこせるようになるまでは誰にも見せたくなくて、しかも半分遊びの趣味みたいなものだし……。


 それにもともとは、音楽を必要とする特別な術式を再現するために始めたものだし。


 ていうか、どうしてこのタイミングでその話を振ってくるんだ。



「な、なんで知ってるのよ」


「だって左手の指先、硬くなってるじゃないですか。

 それって弦楽器の弦を押さえる人特有のやつですよね」


「はぁ!? 何人の指見てんのよ! 変態なの!? 変態聖女なの!?」


「別に指を見ても変態にはならないと思うんですけど。

 あの、毎晩髪の毛を解いてくれるじゃないですか、その時に見ちゃいました。

 それに私がベッドに入った後、夜な夜などこかへ出掛けてますよね。

 あれも楽器の練習のためなんじゃないかって」



 大当たりだ。

 何もかも正解だ。


 聖女様には探偵適性もあるらしい。


 流石に同じ部屋で生活しているこの子にはお見通しだったか。



「はぁ……そうよ。あたしは夜な夜な弦楽器を弾いてる女ですよ。

 それで、あんたはあたしにどうして欲しいわけ?」



 聖女様は満面の笑みを浮かべると、可愛らしく体を斜めに傾けた。


 その姿は年相応の女の子らしく、だけど小悪魔的で聖女とは言い難く。


 そういう柄でもないでしょうに、なんて思うのは無粋だろうか。



「リューカさん! ララフィーエ様の楽器隊に参加しましょう!」



 薄々そう言うことだろうとは勘づいていた。

 直前に「音が足りない」なんて優しすぎるヒントをもらっていたのだから。



「普通にお断り願いたいんだけど」


「げ、ほんとに嫌そうな顔してる。

 えー、どうしてですかぁ? ララフィーエ様に近づけるチャンスですよ?

 しかも人助けもできるという最高にお得なセットなのに。

 リューカさん、ララフィーエ様のファンですよね?」


「だから嫌なのよ。あたしは憧れの人に近づきたく無いタイプなの。

 それに、まだ技術も足りて無いし」


「へぇ、怖いんですね。下手くそな自分が。

 そうやって披露する機会を先延ばしにしていると後悔しますよ。

 どうせ誰も良し悪しなんて分からないんだから挑戦してみたらどうです」


「だから、披露も何もあたしのこれは趣味と魔術用であって、誰かを楽しませるためのものじゃないのよ!」


「魔術用って言葉より先に趣味が来てる時点で、実はみんなに見て貰いたい欲が隠せて無いですよ。

 それに、憧れの人の隣に立てるのなら死に物狂いでそこを狙いに行きますよね?

 遠くから眺めるだけで心が満たされているのなら、所詮あなたの好きはその程度だったってことですよ」



 がーん。


 ……なんでここまで言われなきゃいけないのよ。


 露骨に煽りすぎじゃないかしら。

 流石のあたしもそんな見えすいた罠には引っかからないわ。


 ……。



「はぁ!? 全然弾いてやっても良いけど?

 てか、あたしドぎつい程ララにゃん好きだし。

 全身の垢を舐め取ってあげたいぐらいに好きだし!

 あ〜あ、あたしが奏でる音色で観客全員虜にしてやろうかなー」



 うぅ、やってしまった。

 あたし史上最も悪い癖が出てしまった。


 煽られるとつい乗ってしまう癖。

 いつになっても治んないなぁ。


 しかも、年下の子に煽られてこの様とは。



「はい、ではお願いしますね。ララフィーエ様にも伝えておきます」



 聖女様は笑顔でそう言った。


 やられた、まんまと嵌められてしまった。



「あんた、人助けのためならあたしを巻き込んでもいいと思ってるでしょ」


「はい。悪人ならどう利用しようと聖女ポイントが減らないので」


「……等身大ララにゃん石膏ぶつけるわよ」



 そうこう言い合っている内に、目的地が見えてきた。


 この教会の中心であり、国の要としても重要な施設。


 クオリア大聖堂。

 女神ニーアの像をその内側に宿している聖地。



「あんたと喋ってたからか、随分近く感じたわ」


「私もです。……あ、あそこ見てください、あの木の下にいる人達です。

 どこかエリゼさんとミュエルさんに似ていませんか?」



 言われた場所に視線を移すと、大聖堂前の庭に見知った顔の少女とメイドが立っているのが見えた。

 似ているというか、本人だと思うんだけど。


 この国にメイド服を普段着にしている元聖騎士なんて一人しかいないのだから。

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