第52話 目覚めはもうすぐ


 ブティックからの帰り道、人が行き交う大通りを歩いている。


 肩に掛けているショッパーを覗くと、夏物のワンピースや春物のセーターから、袖口にファーがもこもこと縫い付けられている明らかに冬に着るものまで、色んな衣類が詰められていた。


 挙げ句の果てには、左右両方の手に存在する十本の指全てに様々な指輪が嵌められている。


 やられた。

 まんまとやられた。


 あの店員、口が達者過ぎる。


 なにが「夏こそ冬物を買うべき、何故ならシーズンオフで破格の値下げが施されているから」、「指輪はいざと言う時身を守ってくれます、例えば包丁で切り落としそうな時とか」だよ。

 そして、そんな口車に載せられるなよ、わたし。

 そもそも、料理の時に指輪なんて不衛生な装飾はめないだろうし。


 でも、試着する度にみゅんみゅんと店員の二人に「可愛い!最高!愛らしい!」って褒められたのは良かった気がする。

 可愛いなんて言われたの、久しぶりだし。


 ま、購入した服はどれも好きなデザインだから気分は悪くないけど。

 指輪も趣味じゃないけど、インテリアとして飾ってみようかな。


 街を歩いていると、四方八方から声が聞こえてくる。

 笑い合っている声、ねだるように甘えた声、遅刻してきた友人を怒る声、緊張を帯びたカップルの声。

 意識を集中させれば、その会話内容を鮮明に聞き取れるぐらいには騒がしい。


 人が賑わうこの街は、いつも楽しげだ。


 なんて目に映る情景に想いを馳せていると、隣を歩くみゅんみゅんが話しかけくれた。



「ご主人様、一つ聞いていいか?

 違ったら恥ずかしいんだが、最近のご主人様は私と二人きりのときだけみゅんみゅんって呼んでくれているんだな」



 思いがけない質問だった。

 それは、わたしがなんとなく始めた呼び方のルール。

 まさかみゅんみゅんにバレていたとは。



「あ、バレちゃった?

 ふふっ、うん、そうしてるんだ。

 出会った頃はそこかしこでみゅんみゅんって呼んでたんだけどさ、今は二人きりの時だけ。

 みゅんみゅんって呼ぶのが特別なことな気がしてさ、他の誰にもその名前を呼ばせたくないんだ。

 だから、二人きりの時だけ。

 二人でいる時、わたしは特別な感情でみゅんみゅんって口にするんだ」



 ちょっとロマンチックに走りすぎたかも。

 赤の他人から見れば、相当痛い言い回しだった気がする。



「ふっ、そうか。嬉しいな。

 だけど、残念なお知らせがある」


「え?」


「会社に所属しているメイド仲間や社長からは、常にみゅんみゅんと呼ばれているんだ」


「あー……そっか。そうだよね……そっかぁ……」



 芸名を決めさせてくる会社だもんね。

 そりゃその名前で呼び合うに決まってるじゃん。


 いや、でも、みゅんみゅんが会社に戻るのは月に一度だけ。

 それぐらいなら、まあ許容範囲内。


 それに、他の人達とは違って、わたしのみゅんみゅん呼びには感情が込もっているから。



「でも安心してくれ、私が心躍らせるのはご主人様に呼ばれた時だけだから」


「あぇ、あ……ありがと」



 喜びの衝撃が大きすぎてクール女になってしまった。

 ここが街中じゃなかったら、思いっきり抱きついていたよ。


 それにしても、この騎士ムーブにはいつまで経っても慣れないな。

 多分、一生かけても慣れないと思う。


 それにしても、こんな街中で照れさせるのはやめて欲しいな。

 こんなだらしない顔、誰かにみられたらなんて思うと恥ずかしすぎる。


 誰もこちらを見ていないかチラっと周囲を確認した。


 ……。


 あれ、なんだろう。

 誰かに見られている気がする。


 人混みを歩いているわけだから、必ず誰かには見られているんだけど。

 でも、そんな有象無象の無意識を含んだものじゃ無くて、悪意に満ちた嫌な視線を感じる。


 感じる、気がする、なんて不確定要素しかない状態。

 それを口にするのは不安を煽るようで気が引ける。


 それでも、伝えないと。

 隣に並ぶ彼女へ。



「ねぇ、みゅんみゅん。誰かに見られてる気しない?」


「私も感じている、人が多すぎて視線の主の居場所までは分からないが、確実に見られている」



 思い過ごしではなかった。

 騎士で鍛えた感覚を持ち合わせている彼女がそう言うなら、それは事実だろう。


 だけど、どうして悪意を向けられているのかは検討もつかない。

 それを考え出すと、わたしのこれまでの行いが全て誰かの反感を買わせている気がしてくる。


 このまま思考を続けてしまうと、精神衛生を過剰に汚染されてしまう。

 考えすぎるのはやめよう。


 とりあえず今のところは、注意を欠かさずに帰宅することに集中しよう。



「みゅんみゅんが綺麗すぎて嫉妬してる人がいるのかなぁ。

 それともまさか、ミュエル様大好き秘密クラブの人じゃないよね……」



 元聖騎士ミュエルの側に立っている女は誰だ。

 あの気に食わない小娘を殺す。

 ミュエル様の横に在庫処分女が並んでいる。


 こんなふうに、ファンの人がわたしに殺意を向けている可能性もあるな。



「ミュエル様大好き秘密クラブ?」



 いやでも、真のファンならみゅんみゅんを不快感を与えないはずだよね。

 となるとファンクラブの人間の線は薄いか。



「ミュエル様大好き秘密クラブって?」



 けど、もしわたしがそっち側の立場なら嫉妬に狂ってるだろうな。

 大好きな人の隣に自分以外の生き物が陣取っていれば発狂するに決まっている。

 その憎しみに耐えた上で、二人を祝福できる者がいるとすれば、そいつの愛はそこまでだったということ。




「ご主人様、ミュエル様大好き秘密クラブとは?」



 ……。



「ご主人様……?」



 思わず口に出してしまった自分に非があるとは言え、その単語の意味を説明することはできない。

 ごめん、みゅんみゅん。

 謝るからその気持ち悪い組織のことを忘れてください。



「あ、あー、右手が寂しいから手繋ごうよ。あーあー繋ぎたいよー」


「了解した。ぎゅっ」



 みゅんみゅんは可愛らしい擬音を唄いながらわたしの手を握ってきた。

 ついでに言うと、初手で指を絡めてきた。


 前例の無いみゅんみゅんからの攻めを受けて、全身が液体になりそう。

 一瞬だけ天を仰いで、何とか平常心を保とうとするけど、どうにもならない熱が体を走っている。



「はひゅっ……」



 左の肩に掛けていたショッパーがずり落ちそうになるのを何とか防ぎ、昇天しそうな魂を再び体内に戻す。


 危ない危ない。

 話題を逸らすために提案したことけど、まさか強烈なカウンターを受けることになるとは。


 とにかく、わたしとみゅんみゅんが手を繋いだにも関わらず、向けられている悪意の強さに変化が無かった。

 つまり、聖騎士ミュエルのファンということでは無さそうだ。


 じゃあ結局、わたし達を見ているのは誰なんだ。



「……ミュエル様大好き秘密クラブ」


「みゅんみゅん、その話はもうやめよう。もっと未来の話とかで盛り上がろうよ」


「駄目だ、気になる」



 ここから屋敷に帰るまで、喉が乾きっぱなしの時間を送ることとなる。


 ミュエル様大好き秘密クラブのみんな。

 ごめん、わたしのヘマのせいで本人に認知されちゃった。





 ☆





 充実したであろう一日を終えた。

 結局街中で感じた悪意の真相は分からず終い。

 あれは何だったんだろう。


 何もなければ良いんだけど。



「みゅんみゅん、おやすみなさい。また明日」


「おやすみ、ご主人様」



 屋敷の二階、客室が並ぶその廊下の一角を個人の部屋として使っている。

 隣同士に設けられた各々の部屋の前で、わたし達は就寝の挨拶を交わした。


 部屋の扉を開けて中に入る。

 一人きりの世界が広がる完全閉鎖空間。

 許しも罪も存在しないエゴの場所。


 この部屋にはみゅんみゅんすら入れた事が無い。

 もちろん掃除は自分でしている。


 みゅんみゅんには見せられないものがたくさんある。


 心の底から信じ合っていても、秘密にしなければいけないことなんて山ほどある。

 失望させたくないから、嫌われたく無いから。


 転ぶところを見られたり余裕のない格好を見られたり、この部屋にはそんなものとは比較できないほどわたしの弱点が詰まっている。


 そんな機密に溢れた部屋がみゅんみゅんの寝室の隣で良いのか、とは思うけどこれは致し方ない。


 部屋が隣という概念にはロマンと欲望と青春が混沌と広がっている。

 寧ろ部屋を隣同士にする以外の選択肢が無い。


 少しだけ気持ち悪い論争を脳内で起こした後、出来る限り欠かさずにいる日記に今日の出来事をまとめる。

 色んなことがあったな。


 みゅんみゅんの為に作られた衣装。

 成長したみゅんみゅんのバスト。

 在庫処分。

 悪意を孕む視線。

 ミュエル様大好き秘密クラブの失言。

 今夜もナイトウェア姿のみゅんみゅんが可愛かった。


 思いの丈をあらあらと綴る。

 どうせわたし以外に目を通す人間なんていないので、感情のままに筆を動かす。



「はぁ、こんなもんかな」



 独言を小さく口にする。

 疲れた、今日はもう寝よう。


 もう何冊目かも分からない日記帳を閉じて本棚に戻すと、適当にメイキングを施したベッドへと寝転がる。


 ……。


 枕元に置いてあるぬいぐるみを手に取る。

 白猫を模した世界で最も可愛いぬいぐるみ、名前は『えるにゃ』。

 名付け親はわたし。

 ずっと昔に偶然手に入れたこのぬいぐるみ。

 みゅんみゅんに向けるそれとは全く別ジャンルの愛をこの子に注ぎ込んでいる。


 赤の他人の命とえるにゃ、どちらを救うと聞かれれば、わたしはえるにゃを選ぶだろう。

 それほどに愛着が湧いている。


 えるにゃの背中に手を回し、ぴょこぴょこと愛らしい四肢を動かす。



『こんばんわ、エリゼ。今日のデートはどうだった?』


「最高だったよ。ミュエルさんと一緒にいる時は常に最高なんだけどね」


『それは良かったね。そろそろえるにゃもミュエルに会いたいよ』


「えー、えるにゃの名前ミュエルさんからもじっちゃったから、ちょっと恥ずかしいよ」


『大丈夫だよ。エリゼはとっても気持ちの悪い変態だと思われてるから、今更えるにゃの名前の由来を聞いてもミュエルは笑って許してくれるよ』


「ええええ!?そんなこと思われてないよ!」


『ぷぷぷ、可哀想なエリゼ』


「勘弁してよ〜」


『……エリゼ、ベロの調子はどう?』


「変わんないなぁ。どうしよ、一生みゅんみゅんの料理の味を堪能できなくなっちゃったら」


『それは悲しいね。けど大丈夫、きっと治るよ。

 今までも不幸を乗り越えて来たじゃないか。頑張ろう!』


「ありがとう、えるにゃ。わたし、もうちょっとだけ頑張れそう

 リューカちゃんも進み始めたし、わたしも進み出さなきゃ」


『うん、その意気だよ。不幸にも絶望にもきっと終わりは来る。

 さ、体が強張る前におやすみ。

 エリゼの未来が良いものになりますように』


「ありがと、えるにゃ。おやすみ、えるにゃ」



 えるにゃの小さい体を抱きしめて瞼を閉じる。

 不眠気味なわたしには、この子を抱擁するという行為が最も効く処方薬。


 一連の会話はわたしとわたしの対話。

 お人形遊びだけど、わたしはこれで思い詰めた心を解している。

 自問自答で不安から逃げている。


 こんな姿、本当にみゅんみゅんには見せられないな。


 どうか、幸せな未来がやってきますように。

 おやすみなさい。

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