第36話 煌めき放つ明星に照らされた長い一日の終わり


 あれ、私は何を。

 夢か現実か朧げな意識が覚醒していく。


 重い瞼を開けるけど、視界がぼやけていてよく分からない。


 頬がひんやりとした床に押し当てられている。

 ここは、どこだ。


 思い出す。

 最後に目にした景色を。

 記憶の最先端を。


 魔術師、聖女、守護者の居ない空間。

 百合の花、星空、魔力の蝶。

 そして、一糸纏わないご主人様の姿。


 ごしゅじんさま。



「ご主人様っ!?」



 伏していた体を勢いよく起こす。

 頭が割れる様に痛い。

 魔力のほとんどを術式に持っていかれたせいで、体に異常をきたしているんだろう。

 頭痛以外にも、吐き気や怠惰感、全ての体調不良を患っている気分だ。


 周りを見渡す。

 星空を投影していた空間はすっかり消えているが、百合の群れは未だに健在だった。


 その花畑の中に、聖女セレナが座っていた。

 絵本の一面を飾る様な可憐がそこにいる。


 そして、ご主人様と魔術師は彼女のふとももを枕にして眠っていた。



「ごしゅ……じんさま……」



 生きている。

 そう思って良いんだろうか。

 欠損していた体は元に戻ったのだと、瀕死の状態から息を吹き返したんだと。


 また一緒に暮らすことができる。

 メイドとして、ご主人様の側にいられる。


 自然と涙が溢れ出した。

 人生最大の緊張が緩和されたことで、感情の波が押し寄せて来たんだ。

 本当なら、豪快に泣き叫んで喜んでやりたいが、それを他人に見せるわけにはいかない。

 急いで袖を使って目を拭う。



「おはようございますミュエルさん。

 目覚めた直後で申し訳ないのですが、エリゼさんを引き取ってもらえませんか?

 生憎と私のふとももはお一人様用でして、お二人を相手するとなると安眠度が下がってしまうんですよ」


「うん、分かった」



 ふらついていた体は徐々に力を取り戻している。

 セレナの隣へ座り、寝転んでいたご主人様を私が抱えあげる。


 ずっと一緒にいたけど、稀にしか触れることのできないその体。

 ほのかに暖かい。

 体温が存在しているのが分かる。

 命を感じる。


 ご主人様が生きていると、断言できる。


 ご主人様は、白い修道服を着せられていた。

 聖女のために仕立てられた特別の装束。

 ただ、白というには少しだけ赤が染み込み過ぎている気がするが。



「いいのか、大切な修道服だと聞いているが」


「えへへ、着せてあげられる服がこれしかなくて。けど、エリゼさん自身の血液ですし問題ないですよね……?」


「あ、あぁ、裸よりはマシだ……それで、術式は成功したのか?」


「ええ、成功しましたよ。今あなたが触れているその体は、正真正銘エリゼさんそのものです」



 はにかみながら答える。

 聖女と呼ぶにはまだ幼過ぎるその笑顔には、慈愛と喜びがこれでもかと言わんばかりに詰め込まれていた。


 私は、無礼だと思いながらも抱き抱えているご主人様の頭を優しく撫でる。

 耳を、頬を、鎖骨を、肩を、右腕を、お腹を、そこに存在しているかを確かめる様に触れていく。


 本当に生きている。

 体はそこにある。

 鼓動を感じられる。


 ……。


 もう遠慮しなくても良いか。


 思い切って、ご主人様を抱きしめた。

 強く力を入れ過ぎない様に、けれど私からの愛情を溢させない様に。

 このまま二人で一生を過ごしても良い、それぐらいの想いを込めて抱きしめる。


 魔術師を寝かしつけていたセレナが動き出すまでの数分、それは続いた。

 体感的には何時間も抱き続けた気はするが。



「それじゃあ街へ帰りましょうか。街に入ったら真っ直ぐ教会に向かいましょう。

 術式は成功しましたが、念のためエリゼさんには本格的な治療を受けてもらわないといけないので。

 ミュエルさんもう動けますよね」



 国家を運営している教会は、医務も請け負っている。

 瀕死を免れたとはいえ、教会での診察から逃れる道はないだろう。

 ご主人様に何事もないことを祈る。



「無論、いつでも動ける」


「リューカさんも当分は目を覚さないでしょうから、私が背負って行きますね。ミュエルさんはそのままエリゼさんを運んでください」


「大丈夫なのか、ここから街までは結構遠いけど」


「安心してください。聖女って聞くと弱々しいイメージですけど、私めちゃくちゃ鍛えているので。こんな軽い女なら余裕で担いでいけますよ」


「そうか」



 なら良いんだが。


 ご主人様を抱きながら立ち上がって足を踏み出そうとしたところで、何か忘れていることに気づいた。

 何かが引っかかる。


 部屋を見渡す。

 目覚めた時と何も変わっていないその空間。

 無機質な床に魔力でできた百合が咲いていて、他には何もない。


 ご主人様が体を預けていたあの剣も見当たらない。


 そうだ、あの禍々しい大剣は一体どこへ消えたんだ。



「セレナ、あの大剣はどうしたんだ?」



 既に歩き出している彼女はゆっくりとこちらを振り返った。

 なにやら罰が悪そうな顔をしている。



「それがですね、ミュエルさんが目を覚ます少し前に消えちゃったんですよ。綺麗にその姿を消しちゃって、もうどうにもできなかったという感じです……」



 見た目で察しはついていたが、やはり何か特別な武器だったのか。

 私の持つ……聖騎士が持つあの剣と似た様な特殊な武装。

 そんな剣をどうしてご主人様が持っていたのだろうか。


 考えても仕方ないな。



「そうか。ご主人様が目を覚ました時に尋ねてみようか」



 そうですね、と返事をしたと思うと、セレナは何かを思い出したように体を跳ねさせた。



「あ、そうだ!ミュエルさん、これどうぞ」



 そう言ってセレナは白い杖に引っ掛けてあった腕輪を渡してきた。

 それは、ナルルカ・シュプレヒコールが私に残した形見。

 そして、ご主人様の治療に全てを捧げて役目を終えた『奇跡』と呼ばれる魔道具。



「治癒術式へのご協力感謝致します。本当にありがとうございました」


「感謝するのは私の方だ。ありがとう、ここに居合わせてくれて。ありがとう、ご主人様を救ってくれて」


「違いますよ。エリゼさんを救うことができたのは、リューカさんの膨大な知識と努力の賜物あってです。ここで一番活躍したのは彼女です。

 ……まぁ、原因を辿ればこの馬鹿女は加害者側ですけど」


「……セレナ、帰りながらでも良いから、君達とご主人様の関係を教えてくれないか。私が知らない彼女をもっと知りたいから」



 話を聞いている内に察したが、彼女達はどうやらご主人様の知り合いらしい。

 そういう過去の話をご主人様はしてくれなかった。


 本当はこんなずるい方法を取りたくないけど、こうでもしないと私の知らない彼女を知ることができない。

 ご主人様は私に見せたい姿を選んで、それだけを見せてくれる。


 でもそれじゃ嫌なんだ。

 もっと知りたい。

 全部知りたい。

 趣味も、感性も、好きな人のタイプも。

 そして、歩んできたその道も。


 私、こんなわがままじゃ無かった筈なんだけどな。



「良いですよ。私の知っているエリゼさんをお話ししますから、貴方の知っているエリゼさんも是非お話ししてくださいな」


「もちろんだ」


「そうですねぇ。まずは私が初めてエリゼさんを見た時の話をしましょうか。彼女はとってもすごいんですよ」



 聖教会へと向けて、私達は歩き始める。


 一面に咲いていた百合が散り始めていた。

 治癒術式の余韻が風に流されて消えてゆく。


 張り詰めていた空気は安らかにその硬さを殺し、穏やかさが殺伐とした雰囲気を上書きしていた。


 奇跡の抜け殻。

 もう何も込もっていない腕輪をはめて遺跡を出る。


 両腕には最愛のあなたを抱えて。

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