第35話 これで、少しはあなたの力になれたのかな

 メイドのミュエル視点



 かつて私が自立人形ゴーレムに怯んで殺されかけた深淵の遺跡。

 恐怖する体を騙して再びその地へとやって来た。


 友人の形見である腕輪を無くしたその場所へ、ご主人様がいるかもしれないその場所へ辿り着いた。


 今出せる最大の速度を以て駆けて来たのに。


 そこに広がっていたのは地獄だった。

 間に合わなかったんだ、私は。


 ご主人様は体のほとんどを失い、見るに耐えない惨状に陥っていた。

 それを二人の少女が必死に治療している。


 そして、ご主人様の残されたその左手には腕輪が握られていた。

 無様な私が落としてしまった友人の形見が。


 頭が白一色になった。

 思考が嫌悪と拒否に染まる。


 私のせいだ。

 私があの時過去を話さなければ、こんなことにはならなかった。


 過ちを晒け出してしまったのは、痛みを共有して楽になりたかったから。

 そのためだけに、ご主人様にあたしの罪を背負わせてしまった。


 吹き出す汗が、服を肌に張り付かせていて気持ちが悪い。


 私が騎士として再び立ち上がろうとしなければこんなことにはならなかった。

 また、私は大切な人を殺してしまう。


 こんなことになるなら、もう人と関わらなければ良かった。

 メイドという夢を諦めれば良かった。


 だけど、その否定はご主人様との思い出を拒絶することだ。

 それだけは絶対にしてはいけないのに……。

 でも、こんな血に濡れてしまうあなたは見たくなかった。

 嫌だ。

 もう、何もかも嫌だ。


 誰かの手が、私の両肩を押し上げた。


 項垂れる上体が無理やり起こされる。

 視界は強制的に正面を向いた。


 そこにいたのは、ローブと杖を纏っている魔術師だった。

 何も考えることができない私に、焦りを隠している二つ結びの少女が話しかける。



「あなたはエリゼの何、そしてどうしてここに来たのかを話して。もう本当に時間が無いから手短に頼むわよ」



 その少女は、私の心情を察しながらもそれを無視して語りかけている。

 今落ち込んでいる暇はないのだと、それを訴えかけてくる。


 何も喋りたくないのに、何も考えたくないのに、現実から目を背けたいのに、口が勝手に動いていた。



「……私はご主人様のメイドだ。帰りが遅かったから探しに来たんだ」


「メイドぉ?まあいいわ、とりあえず落ち着きなさい。……エリゼはまだ死んでいない。エリゼはまだ生きることを諦めていない。だから、あなたも頑張りなさいよ」



 私の目の前にいる少女は、この状況でなお諦めを知らない目をしていた。

 そして、それはご主人様も同じだとそう私に告げた。


 朽ち始めていた歯車に油がぶちまけられた。

 堕ちかけていた心が動き出す。


 まだ償い起こす時間ではない。

 後悔も自己嫌悪も全部全部後回し。


 私には、まだできることがある。



「……私も何か手伝って良いか?」


「馬鹿ね、断るわけ無いでしょ。とりあず聖女様に殺菌術式を掛けてもらっときなさい」


「わかった」



 そうか、今ご主人様を治療してくれているのはやはり聖女セレナなんだ。

 聖騎士時代に彼女には幾らか世話になった。


 最高峰の治癒術師の彼女がいるということは、この状況下における数少ない希望なんだろうな。


 体のほとんどが欠損しているご主人様を治療し続けるセレナへと近寄る。



「お久しぶりです、ミュエルさん。お話は聞かせてもらいました。今はエリゼさんのメイドをなさっているのですね」


「ああ、ご主人様への術式感謝する。本来なら私がいち早く駆けつけなければいけなかったのに……」



 セレナはご主人様に治癒を施しながら会話をし、その片手間に私の体に殺菌術式を展開させ消毒していく。



「いいえ、聖女として当然のことをしているだけです。……メイドの貴方に主人のこんな姿を見せることになるなんて、本当に申し訳ないです。すみません、私の力不足で」



 やめてくれ、君が責任を負う必要は無い。


 どうしてこの二人がご主人様と遭遇しているのかは分からない。

 だけど、彼女らがご主人様の負傷を背負う必要は無いんだ。


 悪いのは、私なのだから。



「それは違う。ご主人様は……ご主人様は私が失くした腕輪を探しにここまで来たんだ。だから、これは私の責任だ」



 ご主人様を囲うようにして描かれた魔法陣に、今もなお情報量を加え続けている魔術師が舌打ちをした。



「今そういう責任の所在はどうでもいいの!そんなもんは、あたしにだって山程ある。今も後悔で圧死しそうなぐらいよ!……現実逃避も、懺悔も、落ち込むのも、全部後にしなさい」



 その通りだ。

 彼女の言う様に、今は無駄な時間を過ごしている場合では無い。


 だけど、私が手伝えそうなことは見当たらなかっった。


 ご主人様は聖女の手によって治癒を受けている。


 そして、それを囲むように何らかの魔法陣は既に描かれている。

 私が口を挟む余地も無いほど完璧な陣だ。


 家事を難なくこなせる様になって来た私だが、今でも戦闘以外の物事は不得意だ。

 きっと私は何もしない方が良い。

 だけど、せめてご主人様の側にいさせてくれ。


 そうしてご主人様の側に膝をつこうとした時、魔術師が私の肩を引いた。

 屈むことを静止された私が、背中の方へと振り向く。



「あなた、今腕輪って言ったわよね?」


「ああ……ご主人様は、私が失くした腕輪を探しにここまで来てくれたんだと思う」



 魔術師は、口元に手を当て少しだけ何かを考えた。

 そう、そう言うことか、と独り言を呟くと、再び私の目を見た。



「なら聞かせて……その腕輪に秘められた魔力を、ぶっ倒れているエリゼに根こそぎ注いでも良いかしら」



 それは、私が考えないようにしていた選択肢だった。

 腕輪を使う以外にご主人様が生き残る道は無いと感じていながらも、それを思考の端に隠していた。。



「え……と……」



 戸惑いが生じる。

 ナルルカから継いだこの腕輪。

 それをご主人様に使用して良いのか。


 騎士時代の親友が、その命を散らす直前に私へと継いだ『奇跡』と呼ばれる魔道具。

 騎士団副団長のナルルカは、自分で使う道もあったはずなのにそれを選ばなかった。


 自分のために使わなかったこの腕輪を、彼女とは無関係のご主人様に使っても良いのか。

 それを、ナルルカは許してくれるのだろうか。


 そして、私は感じている。


 腕輪の魔力を使用することで、ナルルカ・シュプレヒコールは最後の役目を終え、同時に現世に残した繋がりも途絶えてしまう。

 残るのは、空っぽになった腕輪だけ。

 死してなお、私を奮い立たせてくれた君の声援がもう聞けなくなってしまう。


 苦しい。


 私は選ばなければいけない。


 死の後も私を想ってくれているナルルカ。

 今、死に直面しているご主人様。


 そのどちらを残すのかを。


 狂いそうになる。

 もう残された時間は残りわずかだと言うのに、葛藤が続いている。


 この決断で全てが決まるんだと思う。

 私のこの決断で、ご主人様の運命が決まる。


 魔術師は、真剣な表情で私を見つめている。


 もうこの世にはいない幻影を選ぶか、必死に生きようともがき続けている主人を選ぶか。


 答えは明白なのに、踏ん切りがつかない。

 だって、まだ私の心がナルルカの死を受け入れていないから。


 ……。


 ナルルカは、不器用な私を気遣ってずっと一緒にいてくれた。

 ご主人様は、戦闘しかできなかった私に家事を教えてくれた。


 ナルルカは、初めてできた友達だった。

 ご主人様は、初めて私を雇った主人だ。


 ナルルカは、私に喜びを教えてくれた。

 ご主人様は、私の夢を叶えてくれた。


 ナルルカは、私をかばってその命を落とした。

 ご主人様は、私の失くし物を探したせいで、今命を落とそうとしている。


 ……。


『これからは二人で歩いて行こうよ。わたし達はもう互いに関係しかないんだから、だからみゅんみゅんもわたしが困ってたら助けてよね』


 ……。


 そっか。

 今度は、私がご主人様を助ける番なんだ。


 ……。


 靄がかかっていた心が、澄んだ空気に呑まれた。

 暗い世界に陽が差す。


 決意がみなぎる。


 もう私は、誰も失いたく無いんだ。

 大切な人が死ぬのは、もう嫌なんだ。


 ナルルカは私の心で生きている。

 腕輪に残された彼女の意思が消えようとも、私の中で生き続ける。


 だから、今は目の前の大好きな人を助けないと。



「腕輪の魔力を使ってくれ。それでご主人様が救えるのなら、私は喜んでそれを差し出す」



 二つに結ばれた髪束を弄りながら、魔術師は私に言う。



「聖騎士だかメイドだか知らないけどさ、あんたのその判断はこっから先、一生消えることのない一番星になるわよ。だって、あんたのその決意がエリゼ・グランデを救うんですから」



 魔術師はそれだけ言うと、聖女の元へ駆け寄っていった。

 彼女の何かに耐えるようにしていた表情は、緩やかに溶けて希望に満ちた顔になった。

 話を聞いていたセレナも同様に顔を綻ばせている。



「ミュエルさん、貴方がエリゼさんの左手から腕輪を取ってください。私達じゃ無理ですから」



 私の足元で倒れているご主人様を見下ろす。

 禍々しい大剣に体を預けている彼女は、今にも息を引き取ってしまいそうだった。


 その左手に強く握られた腕輪がある。



「ありがとう、私の落とし物を取り戻してくれて」



 そっと手を伸ばして、腕輪を引き取った。

 それは引っかかることなく引き上げられる。

 もう、彼女の左手には力がこもっていない。


 腕輪をセレナに渡す。

 これでお別れだ、ナルルカ・シュプレヒコール。

 私の大切な友達。


 腕輪を引き取った聖女は、それを魔法陣の中心。

 つまり、ご主人様のすこし上の空間に浮かばせた。


 そして、聖女は純白の杖を掲げる、



「これより、完成型治癒術式『ゼタキュアル』を発動させます。ミュエルさんは私から見て四時の方角へ、リューカさんは八時の方向へ移動してください」



 消毒、欠損した肉体の復元、リハビリテーションの大幅省略など、全てを内包する治癒術式『ゼタキュアル』。


 なるほど、その術式ならご主人様を救うことができる。

 その大規模術式を発動させることができるピースが偶然ここに揃っている。


 聖魔術を扱える聖女。

 この短時間で魔法陣を描き終えた魔術師。

 そして、際限のない魔力を溜め込んでいる腕輪。


 言われる様に、私たちは魔法陣を三角の直線で繋げられる位置に着いた。

 改めて思う。

 膨大な情報量の魔法陣だ。

 基本的には魔法陣を描く用の特別なペンで描かれているが、所々にご主人様の血液で記されたであろう式が並べられているのも確認できる。

 そして、禍々しい謎の大剣を十字架と見立てている。


 正式な魔法陣はこれよりも数十倍の大きさが必要だが、それを補うレベルのアレンジが加えられている。

 さらに、その全てに破綻が生じていない。


 突貫工事とは思えぬ完成度。

 二つ結びの魔術師は、想像を絶するほどの術師なのかもしれない。



「術式の展開を始めます。ミュエルさんはただ魔力を送ることに集中してください。リューカさんは私と同時に詠唱をお願いします。

『奇跡』に内包されている魔力を過剰供給することで、本来の威力を発揮できるように魔術的価値の底上げを行います。

 では、詠唱を始めます」



 魔術的価値。

 それは魔術の威力を決める値。

 魔法陣や詠唱、魔道具の準備と言った過程の密度を高めることで、それに比例して魔術的価値も上昇する。


 逆に、詠唱の省略や粗雑な魔法陣で術式を展開してしまうと、その威力は大幅に落ちる。


 オリジナルの魔法陣を用意できなかった分落ちてしまうであろう魔術的価値を、『奇跡』の魔力で補うんだろう。

 それでも十分過ぎるほどに残存する魔力を以て、『ゼタキュアル』の発動を可能にする。



「君を愛し、私を愛し、世界を愛する。慈悲は砕けず心を燃やす。祓いて揺れる海の音は、魂を癒して春を運ぶ。愛を騙る愛すべき者にも無償の愛を。灰はいずれ星へと昇華し彼方を照らすだろう。誘え、ゼタキュアル」



 治癒の全てを兼ね備える術式『ゼタキュアル』。

 大昔の英雄が使用したとされるその魔術が展開される。


 腕輪に秘められていた魔力が大気に溢れ出す。

 それは光を灯す蝶のように空間を舞う。


 視界一面に花が咲き誇る。

 白い百合の花が広間を支配する。


 周囲の空間が星空へと変わっていく。

 煌めく星々をさらに照らす太陽が天井に現れた。


 もはや、私の言葉では表せない程の世界が遍いている。

 魔力を送ると言うよりは、術式側が私から強引に奪っていっている。


 私の隣にいた魔術師は既に魔力を全て吸い取られたためか、膝をついて意識を朦朧とさせていた。


 そして、腕輪から放たれた光る魔力が魔法陣の中心に倒れているご主人様の傷口に集中し始めた。


 光は欠損した体を形取り、仮の肉体を構成していく。

 眩い魔力がご主人様を再構築していく。


 眠い。


 魔力が奪われたことで、強烈な眠気が襲って来た。

 魔術師は既に百合の花畑で横になっている。


 だけど、私はまだ……起きていられる。


 もっと頑張らないと、ご主人様のために、魔力を絞り出さないと。


 ……。


 ……。


 ……。


 気を失うその直前に、ご主人様の体が見えた。

 何も身に着けていないその姿がそこにある。

 それは、私が最も愛している女の肉体だった。

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