第60話「私を何だと思っているんですか!」

 リュールは身をひるがえし、殴りかかるゴウトを捌いた。力任せの直線的な動きを見切るのは、それほど難しくはない。

 日が落ちるまでに、何とか壁の街までたどり着かなければならない。移動を考えると、あまり時間の余裕はない。


「そういえば、殴り合いは初めてだったな。リュール」


 ゴウトの軽口に無言で返す。相容れないとわかった相手と会話をする気には、到底なれなかった。


「ルヴィエとお前はよく喧嘩していたよな」


 あの頃は大きく思えた体躯も、今となっては印象が違う。丸太のような腕から伸びる拳も、当たらなければ意味はない。

 それよりも、今はブレイダだ。彼女を手にしなければ、この場を切り抜けるのは不可能に近い。それがわかっているゴウトは、リュールとブレイダの間にその身を置いている。ブレイダ自身はスクアに動きを止められ、呼びつけることもできない。


「お前たちといる時は楽しかった」


 当てるつもりのない拳を繰り出すゴウトは、どこか楽しげだ。瞳に傭兵団時代のような優しい光が見え隠れする。


「ほら、もう少し小さく避けろリュール。反撃が遅くなるぞ。なぁ、ルヴィエ」


 この場にいない者に語りかける彼の言葉は、あの頃に戻っていた。人を恨み憎み、狂人となった恩人は、ひとり過去を見ているようだった。

 リュールはそれがたまらなく不快だった。何もできない自分にも、熱い怒りが込み上げる。

 こんな哀しみは、止めなければならない。例え、かつての仲間を殺してでも。


「どうしたリュール、もう疲れたのか?」


 顔面に向け殴りかかる腕に、側面から手刀を当てる。軌道が逸れた拳は、金属製の胸当てにぶつかった。衝撃に呼吸が苦しくなる。石のような拳を受けてその程度で済んだのは、騎士団の鎧を纏っているからだ。

 リュールは動きを止めたゴウトの腕を掴み、捻る。同時にその足を蹴り払った。


「うおっ!」


 勢いに任せ、ゴウトの体が回転する。そのまま背中から地面に叩きつけた。腕は捻ったまま顔面を踏み付け、叫んだ。


「俺の剣が、そのザマで良いと思うのか!?」

「ひゃ、リュール様」


 リュールの巨体を振りほどこうと、ゴウトが暴れる。長くは持ち堪えられそうにない。

 ここでブレイダが呼びかけに応えなければ、結果的に負けることになるだろう。しかし、リュールはそんなこと考えていなかった。自分の愛剣は、期待に応えないはずがないのだ。


「俺は今から仲間殺しをする! それに付き合え! 俺の剣なら当然だろう!」

「はいっ! お供します! させてください!」


 絶叫に近い声を受け、ブレイダが押さえつけられた体を動かす。スクアの小さくも力強い腕が徐々に緩んでいく。


「な、この、小娘!」

「私は小娘じゃない! 私を何だと思っているんですか! 私は、リュール様の剣、ブレイダですよ!」


 ブレイダは少しの隙間で身を捩り、スクアの脇腹に膝蹴りをいれた。一瞬だけ怯んだ隙を突き、鼻に向け頭突きを放った。


「むうっ!」

「どけ!」


 少女二人の体が離れる。ブレイダはスクアの鳩尾を下から蹴り上げ、吹き飛ばした。少女の全身が自由になる。


「リュール様!」

「ゴウト!」


 大剣と斧槍は同時に主人の名を呼び、駆け寄った


「ブレイダ!」

「スクア!」


 弟子と師匠であった男達も、愛用する武器の名を叫んだ。

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