傷と瑕
およそ一時間以上にも及んだ『泥鷹』残党による“医神”神薙隆一郎への襲撃はようやく終わりを迎える事となった。
長時間暗闇に閉じ込められていた人々は、あれだけ強固だった“影”の壁が溶けて消えていくのを目の当たりにして、ほとんどの者が安堵の涙を流していた。
だがそんな彼らの喜びの感情は、明るい日の光で露わになった地面に倒れ伏す他の人達の姿を見たことで、すぐに現実に引き戻された。
死んだように血を流す人達の姿が、一歩間違えば自分であったのだと、彼らに思い知らせてきたからだ。
そんな凄惨な現場で即座に動いたのは神薙隆一郎だ。
誰一人として自分の前で死なせないと宣言した彼は、周りの無事だった者達に声を掛け、倒れる怪我人達を病院に運び込むように依頼して、すぐに治療へ向かっていった。
世界的な名医が率先して動いたことで、状況を理解した群衆によるさらなるパニックは何とか抑え込まれ、全員が粛々と怪我人の治療への協力に動いていく。
『グウェンは用意しておいた専用の拘束を施して動きを封じてます。今のところ意識が戻る様子はないですね』
そんな中ロランは人の集まりから一人離れ通信機を片手に報告を上げていた。
国外の、通信越しにしか状況を把握できない仲間に向けた情報伝達。
だがそれは、現状の報告のみであり、その経緯の説明は要領を得ずそれでいて不明点が多すぎた。
実際通信先の相手からは文句が飛んでくるが、分からないものは分からないのだから仕方ない。
レムリアの一撃をまともに受け重傷を負ったグウェンが転移による逃走を図って直ぐ、病院は再び、これまで以上に全ての知覚も阻害される深淵の暗闇に呑み込まれた。
保身の為だけの逃走……いいや、暗闇の毒性を利用した遅延戦術だと理解したロラン達が状況を理解し、血相を変えて即座にグウェンの捜索を開始したのだ。
だがそれも束の間。
突然暗闇が晴れ、姿を消していたグウェンが意識を失った状態で倒れているのが発見された。
レムリアの最後の攻撃によるものか、激しい全身の損傷からは、意識が戻ったとしても逃走が難しいのが見て取れる状態。
それだけなのだ、現場にいたロラン達でさえ分かっている事は少なすぎた。
不明点が多すぎる。
もしもその怪我がレムリアの攻撃によるものであれば、どうして倒れていた場所まで逃げられたのか。
姿をくらましてからあった攻撃の為の異能の出力も、突然糸が切れたように消え去ったのは何故なのか。
暗闇の中で起きていたことが、ロラン達は何一つ掴めていなかった。
『……意識を失った原因は、その、不明で……転移先で完全に意識を飛ばして気絶してたんですって……いやほんとに。多分、それまでの蓄積していたダメージが限界を迎えたんじゃないですかね。ほら、レムリアにボコボコにされてましたから。あ、勿論俺も攻撃を入れてはいましたよ、はい』
『アンタのその曖昧な情報が、今回の件の根本的な原因だって理解してるのかいボケナス! レムリアの一撃で本当に命からがら逃げだしたんだったら、海を越えたどこか安全な場所に逃げると思わないのかい!? わざわざアンタ達がいる病院の近くに転移したってことは、まだ戦えると判断したからに決まってるだろう!』
『確かにそうなんだよ。流石リーダー、誤魔化せないね』
『馬鹿にしてるのかい!?』
ロランは電話先のヘレナの言葉に思わず納得の声を漏らして頷いた。
グウェンの性格からして、ヘレナの推測の通りに動く方が不自然さが無い。
そんなことは長年スパイ活動をしていたロランだって分かっている。
『まあ、当初の目的だった『泥鷹』壊滅は果たせた訳ですし、不明点の解明は後ででも……』
『女のケツを追いかけまわしてばかりのチャラポラン!! もう少し頭を回しな! 奴が倒れたのには何か原因がある筈さ! 報告に上がってた『異能の出力を弾く外皮を持った存在』とかも考えられるから、直ぐに周辺の不審な点を捜索すれば…………いや、待ちな。やっぱり良い。こっちも余裕なんて無いんだ。こっちを攻撃して来ないなら今は取り敢えず、自分の休息と怪我人の救護を優先するべきだね。被害に遭った一般人の救護は何よりも大切だし、どうせアンタの事だ、態度には出して無いけどアンタ自身の怪我や疲労も少なくないんだろう?』
『ははは。やっぱりリーダーはグウェンなんかよりも人を率いる魅力に満ちていますよ。どうせ労わってくれるなら、お酒も交えて夜にでも』
『こんな婆を捕まえて何を言ってるんだい、好色家もいい加減にしな。それとこの話はレムリアにはするんじゃないよ。あの子は何でも自分でやろうとする癖がある。変に気負わせることは無い。もう少しで私達もそっちに到着するから、それまでは油断するんじゃないよ』
『分かってますって』
そう言ったロランはこれで報告は終わりかと考え、そう言えばと、あることに思い当たる。
『ウチの予算ってまだ余りがありましたよね?』
『……無駄遣いは許さないよ』
『しませんって。実は優秀な人材を見付けたので勧誘しようかと。異能持ちじゃないようですけど、まあ、優秀な人材ならいくらでも欲しいって言うのがリーダーの口癖じゃないですか。見たところ、ルシアの様な役回りを任せられると思います』
『ふん、好きにしな。切るよ』
電話が切れる。
ロランは覚悟していたよりもずっと叱責されなかったことに内心感謝しつつ、疲れたように深い溜息を吐いて周りを見た。
捲れ上がった道路や至るところに罅が走ったアスファルト。
怪我人を次々に病院の中へと運び込んでいく応援に駆け付けた警察官や病院の職員達を眺める。
想像していたよりも被害は少ないが、それでも痛々しい傷跡がそこら中に残っている。
どれもこれも、自分がグウェンの異能を理解していれば出ることの無かった被害だった。
ヘレナであればグウェンを無力化するのは難しくないだろうし、何かしらの方法で足止めさえすれば、それで終わった話だったのだ。
終わったことだが、何も思わない訳ではない。
同じように肩を落としているレムリアに近付き、ヘレナへの報告を済ませたことを伝える。
『レムリア、こっちの報告は終わったよ。ルシア達は……』
『ルシア達に大きな怪我は無いみたい。警察関係者で一番重傷なのもあの柿崎って言う人らしいし、命に別状はないみたいだけど。でも、病院内で延命治療をしていた人とかはやっぱり……』
『そうか』
無力化したテロリスト達の拘束状況を監視しているレムリアの隣に座る。
テロリスト集団の『泥鷹』及び現状最強と名高い異能持ちを鎮圧したとしても、それでロラン達は何かを得た訳ではない。
受けた被害の方がずっと目に見えて大きかった。
『……僕がもっと早くグウェンを見付けて倒せればこんなに被害は無かったのに』
『こういうもんだよ、レムリア。こういうのが普通なんだ。お前は人よりも色んなものを何とか出来るから中々こういう機会がなかったかもしれないけど、どうしたって被害は出るもんだ。俺らは神様でもなんでもない、やれることは限られてる』
『でも……』
『限られた人員、戦力でよくやった方さ。今回の原因は情報を集めきれなかった俺とウチに所属する探知型の異能持ちの少なさにある。んで、探知型の異能持ちを集められてないのは人事の問題だから、現場のレムリアがそこまで背負うことは無い。むしろよくやったよ』
慰めるようにそう言ったロランに励まされたのか、レムリアの表情が少しだけ明るくなる。
『まあでも、また地形を変えたから色んな所から苦情が入って最前線の場からは離れた場所の配置が続くと思うけど……』、なんて続けたロランの小声は聞こえなくて正解だろう。
それから、レムリアはぼやく。
『探知系統の異能……“顔の無い巨人”さんが仲間になってくれればいいのになぁ……』
『レムリア……あんまりそういうのは』
『国際警察の立場上問題があるんだよね? でも、あの人はこれまで捕まえて来た異能犯罪者とは全然違うんだよ? ヘレナお婆ちゃんだってそれは認めてて……』
『分かってるさ、アレがやって来たのはグウェンの様なただのテロリストとは違う。奴が行った可能性のある善行は数え出したらきりがないくらいだからね。実際ソイツに会ったことあるのは俺らの中ではレムリアとリーダーだけで。そいつの何となくの人柄も、俺よりずっと分かっているんだろう。もしかしたら2人が言うように、完全な悪じゃない可能性は俺だって考えてはいる』
それでも、とロランは言った。
『たった一人で世界を支配できる奴を、野放しになんて出来ないんだ。兵器としての枠に収まる俺達とは事情が違う……大人は色々汚いんだ。悪いなレムリア』
『うう……』
夢にまで見た光景が難しいのだと改めて言われ、悲しそうに俯くレムリアにロランは意味も無い罪悪感を覚え、頭を掻く。
(……まあ、逆に言えば奴の脅威があるからこそ今の俺達の待遇があるんだ。この微妙なバランスの上で成り立ってる均衡は、何とか維持したいものだが……)
純粋なレムリアとは裏腹な到底表には出せないような思考をしている自分に嫌気を感じながらも、ロランはようやく終わった自身の内偵任務にほっと胸をなで下した。
‐1‐
飛鳥さん達が『泥鷹』のボスを仕留めそこなったのは周囲を囲う“影”の壁を見ればすぐに分かった。
これ以上の反撃の手は皆無に近く、逃げに徹した『泥鷹』のボスの思考から、もはやまともに戦うことが無いのが読み取れていた。
だからこそ、私は強硬策に出た。
『泥鷹』のボスが“影”をより濃く、より深くしたタイミングを見計らっての攻撃。
それも、可能な限り異能の使用を抑えるために、精神干渉の末期状態に持っていきながら恐怖を使って精神を揺すり、暗闇解除のほんの一瞬に合わせて電力に乗せたマキナの全力の異能使用で叩きのめした、と言う形。
私の異能の性質上、時間を掛けられればどんな奴でも倒せると言うのに対して、遅延策を取る『泥鷹』のボスは非常に相性が良かったのだ。
だから今回はたまたま。
本当にたまたま、私の相性が良かっただけで、別にそれまで相手してきた飛鳥さん達がどうとか言うつもりは全くない。
「あ、飛鳥さん、その手はなんですか!? ま、まさか、ぶったり、ほっぺを抓ったりなんて事はしないですよね? そうですよね、私今回頑張りましたし、疲れてますし、飛鳥さんは理由なくそんなことする人じゃ――――痛いっ、やっぱり抓って来た!?」
グニグニと私の頬を抓って回し続ける飛鳥さんは、青筋を立てながら笑顔を浮かべている。
心配とか怒りとか、いろんな感情がごちゃごちゃとしているが、何よりもこれは八つ当たりなのだとすぐに分かる。
結局自分では仕留めきれなかった『泥鷹』のボスを、飛鳥さんにとって一番やらせたくなかった私にとどめを刺された自分への怒りを、私にぶつけているのだ。
今は日本で最も有名な人物となっている正義の超能力警察官は、酷く私情に満ちた八つ当たりを、こんな幼気(いたいけ)な少女にやってしまう人物なのである。
「私は、危ないので動かないでって言いましたよね? ちゃんと言う事聞かないとこっちとしてはすっごく困るんですけど☆ 分かってますかぁ、おチビちゃん☆」
「そ、そんなのが理由じゃない癖に……」
「口答えするな☆」
「ほげー!?」
警察官として一般人の危険な行動を指導する。
……その枠組みをちょっと踏み越してる気がしなくもないが、あくまでその体で私に対して攻撃を仕掛けてくる飛鳥さんにされるがままに頬を引っ張られていた。
絶妙に痛すぎないようにしているのは、僅かに残った飛鳥さんの優しさだろう。
そんな配慮するくらいならこんなことしないで、褒めたり持て囃したりしてくれればいいのに。
チラリと怪我人の搬送でも手伝った方が良いんじゃないかと言おうとしたが、どうやらそんなものはとっくに終わらせてからこっちに来たらしい。
後は噂の“医神”さんにお任せするしかない、と言う訳のようだ。
私達のやり取りを見ていた神楽坂さんが、なんとか諫めようと声を上げる。
「お、おい、それくらいにしてやってくれ飛禅。怖がりながらも佐取は協力してくれたんだから」
「燐香が? 怖がる? はっ、先輩って本当になんて言うか、騙されやすいですよね。燐香が怖がる相手なんてこの世にいる訳ないじゃないですか。きっと今回も私の手際の悪さを陰から覗いて小馬鹿にしてたんですよ。自分ならもっとうまくやれるのにって」
「いやいやいやっ!? 普通に怖かったんですけどっ!? それに前線張ってた飛鳥さんを尊敬こそすれ小馬鹿になんてする訳ないじゃないですか!?」
「……そ、そう」
「え、ここで照れるんですか? ちょ、反応に困るんですけど」
気持ちの浮き沈みが激しい飛鳥さんに振り回される。
さっきまで怒っていたのに、私が少し褒めただけで照れてそれまでの怒りを忘れてしまうのだから、私の受けた痛みが馬鹿みたいだ。
とは言え、異能関係の仕事なんて言うものをほぼ強制で任されている飛鳥さんの身の上を考えれば、多少の理不尽くらい我慢するつもりではあるが……。
「……ともかく、あんまり俺らと接触してると疑われる。飛禅はそろそろ戻れ」
「えー、先輩自分だけズルいんですけどー。また奢ってくれるって言ってた美味しい定食屋にも連れてってくれないですしー? 私だって気心が知れた人達と話をしていたいですしー? 御褒美が見えないとやる気にならないって言うかー?」
「くっ……め、めんどくさい絡み方は全然変わってないなコイツっ……!」
「え、美味しい定食屋……? 神楽坂さん、私連れて行ってもらってない……」
「お、落ち着いたら二人とも連れて行くからっ! 良いから飛禅は他の奴らのところに行け!」
言質取りましたからね、なんて言っていらずらっぽく笑った飛鳥さんは、抓っていた手を離すと最後に私を思いっきり抱きしめ、にこやかな笑顔で離れていく。
本当に言動が小悪魔的な人だと、その背中を呆然と見送った私は神楽坂さんを見上げる。
頭を抱えてしまっている神楽坂さんに少しだけ同情する……いや、美味しい定食屋さんに私だけ連れてってもらってないとか許せないのだけど。
そんなこんな話があって、騒動が終わった病院に残っていた訳だが、私と神楽坂さんはお互い大きな怪我も無いし医者に掛かる必要も無い。
本当なら異常がないかの検査くらいはしたいが、この場での診察は他の重傷者に優先するべきであるし、神楽坂さんの「一旦帰るか」という肩を落としながらの提案に、私は特に反対することも無く従う事にして歩き出した時だった。
「おっと、ちょっと待ってくれないか」
そう声を掛けて来たのは、『泥鷹』のボスとやり合っていた異能持ちの一人である見知らぬ男性であり、その隣では、二つの異能を持つ異次元の天才少年、レムリア君が嬉しそうに私達に向けて手を振っている。
この見覚えのない男性はたしか、ロランと呼ばれていたやる気の無さそうな中年男性だ。
柿崎と呼ばれるあの鬼の警察官とは正反対に、細身の体で気だるげな雰囲気を醸し出すこの男性は、見るからに一筋縄ではいかなそうである。
何だか嫌な感じなので、私はそっと神楽坂さんの後ろに隠れることにした。
「警戒しないでくれ。俺はロラン・アドラー。ICPOで対異能犯罪の部署に所属してる。今回、テロ集団『泥鷹』の制圧に協力してくれて感謝している。お兄さんたちの協力があったからこそ今回大勢の人が救われたらしいからね、こうして感謝の言葉を伝えたかったんだ」
「これは、わざわざご丁寧にどうも。今回は知り合いの見舞いの際に巻き込まれただけで、協力したのはこっちも事情があったからだ。何か特別なことをした訳じゃないからお礼なんていらない。それとも、病院の上の階であった詳細な話が聞きたいのなら、あっちの警察関係者に……」
「“紫龍”だっけ? あー、まあ、向こうの人にはあとで話を聞くさ。それよりも、俺は君達に興味があるんだ――――全員が異能を持った武装集団を相手に互角以上に立ち回った、一般人に」
「……それはどういうつもりの発言だ?」
眉を顰め、声を低くし、警戒するような姿勢になった神楽坂さんにロランさんは慌てて手を振った。
「ああ、違う違う。すまん、変な誤解を与えたな。俺らのような異能を持たないのに優秀な人がいるもんだと感心しているだけさ。それに、その件で話があるのは警察官のお兄さんじゃなくてそっちの子。可愛いお嬢さん、少し俺の話を聞いて頂けないかな?」
「え゛」
急な矛先の変化。
出来れば関わりたくない組織のトップ3に入ってくるICPOから話し掛けられるなんて、と私は思わず心底嫌そうな声を出し、神楽坂さんの背中からそろりと顔を出した。
軽く読心するが、どうやら異能持ちとして疑われている訳ではないらしい。
「まず、君にも礼を言わせてくれ。体調を崩したレムリアを背負って歩いてくれたそうだね。本当にありがとう。君のおかげでレムリアはこうして無事でいるし、何よりレムリアがいなかったらテロリストは倒せてないだろうからね」
「……人として子供を見捨てるなんて出来ないですし」
「そう考えられる君は間違いなく善人だ。そして、君がグウェンと相対した時に見せた回避能力、冷静に状況を俯瞰し即座に判断を下す力、その上、あの状況下で誰に対しても物怖じせず指示を出す胆力。どれをとっても素晴らしかった。異能と言う超能力を持つ人間の中でも最上位に位置する実力者のグウェン・ヴィンランドに対して、あれだけ渡り合える一般人を見たのは初めてだ」
「は、はぁ……」
突然私をべた褒めしたこの男は、そこまで言うと一度言葉を区切った。
私の前に仰々しく膝を突いて、懐から一枚の名刺の様なものを出したロランさんはそっと私に差し出した。
差し出されたのは、国際警察の柄と英字が印字された一枚の紙だ。
「物は相談なんだが、その才覚を国際警察で振るってくれないか?」
「嫌です」
ブンブンと首を振りながら即答した。
差し出された名刺も受け取らない、考える余地も無く嫌なのだ。
私が一切悩むことすらせず即答したことで、ロランさんが呆然としているがそんなもの私は知ったこっちゃない。。
なんて言ったって今回、私はまともにテロリスト集団とやり合ってないのに関わらず心が折れかけていたのだ。
それなのにこれが連日続く仕事とか、少し考えただけでも耐えられない。
そんな将来を選ぶくらいなら私は一生ニートになる。
マキナに株取引でもやってもらって、適当に引き籠って暮らすのだ。
「な、なんでかな? 給料とか凄いよ? 多分この国の平均収入の五倍くらいはあるよ? 一般人枠なら休みとか手当とかも充実してるし、特にうちの部署は待遇凄いよ?」
「私、外国語喋れないですし、学生ですし、日本離れたくないですし、危ない事も痛い事も嫌いですし、怖いのも嫌なので……」
「凄い量の理由だね!?」
せっかくウチの奇人変人を御し切れそうな優秀な人材を見付けたと思ったのに……、と言って肩を落としてしまったロランさん。
警察にだって協力したくない私が、自ら危険な職業になんて就く訳が無いのだ。
「あー……悪いね、時間を取らせて。じゃあ、俺達はこれで……」
「お姉ちゃん、ロランが変なこと言ってごめんね。気にしなくていいからね。絶対また会おうね!」
そんな風にひらひらと手を振りながら去っていくレムリア君達に手を振り返しながら、神楽坂さんから何か言いたげな視線を感じ取る。
隠れた異能持ちであり、色々悪さをしてきただろう疑いがある私の態度に、何か思う所があるのは当然だろう。
「……佐取はやっぱり、国家権力みたいのが絡む組織は信用できないのか?」
レムリア君達が十分に離れたのを確認して、小声で神楽坂さんがそう聞いてくる。
「えっと、神楽坂さんが何を聞きたいのかは分かります。……そういう組織が信用できない訳じゃなくて、多くの人の思惑が絡む組織に身を預けるほど信用することは出来ないと言う方が正しいと言うか」
「他人を信用し切れてない、と言うことか」
「あ、いや、そこまで潔癖な話じゃないですし、神楽坂さんとか飛鳥さんみたいな個人単位では全然信用してるんですよ? でも、見知らぬ他人の思惑が多く絡んでいる集団を、私は無条件で信じることは出来ないんです」
「俺は……警察は、少なくとも佐取みたいな子供にとっては無条件で信用できる組織であってほしいと思ってるんだがな……」
少しだけ悲しそうにそう言った神楽坂さんを目の当たりにして、改めて考える。
確かに意識したことは無かったが、何かあった時警察に助けを求めようと言う考え方を私は持っていない気がする。
異能と言う、たいていの事にはなんでも対処が出来る力があると言うのはあるだろうが、この考え方が当たり前になってしまったのは何時からだろう。
ちょっとだけそんなことを考えたが、なんだか自然とこういう考え方になってしまっていたとしか思い出せなかった。
「……これまで近くで見て来た俺の個人的な感想なんだが……佐取は色んな人を助けても、佐取自身が誰か他人に助けを求める事は無い気がする。佐取は優秀だから困ることの方が少ないのかもしれないが……俺はそこが少し心配だ」
「え、っと、そんな心配されたのは初めてで戸惑ってます……だ、大丈夫ですよ! 確かに私から誰かに助けを求めるのは少ないかもしれませんが、それはただ単に信用できる人が少なかったからで…………あれ? 私もしかして凄く寂しいこと言ってます? い、いや、そういうことを言いたいんじゃなくて!」
何だか纏まらなくなってしまって、自分でも何が言いたいのか分からなくなってしまって。
それでも必死に思い返して、自分が言いたいことを整理して、今の自分はそんなこと無いと伝えたいんだと、神楽坂さんに向き合った。
視線を地面に彷徨わせ、言葉を選んでいく。
「今は、神楽坂さんや飛鳥さんが居てくれますから。その……昔よりもずっと、誰かを頼って良いんだって、思えるようにはなっているんです。私も考え方は少しずつ変わりつつあって、ですね。わ、私こそ、お二人には本当に感謝していて……」
何だか無性に恥ずかしくなってきた。
恥ずかしさでふにゃふにゃになってきた足に力を入れて、ここまで来たら最後まで言ってしまおうと神楽坂さんを見上げる。
驚いた顔で、それで、優しく微笑んでくれた神楽坂さんに勇気を貰った。
「……本当にありがとうございます。どうかこれからも、よろしくお願いします」
わしゃわしゃー、と言いたいことをちゃんと言った私を褒めるように、頭を撫で回してくる神楽坂さん。
完全な子供扱いなのにまんざらでも無く、碌な抵抗も出来ずされるがままになる。
考えてみればそうだ。
気が付けばいつの間にか、私は自分の事が好きになっていた。
昔の私よりもずっと今の私が好きだった。
こうして変われたのは、きっとこの人達のおかげなのだろう。
「と……と、と、とにかく! 早く帰りましょう! 思ったよりも時間が掛かっちゃいましたし、これ以上長居すると家に着くころには夜になっちゃいますからね! あ、でも、最後に落合さんの様子を見て来ましょうか! あの変な暗闇で悪影響が出てない事も確認しないとですしね!」
口早にそんな提案をして、私は神楽坂さんの元から飛び退いた。
私の豹変に目を丸くした神楽坂さんが小さく噴き出すように笑い、「そうだな」と頷くと携帯電話を取り出す。
今の時間を確認し家に着く予定時間を考えたのだろう、帰り支度をしようと動き出した神楽坂さんと共に、落合さんの病室に置きっぱなしになっている荷物の回収へ向かう。
『泥鷹』の襲撃により汚れた病院の中に入った。
怪我人はまだそこら中に居て、急遽出て来た医者や看護師が彼らの対応に当たっている。
そんな中で誰かを見付けたらしい神楽坂さんが足を止めた。
「柿崎…………悪い佐取、先に睦月のいる病室に戻っておいてくれ」
「え、あ、わ、分かりました」
全身に包帯を巻かれた巨漢が床に敷かれた毛布の上で横になっている。
恐ろしい話であるのだが眠っているだけのようで、途切れ途切れの意識からは未だに闘争の意思が消えていない。
目を醒ました瞬間目の前の人を殴り殺しだしそうな人物だ。
前に会った鬼の人がここまで怪我をしたのかと思うと同時に、神楽坂さんと関わりがあることを初めて知った。
そしてその隣にいる女性にも見覚えがある。
鬼の人と会った時の、私を抱き枕にして号泣していた女性だ。
今は意識があるようでぼんやりと鬼の人を見詰めているが、怪我はそこまで重くないようで、頭を中心に包帯を覆っているだけだった。
(あの人達とはそんなに関わりも無いけど……取り敢えず、命を落とすことが無くて良かった)
私の異能では彼らの怪我を治すことは出来ない。
掛ける言葉も無いし、神楽坂さんが鬼の人の元へ歩いていくのを見送って、私は一足先に落合さんの病室へ向かうことにする。
(そういえば……)
階段に向かう途中の廊下。
私は歩きながら、暗闇に閉ざされていた時は見えなかったものを見渡して思い出す。
(あのスライム人間が何かやってた部屋って、ここなんだよね)
階段下、左手の部屋。
暗闇に包まれていた時は全く見えなかった、その部屋のルームプレートを通り過ぎざまに見る。
『機械室』と書かれたルームプレートを眺めながら、私はその部屋の前を通り過ぎた。
‐2‐
「……君は確か、一ノ瀬和美さんだったか?」
「あっ……はい。そうです、けど」
悄然とした様子の一ノ瀬に声を掛けた神楽坂は、彼女の隣に座り、意識を失い動かない同期を見る。
柿崎遼臥とは、警察学校時代からの縁だが、簡単に無理をして大怪我をするような奴では無かった。
自分の限界は分かっているし、体面にこだわったりもせず手段も選ばない。
そんな柿崎がここまで負傷したのだから、本当にどうしようもない状況だったのが分かる。
「柿崎と前に話した時に言っていた。軽率で、楽観的で、立ち止まって考える事をしない馬鹿な奴の面倒を見ることになった、と」
「……やっぱり、そう思われて仕方ないっスよね。現に何をやっても柿崎さんの足を引っ張ることしか出来てないし、悪い奴一人倒せないし……飛禅の馬鹿みたいに、私も何か特別があれば良かったのに……」
膝を抱えて柿崎を見る一ノ瀬の姿に神楽坂は、やっぱり柿崎は何も言っていないのかと苦笑する。
「……だが、自分にはない人の警戒を解く術を持っていて、行動力があって、誰かの為になりたいと頭で考えるよりも先に動ける凄い奴、だとも言ってたな」
「え?」
「不器用な奴なんだよ、コイツは。昔から友達も碌にいなかった。この強面なのに人当たりも強いし、口は悪い癖に大切なことは言わない。凄いめんどくさい奴なんだ……それで、そんな奴が珍しく俺に優秀な部下を持ったと自慢しやがった。どう思う?」
「それは……どう、思うって……」
「俺は君が言うような奴が柿崎の下にいるなんて聞いちゃいない、ってだけだ。こいつ、昔っから化け物染みた回復力してるから心配なんていらないよ」
俺がやりすぎた時も一週間経たずに回復しやがったしな、なんて。
そんな事を言って神楽坂は立ち上がる。
既に“医神”の治療を受けたのだろう、適切な措置を受けた怪我の具合を見た限り、命に関わるものではない。
それならあまり心配していれば、柿崎の性格上反感を覚えるのは目に見えていた。
特に、何かと競い合う相手として見ている神楽坂にされたものなら憤死しかねない。
柿崎はそういう奴だった。
「俺はもう行くよ。柿崎の事よろしく頼む。君も怪我してるんだから安静にな」
神楽坂はそれだけ言うと柿崎達の元から去っていく。
あの不器用な同期の人間関係が心配だったが、あれだけ慕われているのが見たら安心できた。
時間にして二分程度だっただろうか。
待たせている燐香に合流して早く帰ろうと、四階にある病室に向かい足早に歩きだした神楽坂だったが、そこで誰かに声が掛けられ止められた。
「あの、少々よろしいでしょうか?」
声を掛けて来たのは看護師姿の若い女性だ。
忙しく動き回っていたのか、服には土汚れなども付いていて、時間の合間を縫ってわざわざ神楽坂に声を掛けて来たのが窺える。
怪我人が多くいる中で忙しいだろうに、どんな用件かと足を止めれば彼女は深刻そうに眉を下げて、口を開いた。
「その、408号室の落合さんの関係者の方ですよね? 彼女の昏睡状況の件で、実はお話があってですね」
「あー……それは急ぎなんですか? 怪我人が一杯いますし、また今度でも……」
「あ、実はこの状況の事に関係していてですね……どうしましょう。ちょっと落合さんの個人情報を含めた込み入った話になるので、外で話したいんですが」
「はあ、それは時間が掛かりそうですか?」
「いえ、数分で終わるとは思います」
悩んだ神楽坂は数分なら大丈夫かと看護師の提案を了承し、彼女の後を追って外に向かう。
少し思い悩む様な表情で神楽坂を先導する看護師は、おずおずと神楽坂に視線だけを向けた。
「……先生、あ、神薙先生の事なんですけど、先生が診ても詳しい原因が解明できなくてですね。脳内に傷がある可能性が高いんですけど、レントゲン等で見ても具体的なものが見えなくて……昏睡状態って難しいんですよね。今の医学でも明確な原因が分からないことがほとんどですし……あの、落合さんって確か、事故、なんでしたよね?」
「ええ、車両による事故ですね」
「その際に頭を打って昏睡、ですか。正直私も医学に関して右に出る者のいない先生の治療があればすぐに原因は分かると思っていたんですが……」
「……そうですね、前の病院でも結局分からずじまいだったので。正直、過度な期待はしてないんです……あの、ところでどこまで……」
そんな会話をしながら病院の玄関を出て、裏手に回り、駐車場まで辿り着いた。
患者の話に、表情を暗くしていた看護師は神楽坂の車の前で足を止めると、振り返り優し気な笑みを神楽坂に向けてくる。
どうして自分の車を知っているのだろうと言う疑問が頭を過り、神楽坂は思わず懐にある車の鍵を確かめた。
「大丈夫ですよ、先生は凄い方なんです」
「はあ……」
「私は小さい頃、火事で両親を亡くしたんですけど。同じように焼け爛れて死ぬ寸前だった私を、先生はここまで治療して普通に生活できるようにまでしてくれたんです。だから、原因不明の昏睡状態くらい、先生が必ず完治させて見せますから安心してください」
自分の身の上を交えた、人を安心させるようなその話に、自然と神楽坂の顔に笑みが浮かんだ。
“医神”とはよく耳にしてきた名だが、実際の体験としてそんな具体的な話を聞いたことは無かった。
多くの人に慕われて、多くの患者に感謝されている。
そんな人がいるのだと思うと、神楽坂は無性に誇らしくなって、嬉しくなって。
カチャリ、と看護師が開いた自分の車のドアへの反応が遅れた。
「……は? 鍵は、ここに」
看護師が後ろ手に、車の鍵穴に指を入れて開錠している。
銀色の、液体の様な、変化した指が。
「――――安心して」
看護師は笑う。
その端正な顔に優し気な笑みを浮かべ、神楽坂の胸倉を掴んで笑う。
「彼女は必ず先生が完治させますから。貴方は安心して」
車の中に神楽坂をおよそ女性とは思えない万力の様な力で引き摺り込む。
そして、ドロリと液状に溶けた腕で神楽坂の口に蓋をして押し倒す。
状況を理解できない神楽坂が、咄嗟に携帯電話で異常を燐香に知らせようとするが、看護師はそれを一瞥もしないで神楽坂の手ごと針状に変化させた指で貫き、壊れたそれを外に放り捨てた。
そして後ろ手に、車の扉を閉め切った。
目を見開く神楽坂の上に前傾姿勢で馬乗りになった看護師が浮かべる笑みは、いつの間にか邪悪なものに変わり果てている。
「散々てこずらせてくれて……神楽坂、貴方は私を知らないでしょうけど私は貴方を昔っから良く知ってる。落合の奴も、入院しているその妹の事もね。白崎の奴が倒される時、お前に何を教えたのかは知らないけど、こそこそ私達を嗅ぎまわりやがって。白崎……ふざけた男、先生にあれだけ恩がありながらそれを仇で返すなんて……最初から私はアイツを殺しておくべきだと言っていたのに」
豹変する。
優し気だった看護師が、凶悪な悪意を持った人物へと。
苛立ち混じりにそう呟くと、神楽坂の太ももに刃状に変異させた腕を突き刺した。
「取り敢えず、先生が来るまで少しおしゃべりしましょうか? 最近私の分身達を破壊してるの、お前の仲間ですよね。異能も無くアレに勝てる筈ないですものね。どんなトリックを使ってるのですか? その人物の名前と異能を教えてください」
「ぐっ、お、前っがっ……先輩をっ……!!」
「関係ない事をしゃべるな神楽坂」
「ゴッ――――アアアッ!!??」
神楽坂の口から腕を離し、質問するものの欠片も質問に答えようとしない神楽坂に、不快そうに顔を歪めた看護師がさらに腹部に刃を突き刺した。
嗜虐的な笑みを浮かべ、絶叫する神楽坂を嗤う看護師がふと顔を上げる。
車の助手席に乗り込んできたのは、多くの怪我人を治療している筈の神薙隆一郎だった。
「……!?」
「あれ、早かったですね先生」
「君の張ってくれた異能の出力を感知させない部屋さえあれば異能を制限なく使えるからね。全員を治療するくらい訳ないさ。君が用意した偽物に代わってもらってあるからICPOにもバレることは無いだろう。それにしても……まったく、和泉君はすぐ暴力に走る癖がある。もっと平和的な話し合いをしようと言っていたじゃないか」
「神楽坂には散々嗅ぎ回られていた恨みがあるし、何よりもあの白崎の糞野郎がこの件に関わっていると思うと我慢できなくて……すいません……」
「悪いね神楽坂君、ICPOの人達がいるからここでは落ち着いて話が出来ない。少し場所を変えるのと……異能に探知されないよう措置を頼む、和泉君」
「はい先生」
神薙の頼みに頷いた和泉が、全身を液体化させた。
銀色の液体は、燐香が何度も遭遇してきた異能生命体である、あのスライム人間と酷似している。
体から落ちたその液体が車の内部を伝い車内全てを覆い尽くすと、鉛に近い銀色が車と同色に変化する。
彼らが外皮と呼んでいる、異能を弾く性質を持つ液体に覆われたこの車は、一瞬にして一時的に対異能車両と呼んで差し支えないものへと変貌した。
それから、和泉は刃状になっていた腕を運転席に向け伸ばし、車の扉を開錠した時と同様にして車のエンジンを掛けた。
伸ばした腕が途中でブツリと切れ、運転席側に残った腕は形を変え人型になっていく。
銀色の人型になったそれに隣の席にいる神薙が帽子を被せ適当な偽装をすると、人型がまるで普通の人間のように車の運転を開始した。
神楽坂の車が、動き出す。
血に染まった壊れた携帯電話をアスファルトの上に残したまま。
誰に知られることも無く、彼らは姿を消していった。
いつまで経っても神楽坂は病室にやってこなかった。
あまりに長い時間待たされた燐香が痺れを切らし、神楽坂を探し始めた。
病院の中、怪我人達の間をすり抜け、話していた筈の一ノ瀬達、何かしらの連絡をしあうICPOや警察の人達、誰も神楽坂の行き先を知る者はいなかった。
探し回って、探し回って、辿り着いたのは彼の車がある筈だった駐車場。
血に濡れ壊れた携帯電話を拾い上げ、呆然とそれを見詰めた燐香が状況を理解した時にはもう、彼女の探し出せる範囲には神楽坂の姿は存在しない。
膝から崩れ落ちた燐香は、ただ茫然と血に濡れた携帯電話を抱きしめた。
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