救われた少女

 




 追い詰めていた筈の男が、自分とは違う何か別の力で公園外まで吹き飛ばされて視界から消えたのを見て、『千手の男』、ステルは小さく舌打ちをして神楽坂目掛けて伸ばしていた不可視の『手』を消した。


 誰が、何をやったのかは考えなくとも分かる。

 あの男を始末する結果に変化はないだろうが、面倒な手順が増えたと煩わしく思う。



「無駄なことを。足を折り、出血も少なくない。血痕を辿ればすぐにあの男の元には辿り着く。せめて自分の逃走にでも使えば俺も手間が掛かっただろうが……お前の判断は理解に苦しむな」

「……」

「まあいい。だが、ギリギリまで生きてもらうべきだろうという考えは俺にはもうない。最後まで抵抗するのなら、今、ここで始末して運んだ方が効率的だ」

「……おまえ、は」



 虫の息の飛鳥にとどめを刺そうと距離を詰めてくるステルに、飛鳥は自分の終わりを悟る。

 そして、立ち上がることもできないのか、木に背中を預けたまま飛鳥はぽつりと呟いた。



「かおのないきょじんに……やられてしまえばいい……」

「顔の無い巨人……馬鹿げた話だ。そんな空想上の人物に縋るなど」



 目前にして、飛鳥が言い捨てたそんな言葉に思わずステルは反応してしまう。

 それが、その名が、今の雇い主がこの極東の島国を手中に収めることに最大限の警戒を払っていた理由であり、存在を確認できなくなって数年が経つ今なお、それらしき者を見つけた際は絶対に敵対せず逃げろと厳命されている事項だからだ。


 聞いた話だ、自分で見た訳ではない。

 だからステルは、その存在を信じている訳ではない。

 自分が異能も持っていなかった時の嘘の様な話。

 『たった一人の異能持ちが世界を征服した』だなんて、異能の詳細を知った今からしても到底信じられるものでは無かった。



「……お前は会ったことがあるのか?」

「だれが、いうか……」

「…………」



 一瞬迷う。

 もしもこの女が、顔の無い巨人と呼ばれる異能持ちの情報を持っていた場合、雇い主はその情報を心底欲しがるのではないかと考えたからだ。


 ステルはその与太話を信用している訳ではない。

 だが、世界規模に影響を及ぼしたのが誇大された表現だとしても、元となった人物はいるのだろうと考えていた。

 実際に起こした何かしらの事例で多くの人々に恐怖を植え付け、連鎖的に続いた他の関係ない事件がその者の関与があったと錯覚された。

 その後はねずみ算式に、話が誇大され、これだけ大きな話となった。

 顔の無い巨人の話はそんなくだらないものでしかない、そうステルは考えている。


 もしもこの女がその話の原点である人物を知っているなら、それを元に雇い主に情報を渡し、自分がその人物を始末してみせればいい。

 それだけで雇い主はこの極東の島国の支配に警戒などする必要もないのだと判断でき、もっと大々的に動けるようになるのだ。



(いや……)



 あるかどうかも分からない情報の為に、手間を掛ける必要はないと判断した。


 天秤にかけた思考を左右したのは、自身の力へと持つ絶対的な自信だった。

 例えこの女が本当に顔の無い巨人について何かしら知っていたとしても、その情報の元である人物と事前知識がなく遭遇したとしても、制圧できるという絶対的な自信が、ステルにはあったのだ。


 だから、もう喋ることすら億劫になって黙り込んだ飛鳥にとどめを刺そうと、ステルは異能を発動させて――――


 ――――バサリッ、と言う羽音と共に真っ黒な物体が鼻先を飛びぬけ、思わず後方へ飛びのいてしまう。



「カラス……?」



 鳴き声もなく、羽音もなく、まったく気が付くことが出来なかった。

 大きく空を旋回する黒鳥を確認し、ステルは上空を見上げて唖然した。

 数十、数百、いやもしかすると数千にも及ぶ真っ黒い鳥の群れが一帯の建物の上からこちらを見ている。

 一羽たりとも鳴き声一つ上げず、ただただステルを空から見下ろしていた。



「ありがとう。危ないからもう行っていいですよ」



 幼さが残る少女の声を耳にして、弾かれた様に振り返れば、声の通り背の低い少女がいつの間にかそこにいた。

 少女の声に応えたのか、先ほどステルの目前を飛びぬけたカラスが少女の指先に留まり一鳴きすると、上空にいる群れへと飛び去っていく。



(異能……いや、こいつからは異能持ちの気配がしない。ただの動物使い、か……?)


「はじめまして。自己紹介は必要ですか?」



 平坦な口調で、淡々と問い掛けた少女の目は何の光も灯していない。

 黒曜石のような真っ黒な瞳の中には、動揺を隠し切れていないステルの顔が写っていた。

 不気味な少女だった。何処から来たのかも、何を企んでいるのかも分からない。



(落ち着け、異能持ちでないなら処理は簡単だ。こんななんの才能も無いような小娘に動揺するなどらしくない)


「……いらん。一般人、とは考えない。この場に来て俺の邪魔をしたのなら、あの男にでも乞われて来たのだろう。であれば、お前の末路は決まっている」

「ええ、まあ、はい。その認識で間違いはないですね」

「俺の力について時間が無く教えてもらえなかったのか、それとも聞いてなお俺の力を見誤っているのかは分からないが……異能持ちを前にして悠長に会話するなど、自殺行為でしかない」



 不可視の『手』が少女の両足を捕らえる。

 いくつもの『手』がか細い少女の足をへし折らんばかりに握りつぶし、そのまま動けない少女の頭を正面からもう一つの『手』が吹き飛ばした。


 ほんの一瞬。

 返答の時間も、抵抗の余地もないままに終わった少女の生を冷たくあざ笑ったステルに、「そうですね」と、ある筈のない肯定の言葉が返ってくる。



「私も、相手の異能の詳細も分からないのに対策なく対峙する人は無能だと思います」

「!?」



 “ブレインシェイカー”

 至近距離から放たれた、感情波と言う名の凶器は常時展開されている『手』の壁の隙間を通り、ステルの意識をズタズタに引き裂いた。

 意識が途切れる寸前、とっさに歯に仕込んでいた気付け薬を噛み砕き、完全に意識を手放すのを防ぐが、足元はぐらつき、手は痙攣が止まらない。



(異能……!? 馬鹿なっ、コイツからは確かに異能の気配はっ……!!)



 少女の姿を探し視線を巡らせ、ようやく見つけた彼女の姿は傷一つ無く、先ほどの即死が嘘のように何事もなくその場にいる。

 今なお少女からは全く異能持ち特有の出力は感じられない、どこにでもいる只の一般人のようにしか見えはしなかった。


 制服の上着を脱ぎ、適当にそれを放り捨てた少女は気だるげに髪を掻き上げた。



「直接戦闘は得意じゃないですけど、まあ、仕方がありません」



 一斉に上空にいるカラスが鳴き始める。

 数千にも及ぶカラスの大合唱は、他の音など聞こえないほどその場に響き渡る筈なのに、少女の声はいやにはっきりとステルの耳に届く。



「さてと……じゃあ久しぶりに――――」


「私の声は聞こえますか?」

「私の姿は見えていますか?」

「私は何に見えますか?」


「――――貴方の世界は今、何色ですか?」



 ぐちゃぐちゃな問い掛けを終えるとともに、少女、佐取燐香の体から異能の力が噴き出した。






 ‐1‐





 “精神干渉”と呼ばれる異能の力はそれほど大きなものではない、と言うのが燐香自身が自分で下した結論だった。


 彼女が自分の異能を理解するためにまずしたのは、客観的な分析だ。

 出力、つまり有効距離は半径500m程度の円状、ランク付けするならB。

 破壊力、つまり物理的な破壊力及び影響力の測り、Tierとすると3程度。

 総評すると、“精神干渉”と言う異能の力はB3程度だと考えられ、実感としては無類の強さを誇ると感じられる自分の異能も、ランク付けしてしまえばまだまだ上がいると思えるものだった。


 自分よりももっと上はいる。

 もっと理不尽で、もっと現実離れした異能を押し付けてくる存在が必ずどこかから現れると言う確信を、燐香は常に持っていた。

 だからこそ、燐香は可能な限り目立つような行動はしないし、敵がいるなら絶対に正面衝突を避け、情報収集、不意打ち、奇襲、若しくは戦闘の回避を徹底してきたのだ。

 自分のこの力は最高峰の力だと思う、だが、異能同士の戦闘となると必ずしも優位が取れる力ではない。


 そう自制し、自戒することで、佐取燐香はこれまで上手く世の中を渡ってきた。

 だからこそ、こうして敵意を持つ異能持ちと対峙する状況そのものが燐香にとっては敗北に等しい。


 そして燐香の信条は『やるなら徹底的に』である。



「っぉ――――おぉオオっ!!!」



 感情波、ブレインシェイカーを数度撃ち込んでなお、ステルの動きは精細さを欠き始めたものの完全には意識を失わず、咆哮を上げ、燐香が作り上げた幻覚を含めた周囲一帯を纏めて異能で薙ぎ払っている。

 出来る限り距離を取ってやり合っているため、むやみやたらの攻撃ではこちらに命中することは無いが、距離を取りすぎると感情波の音も届かなくなる恐れがある。

 実際その影響もあって、だんだんと効果が薄くなっているのだろう。

 最初こそ薬で無理やり意識を保っていたようであるものの、その後は数秒程度完全に意識を飛ばしていたが、今は慣れもあるのか瞬き程度の時間しか稼げていない。



(さて、どうしますか)



 現状維持は決定事項として、ここからどうやって戦闘不能にまで持っていくかを考える。

 手段が全く無いわけではない、なんならこのまま現状維持するだけでも勝ちまで持っていくことは可能だろう。

 問題は、この男がまるで異能の秘匿を考えていないことだ。

 大声を叫び、周囲一帯を破壊し、木や遊具すら武器として引っこ抜く。

 これで一般人が異変に気が付かない方がどうかしてる。



(私は見られない様にしてますけど、この人はなんでここまで気にもしないのか……)


「っっ……また幻っ! どういうことだっ、お前の異能は一体なんなんだっ!?」

「分からないんですか、これだけ見せているのに? 私は貴方のそれ、よくわかりましたよ。目に見える範囲で不可視の手を出せる。握力、破壊力は元となっている貴方の5倍程度。あとは手を壁にした時の硬度を知りたいくらいですが、まあ別にそれは良いですかね」

「貴様っ、貴様ぁ!!」



 この不可視の手、破壊力は大したものだが、それ以外は別にどうってことなく、扱い方もなっていない。

 感情波によって精神が不安定になっているのもあるだろうが、異能の格差を現在進行形で分からされているのがよっぽど屈辱なのだろう、ステルはさらに怒気を強めて吠え立てている。

 どうやらこの男の異能は誇りでもあったようだ、自分の異能が通用しないということはコケにされていると同義……らしい。


 怒り心頭。

 余裕も何も無いようなすさまじい形相で、辺り一帯を破壊し続けている。



(怒りで攻撃も単調になってる……それなら攻めるのもありかな)



 無尽蔵に近い体力を持つステルに、燐香は方針を変えた。


 異能を手に廻す。

 廻らせ、巡らせ、刃のように。

 以前思わずひき逃げ事故を起こしたあの男に使用しそうになったこの技術は、燐香にとってたった2つしかない、直接相手を制圧が可能な技だ。


 トンッ、とステルに向けて歩き出す。

 あらゆる方向へ『手』をばらまくステルの思考を誘導し、安全な通り道を作り出して、その中をゆっくりと歩いていく。

 そしてステルの真横まで近づいた燐香は、異能を廻した手を水平に振り抜いた。



「っっ――――!!??」



 それを回避出来たのはいくつかの要素があった。

 ステルが昔から対人戦で金を稼いでいたこと、燐香が運動は得意でなかったこと、周囲に張り巡らせていた『手』の壁を残していたこと。

 そんないくつかの要素で、視えずとも本能的な悪寒を感じたステルが咄嗟に仰け反る形で回避をしたことで、燐香が放ったその技に触れられることが無かった。


 しかし。



「おっ、が、あ゛あ゛あ゛っ!?」



 激痛が脳を焼くようにステルを襲い、彼は感じたことのない痛みに絶叫を上げる。


 痛みの元は周囲に張っていた防御用の『手』だ。

 異能と言う力、特に自分の手足のように使い続ける形のステルの異能はまさに肉体の一部と言っても過言ではなく。

 本来ならどのような手を使っても破壊不可能なその防御は、燐香が廻した異能の刃に容易く抉り取られた。


 精神破壊、人格抹消。

 名前を付けるなら“ソウルシュレッダー”。

 効果は、触れた相手を廃人にする。

 限定的だが、超高出力を維持するその技術に他の異能がぶつかれば、裁断されるのは当然だった。



(躱されたっ、追撃……いや一旦離脱を)



 異能を廻していないもう片方の手で指を鳴らし、僅かな時間を稼ぎながら、なんて考えて。

 スカッ、と掠れた音が指先から響いた。


 練習の時と一緒だ、失敗した。



「……あ」

「――――そこかぁ!!!!」



 鬼のような形相で、“ブレインシェイカー”を失敗した燐香目掛けてステルは全ての異能を放つ。

 一方向からの攻撃なら、“ソウルシュレッダー“だけで対処すればよかった。

 けれどもあらゆる方向から、囲むように発動された即死の異能を感知して、ここからの回避が不可能だと判断。



(やばっ、やばばばばばばば!!!???)



 燐香は余裕をかなぐり捨てた。


 超高出力をしている手に廻した異能を変化させ、そのまま両手を打ち合わせる。

 そこから発動されるのは、感情波。

 “ブレインシェイカー”の上位互換、指パッチンよりも数倍規模の異能を乗せられる暴力の権化。

 凶悪な異能の暴発により、燐香に差し向けていたステルのすべての『手』は拮抗すらすることなく破壊し尽くされ、その後も暴発した異能は減衰することなくステルに襲い掛かった。


 そしてそのデメリットは、今の燐香には制御できないこと。



「あう……」



 至近距離でまともに受けたステルはもとより、使用した燐香すらその場でふらついて尻もちを突いた。

 グラグラする視界と混濁する意識で、呼吸が上手く出来ていない事に気が付き、何とか元に戻そうと深く深呼吸をする。

 ようやく戻った視界で、あの男はどうなったのだろうと探すと、顔から地面に潰れているのが確認できた。


 完全に意識が吹っ飛んでいる。

 気付け薬でどうにかなる次元を超えているから、急に目を醒ますなんてこともないだろう。



「か、勝ちー……私の勝ちー……」



 結果的に自爆特攻となってしまったので、少し納得はいかないが、まあ、勝ちは勝ち。

 想定とは違う勝ち方ではあったけれど、最後に勝てばどうとでも良いのだ。



「か、神楽坂さん達は無事に病院まで行けたのかな……?」



 そう呟いて、燐香は自分が乱入するまで嬲られていた女性と子供がいた場所へ目を向ける。

 そこには予定通り、すでに誰も居なくなっている。

 すぐにタクシーでも拾えていれば、もう病院に辿り着いている頃だろう。


 数分前の事だ。

 血塗れで、ボロボロになっていた神楽坂と出会った時に、重傷者がいることは心を読んですぐに分かった。

 神楽坂が過去のトラウマと同じように、誰かに救われて自分だけ生きながらえようとしているのも、すぐに分かった。

 だから、心が折れていて、絶望に囚われていた神楽坂に、残してしまった二人を救出するよう言ったのだ。

 自分がその男を引き付けて、神楽坂達に意識が向かないよう誘導するから、一刻も早く治療を受けさせるように、と。



(生きる気力さえ折られていたから、何かしらのやるべきことが神楽坂さんには必要だった。逆に心が折られていた神楽坂さんだから、あんな頼みに頷いたんでしょう)



 そうでなければ、きっと頷くことは無かっただろう。

 これまで自分と連絡を取らなかったのも、単なる才能があるだけの学生を殺人事件なんてものに巻き込みたくなかったという理由なのだから、なおさら、燐香一人を危険な場所に残すなんて選択を取れる人ではない。


 カアカアと、鳴きながらカラス達が寄ってくる。

 軽く口先を撫でてあげれば、彼らからは嬉しそうな感情が流れて来た。

 助け出すべき人間を始末しようとしていたステルの意識を、一度完全に離させるには劇的な舞台装置が必要だった。

 そのために咄嗟にカラス達を異能で呼び寄せたのだが、これが思った以上にうまくいった。

 一般的にカラスは頭が良いと言われているが、所詮は動物。

 命の危険があるなんて思いもしていないのだろう。



「あー……疲れた……」



 随分久しぶりにこれだけ異能を酷使した。

 それに最後には出力限界を超えたものまで打たされたため、頭痛は酷い上に鼻血まで出て来ている。

 完全なオーバーヒート状態、しばらく休養が必要である。


 気絶している男をどう処理するべきかと迷った燐香は、取り敢えず警察にでも電話するべきかと言う結論に落ち着いて、携帯電話を取り出した。

 番号を打ち込みながら、何と言ってこの場に来てもらうべきかなんてことを考えて。


 コロンッ、とステルの手から小さな筒状の容器が転がった。



「……?」



 拾い上げて、中を覗いてみたが何もない。既に取り出された後のようだ。

 手で触れているのにひんやりと冷たい温度が変わることは無く、よく分からない材質でできている。

 まるで、温度を変化させるとまずいものが保管されていたような、そんな保管ケース。



「あー……不味い気がしてきました」



 以前、煙を扱う男とやり合ったときも、奴は変なものを口の中に放り込んで異能の出力が急激に上昇した。

 遠目だったが、確かあの時男が呑み込んだ小さなものは、こんな感じの大きさでは無かっただろうか。

 そんなことを思い出して、燐香はその場に背を向けて逃げ出した。

 絶対碌なことにならない、そんな予感はすぐに的中する。



「――――オ、オオオッ、オオオオオ!!」

「ひえっ、とち狂ってる。まずいまずいっ……」



 可視化できる巨大な手がステルの周りの地面に叩き付けられる。

 巨大な手には光る線のようなものが浮かび上がっていて、巨神の腕のようにも見える。

 完全に意識がなかった筈なのになぜ、なんて考えて、いつもの自分の運の悪さかと即座に納得した。


 都合の良い強化アイテムなんてない。

 こんなもの使ったのなら、時間経過で勝手に倒れるはずだ。

 まともに対峙する必要は何処にもない。


 早々に逃走を決意した燐香に、ステルの虚ろな目が定まった。



「……なるほどな。まんまと騙された訳だ」



 悪鬼のような顔で、執念深く燐香を見据えたステルが巨大な腕で逃げ先を潰し、話しかけてくる。



「そうだ、俺に打ち勝つのが目的な筈がなかった。そうであるなら最初から、あんなに大げさな登場などせずに、お前のその精神に干渉する異能で奇襲すればよかっただけだ。それをしなかったという事は、お前は死にぞこないのあいつらを助け出すために出て来たということだ。俺はまんまと出し抜かれた訳だ」



 意識が戻ったばかりで、思考誘導を掛けきれない状態。

 絶好のチャンスをまるでふいにするかのように、ペラペラと話し掛けてくるこいつは一体どういうつもりなのか。

 そんな興味と打算から、燐香は会話に乗ることにした。



「……そうなりますね。それで、騙され切った貴方が今更何を言いたいんですか?」

「なに、随分と肩身の狭い思いをしているじゃないかと思ってな。無能な男、脆弱な異能持ち、どれもこれも仲間と呼ぶにはお前の強さには全く見合っていない。この俺をここまで追い詰めるような者が、そんな窮屈な思いをしているのかと思うと不憫になった」

「随分と持ち上げてくれるじゃないですか」

「事実だ。あれだけ不利な状況からまたふりだしまで戻させるその知性。優秀な異能、多岐に渡る技術、恐怖に打ち勝つその行動力も素晴らしい。そして俺は強者には敬意を払う」


「お前は強者だ、俺が保障しよう。お前は人の上に立つ資格がある」

「…………」



 面倒なことになった、と口を噤む。

 要するに、この男は私を認めたということ。

 自分達と組んで窮屈な世の中を変えようじゃないかと、勧誘してきているのだ。



「俺の雇用主の目的は、異能を持つ者が何の偏見もなく評価される世を作ること。そのために、異能を開花するに至っていない者を開花に導き、すでに異能を持つ者を集め、今の世の格差を一度撤廃する。真に権力を持つべきものが持つ社会へと世を変える」

「それはそれは……随分大層な目的をお持ちですね」

「そうだな、言ってしまえば俺達の目的は――――」



 世界征服、と、何の恥じらいもなくそう言い切ったステルに堪らず燐香は顔をしかめた。

 昔の自分を見ているようで、ぞわぞわとした恥ずかしさがこみ上げてくる。



「あのですね……世界征服なんてしてどうしようって言うんですか。異能を持つ人が正当に評価される世界なんて作るよりも、異能が周知されていない世の中で、隙間産業的に利益を上げる方が責任も何もなくていいに決まってるじゃないですか」

「本当にそうか? 今の権力者などどこも自分がもっとも利になるよう容易く人を虐げ、人を死地へと向かわせる。自身が無能であることを自覚せず――――」

「あーあー、良いです。それ以上は言わなくていいですって。要するに貴方は我慢ならないんですね。能力を最重要視する貴方は、コネクションや血筋で社会的強者の地位を築いている人間がいることが許せない」



 逆に、と燐香は繋げる。



「能力ある人間が環境によって虐げられていることも許せない。均等に評価がされない世の中を根本から変えたい。そのためであれば、能力のない人間はどうなってもいい。だから貴方は、能力があると認めた私をここまで引き込もうと躍起になっている。私への怒りに燃えながらも、こうして言葉を交わしている」

「――――お前は……本当に頭が回る」



 燐香の読心と予想を合わせた返答に、ステルは興奮したように言い募る。



「ならば分かるだろう? 能力が高い者が支配してこそ、人間と言う種は繁栄する。権利、平等、差別、尊重。全てが全てくだらない。この世の資源は有限だ。人間と言う種は増えすぎている。であれば選別するべきだろう。能力のない者を生かす価値は無い、能力の高い者だけを残してこそ、限りある資源を平等に分け合えるのだ。そうして、飢える者のいない世界が完成する!」

「うわぁ……」

「崇高な目的っ、完全な世界の構築っ! これ以上世界に平和をもたらす手段などありはしない! そうだろう!? さあ手を取れ強き少女よ! 我々異能を持つ選ばれた者達は立ち上がる時が来たのだ!」

「……えっと」



 盲目的で熱狂的に、まるで洗脳されていると言われた方が納得できるようなステルの言動に燐香は困惑しながら、返事を濁した。


 色々と言いたいことはあるが、結果としてこの男の目的は世界平和にあるらしい。

 世界の方向性を自分達で定め、人類と言う種での繁栄を望んでいるという。


 世界を平和に導くなんて目的自体に反対するつもりは毛頭にない。

 いくら性格がねじ曲がっているとはいえ、燐香だって争いなんてもの無い方が良いと考えている。


 目的自体にどうこう言うつもりはない。

 けれど、この男の行動は言葉にしている平和とは程遠い。



「その完成された世界とやらに一般の……つい先ほど貴方が襲った何の過ちもしていない人達の安全は考慮されていないんですか? 種の繁栄や平和を謳いながら、貴方はこの街で多くの人を手に掛けていますよね」

「何を馬鹿な事を……二本足で立って、言葉を話せば人間か? いいや、そうではない。足りえない者がこの世には跋扈している。俺は手に掛ける奴をしっかりと選別している。新たな世界に不要なものは、人間ではない」

「そんなことを言われて私が頷くと思ったんですか……?」



 顔を引き攣らせた燐香に気が付かないのか、ステルは朗らかに笑みを浮かべた。



「――――お前からは俺の雇い主と同じ雰囲気を感じる。自分の理想を果たすためにはあらゆる犠牲を許容する残虐性を有し、天に立ち全てを支配する才能を秘めている。俺の直感が言っている、お前のその口や顔に出ている偽善は、薄皮一枚程度の仮面だとな」

「――――…………」



 だから、実際は見知らぬ赤の他人が死んだと聞いてもお前は何も思わないだろう、なんてステルは言った。


 ピキリと、燐香の表情が凍る。

 反射的に片手で自分の頬を触れて確認してしまう。

 触れた頬の感触は柔らかく、口元はちゃんと持ち上がっていた。



「そう不安がるな、俺達皆がそうだ。異能を与えられた人間全てが、出来ない人間を見下している。俺達は俺達同士でしか分かり合えない。どこまで行っても異能を持つ者は持たない者と分かり合うことは出来ないのだ。たとえそれが家族であろうとも、な」

「……」



 それはそうだ。

 ずっと昔からそんなことは分っていた。

 自分は両親や兄妹とは違う。

 そんなことはずっと前から理解していて、とっくの昔に諦めた。


 もういいか、と燐香は思う。

 これ以上こいつの話を聞いていても気分が悪くなるばかりだ。

 だから、もう終わらせてしまおう、そう考えた燐香が自身の異能の出力を強化しようとして、彼女の異能の探知範囲に、この場所にいる筈がない人がいることに気が付いた。



「俺とお前の精神構造はそう大して変わらない。その点に気が付いているかどうかの違いだ。俺を殺人鬼と罵ろうとも、お前は俺と同類でしかない」


「――――いいや、違うな」



 何も言い返す事も無いまま口を噤み、ボンヤリとステルを見て立ち尽くしていた燐香の隣に男が立った。

 頭から血を流し、足も引き摺っていて、片手は碌に動かせないのに、その男はこの場に戻ってきて、もう一つの手で燐香の頭を優しくクシャクシャと撫でまわす。


 ステルはその男を見て、余裕ぶった笑みを怒りで染め上げた。



「お前っ……!」

「この子はお前とは違う。異能なんてありえないようなものを持っていても、この子はお前と似通っている点なんてない」



 呆然と、目を見開いてされるがままに、頭を撫でられる燐香は隣にいる誰かを見ることもない。

 それでも、自分自身でさえ信じ切れない人間を、心の底から信じている男が隣にいる事だけは理解できた。



「見知らぬ誰かの為に自分を危険にさらせて、無力な男の為に手を差し出せるこの子は、誰よりも優しくて誰よりも強い子だ。お前が思うよりもずっと、この子は色んな人を救い上げて来た」

「何も持たない人間にいったい何が分かるっ! 持たぬ者が持つ者を理解などは出来ん!」

「いいや、少なくとも俺はこの子をお前よりもずっと見て来た。俺はこの子に救われてきた。だからこそ俺は、ここにいる。優しいこの子のためならこんな命、惜しくはない」



 なんで、と燐香が疑問を言葉にする。

 彼は他の怪我人を連れて病院まで向かったはずだ。

 この殺人鬼は自分ではどうしようもないと理解して、命の危険しかないのだと理解して、自分がこの場からに逃がした筈だった。

 それなのになぜこの人はこの場所にいるのだろう。

 そんな思いから呟いた言葉に男はクシャクシャと撫でる手を止めて、膝を突いて燐香に目線を合わせた。



「君のおかげで、俺の後輩も、被害者の少年もなんとか病院まで送り届けることが出来た。俺一人では絶対に出来なかったことだ。君が、無力な俺を助けてくれるのに、俺が何もしない訳が無いだろう? 異能があるとか、異能が無いとか、そんなことはさして重要じゃないんだ。手を差し伸べてくれる人を置いて自分一人安全な場所へ隠れるなんてできる訳がない」

「……」

「例えこの命が失われることになろうとも、君がその身を賭けて救いの手を伸ばしてくれるなら……俺は君の為に命を懸けて盾になる。君一人でなんて、戦わせない」

「…………神楽坂さんは、やっぱり馬鹿ですね」



 男は、神楽坂は何もできない筈なのにこの場にまた戻ってきた。

 過去のトラウマと、今の無力な自分に散々打ちのめされたにも関わらず、神楽坂はまたこの場にいる。

 打算も勝算も何もない。

 自分がそうするべきだと思ったからここにいる、そんな馬鹿げた理由しか存在しなかった。


 人は彼を浅はかだと言うだろう。

 殺人鬼の元へと残した少女を救うために戻ってきた警察官である彼を、無力な彼を、きっと誰かは笑うだろう。

 殺人鬼の元に残った少女もそんな無力な警察官を見て、少しだけ視線を彷徨わせ恥ずかしそうに微笑んだ。



「仕方ありませんね。神楽坂さんが私をそんな風に信じるなら……きっと私はそうなんでしょう」



 少なくとも、他人を傷つけることしかしない男の言葉よりもずっと、神楽坂の何一つ偽りのない言葉は燐香の心に響いた。



「下らんっ、下らん下らん下らんっ!!!」



 可視化した巨神の腕が動き出す。

 交渉が決裂したと受け取ったのか、それとも神楽坂だけを黙らせるつもりなのかは分からない。

 もう知る必要もないからだ。


 激高したステルから庇うように前に出ようとした神楽坂を、燐香は「何もしなくて大丈夫ですよ」と言って引き留める。



「状況は詰みです。これ以上どうこうする意味はありません」

「それは……?」

「勝敗はすでに決しています、神楽坂さんの怪我も軽傷ではないのですから、必要以上に動く必要ありません」

「ふっ、ははは! そうだっ! お前らの様な見苦しい偽善者どもなどっ、口先だけで何もできない無能に過ぎん!! 俺のこの神のごとき力に平伏しっ、無様に散れっ!!!」



 巨大な数多の腕が轟音と共に振るわれる。

 勝利を確信しているステルの怒声とともに、迫りくる巨神の腕に神楽坂は顔を引き攣らせながら燐香を抱き寄せて。



「ええ、それでは――――そんなゴミ異能しか持てなかった無能に、上下関係を叩き込みましょう」



 ――――停止した。



「…………? な、なんだ?」

「……………………」



 あれだけ怒声を吠え立てて、怒りに任せて巨大な異能を振るおうとしていたステルの全ての動きが停止した。

 突然電源を落とされたかの様に体の力を失ったステルは、唯一残された眼球の自由だけで状況を把握しようと辺りを見渡した。



「私が貴方に接触してから10分が経過しました。意識を失わせてしまうと言う事故はありましたが、それでも合わせて5分ほどの時間さえあれば、末期状態まで持ち込むのは容易かったです」



 佐取燐香の異能の一つ、思考誘導。

 それを燐香はステルに対して常に仕掛けていた。

 違和感を感じられない程度の微弱さで、甘皮が剥がれていくようなゆったりとした速度で、ステルの感覚は徐々に燐香の手中に収まっていっていた。


 もうすでに彼の体の自由は彼のものでは無い。



「……さて、私もこれは長く続けられないので早急に終わらせます」



 体と異能の自由は奪った。

 つつっ、と燐香は鼻から血が流れ始めるのを拭いながら、ステルに問いかける。



「私の声は聞こえますか?」



 聞こえている。

 何重にもなったような不気味な声が、ステルの頭の中に響き渡っている。



「私の姿は見えていますか?」



 見えている。

 二足歩行で立ち両手からは力を抜いている、ノイズが走る少女の姿が見えている。

 そして、その後ろには。



「私は何に見えますか?」



 巨大で、人型で、口以外顔の無い巨人が目の前にいる。

 ステルは理解した。

 目の前のこれが顔の無い巨人なのだと、理解した。



「――――貴方の世界は今、何色ですか?」



 世界は白黒で、空は赤くて、太陽は真っ黒に染まっていた。






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