報いの数





 本庁から派遣された捜査員、柿崎遼臥は秘密裏にもたらされた本庁からの情報に険しい顔を隠し切れないまま、一人思考を巡らせていた。

 つい先ほど来た、連続殺人事件の捜査をしていた氷室署警察官から死者が出たと言う情報と合わせ、柿崎は深い思考の底へと入り込んでいく。


 もしも、いやしかし、だとすると。

 そんな着眼点が次々にひっくり返るような思考の連続に、深くため息を吐いた柿崎の大きな巨体は普段以上に小さく見えた。

 だからだろう、彼の補佐として派遣された一ノ瀬が心配そうに柿崎に声を掛けたのは。



「あの、柿崎さん? 何か心配事でもありましたっスか?」

「……いや、なんでもねェよ。ただ、ついに警察官から犠牲者が出たってことは、犯人はきっとこの程度の捜査能力ならもっと暴れても問題ないと判断したか、何かしらに痺れを切らしたか。どちらにせよ、これまで以上に活発に動き回るだろうと思っただけだ」

「そ、そうっスよね……私達も、標的になりえる訳っスもんね……」



 顔を青くしてガタガタ震え始めた一ノ瀬の姿に、さらにため息を吐いた柿崎は何でこんな新人が自分の補佐なんて……、と呆れかえる。

 警察学校時代はかなりの好成績を残したと聞いたが、それでも現場と学校の授業は違うのだ。

 子守りなんて柄じゃない、そんなもの神楽坂にでもやらせておけ、とそこまで考えて柿崎はまた自分の悪い癖に気が付く。


 同期の神楽坂を何かと気にしてしまう悪い癖。

 今でこそ全国警察最強と言われている柿崎だが、学生時代神楽坂に負けて以来一度も彼にリベンジを果たせていないのが元々の原因だ。

 柔道剣道拳銃逮捕術、なんでもこなせるゆえに、何かしらでいつかリベンジできると思っていた柿崎だったが、当の宿敵はそんなことに目を向けず、事件の捜査ばかりでそんな機会が訪れることは無かった。


 だからだろう、今回の事件で神楽坂が異動になった氷室署への派遣に気分が高揚したのは。

 だからだろう、捜査に関わらないあいつが嫌に腹立たしく感じたのは。



「ちっ……」

「ヒッ!? す、すいませんっス! 警察官としてビビってる場合じゃなかったっス!!」

「あ? ……ああ、いや、恐怖を感じるのは悪い事じゃねェ。口先だけ大きなことを言っておいて、いざって時に動けねェ奴よりは恐怖を想像できる奴の方が数段マシだ」



 柿崎達がいる今の場所は警察官が被害にあった、犯人が徘徊している可能性のある危険な場所であるが、多くの警察官達が周りで捜査している今、襲われる危険性は少ないだろう。

 だから、この新人のようにもし自分達が狙われたらと言うことを身近に考えられる奴は少ない。

 想像力は何をするにしても大切だと考える柿崎は、弁明しようとしていた一ノ瀬を遠回しに褒めたのだが、何を勘違いしたのか、一ノ瀬はニコニコと嬉しそうに笑いながら「ありがとうございますっス!」なんて感謝してくる。



「……で、だ。被害にあった警察官が持っていた筈の拳銃がまだ見つかってないと言うことだが、十中八九犯人が銃を奪ったんだろう。そこをしっかりと頭に入れておけ、疑わしい奴がいたら相手に銃を撃たせる前に、いや、取り出す前の発砲も視野に入れろ。いいな?」

「あ、はいっス! そ、それで私も周辺の捜索をやって見つけたものがあるんス。さっきそこの角でこんなものが……」



 そう言って一ノ瀬が取り出したのは、ネジの先端のようにひしゃげた黒い筒状のもの。

 潰れた眼鏡ケースにも見えるその筒状のものに、一瞬眉をひそめた柿崎は顔色を変えてそれを手に取る。


 固い。

 ぐしゃぐしゃな形状をしている筈のそれは、柿崎の力では欠片もびくともせず、もともとそのように作られたかのように押し固められている。

 力ではどうにもならないと判断した柿崎は鼻を近付けその物体の匂いを嗅ぎ、わずかに香る火薬のにおいに目を見開いた。



「……おい、これ……」

「え?」

「これ、拳銃だぞ」

「……はえ?」



 ぐしゃぐしゃに押しつぶされたような物体が、探している拳銃だと気が付いた。

 柿崎の言葉を理解できないと言うように呆けた一ノ瀬の顔であったが――――ふと、唐突に、別の方向へと目をやった。


 やけに静まり返った現場検証中の警察官達。

 それぞれが作業していた手を止めて、あり得ない物を見る様に目を見開いて立ち止まっている。


 そんな彼らの視線はある一つの方向で固まっていた。


 宙に浮かび上がった数台のパトカーを、呆然と見つめていた。





 ‐1‐





 もしもこうだったら、なんて幾らでもあって。

 もしもこうでなかったら、なんて願ったことは数えきれない。

 ありふれた現実はいつも非情だし、ありふれた非日常はきっと救いがない。


 そんな事ばかり見て来たから、今更希望に縋るようなことなんてしなかった。

 事実と法に照らし合わせて、相手に自分自身の罪を突き付けるだけの仕事をするだけの機械が警察官だなんて、ずいぶん昔に諦めたから。


 だから今更誰が、どういった理由で罪を犯したって、自分のやるべきことは変わらないと思っていた。



「随分と息を切らせてるな、どうしたんだ少年?」

「っっ……か、神楽坂、さん」



 何かから逃げる様に走っていた少年、相坂和は神楽坂の声に足を止めた。

 相坂少年の様子は何だかやけに怯えており、お化けを見た子供のように動揺を隠しきれていない。

 対して神楽坂の声は落ち着いていて、穏やかだ。



「な、なんでもないっ、なんでもないんだよっ……ただ……家にいたくなくて……」

「そうか……まあ、そういうこともあるよな」



 手に持っている携帯電話から、『……異能持ちです』と言う声が神楽坂の耳に届く。

 了解、とだけ言って、携帯電話の通話を切って座っていた公園のベンチから立ち上がり、息を切らしている相坂少年へと歩み寄ろうとする。

 だが、相坂少年は警戒するように後ずさりをした。



「……なんでこんな場所にいるんだよ神楽坂さん……どうして、こんな公園に」

「そりゃあ、公園にいる理由なんて一つだろ? 童心に帰って遊具で無邪気に遊びたかったのさ」

「ふ、ふざけんなよっ……! 俺を言い包められるガキだとでも思ってんのかっ!? アンタが俺を誘拐した奴らから救い出したってことはっ、そういうのも全部っ、知ってるってことなんだろっ!? あの煙の奴のような力も全部っ!!」

「…………そう、だな」



 激昂する相坂少年に神楽坂は目を閉じて静かに頷いた。

 隠し立てできない、それだけの材料がこの子には揃っている。

 飛鳥と言う異能持ちを相坂少年に悟られ刺激することのないように、距離を置いてもらっているがそれも意味が無いようだった。



「……じゃあ君は、認めるんだな? 君が、不思議な力を使って人を殺していることを」

「っっ……! お、俺はっ……俺は……俺だってっ……!!」



 神楽坂の確認するような言葉に、歯を剥き出しにして相坂少年は吠え立てる。



「――――アンタなんかにっ、俺の気持ちが分かるかよっ!? 普通に暮らしてただけなのに、誘拐されてっ、変な薬打たれてっ、頭に色んな機械を付けられてっ……ようやく助け出されたと思ったら、お父さんとお母さんが捕まってるってっ……! それでっ、俺を捕まえてたやつらはお父さん達よりも罰が軽くてっ……ちゃんと一緒に暮らせるようになるまで何年も掛かるって言われてさぁ!!」

「……」

「お父さん達よりも悪い奴らなんてそこら中にいっぱいいてっ、何にもしていない人を傷付ける奴らがいっぱいいてっ……! なんでそんな奴らは自由にやって、お父さんとお母さんみたいな人が捕まるんだよっ! おかしいだろ!! 俺を誘拐したような悪い奴らは、もっといっぱい痛みを味わうべきだろうが!!!」

「……そうだな、そうかもしれないな」

「そうだろっ!? そうだよなぁ!! だってそうじゃないとっ、意味わかんないじゃんかっ!! 悪い奴らが笑うだけの今、悪い奴をアンタら警察が裁けないならっ、裁ける奴が裁くしかないんだって思うだろうが!!!」



 頭を抱えてしゃがみ込みながら、相坂少年はあふれ出す激情を抑えきれない。



「最初はアンタだって悪い奴だって思ってたっ! お父さん達を捕まえたアンタだって、俺を誘拐した奴らと何にも変わりないんだって思ってたっ……! ……でも違った。アンタは、アンタ達警察は別に悪い奴でもなんでもなかったっ……神楽坂さんを恨むことなんてできなかったっ……! だからっ、引ったくりした奴をっ、他人に暴力振るってる奴を、周りに害を与えている奴らをっ、許せないって恨んだだけだ!! 世の中の悪い奴らが許せないってっ、願っただけで……!」



 顔を上げた相坂少年はボロボロと涙を流した顔を神楽坂へ向ける。


 絶望と後悔と恐怖と。

 そんな感情が入り混じる表情で、神楽坂を縋るように見上げた。



「みんな、死んでいく……。俺が……恨みを持つだけで、そういう奴らがみんな、みんな死んでいくんだよぉ……神楽坂さん……。頭に浮かんだ光景が、そのままテレビで流れて……俺、どうすればいいか、わからなくて……」

「君は……」

「俺がやってるのかって不安になって、必死になって人を恨まない様にって抑えようとしても、すぐ恨めしい気持ちが押し寄せてきて……不幸になれって願っちゃうんだよぉ……なぁ、神楽坂さん……なんなんだよこれ……俺、なんでこんな力……」

「――――故意じゃ、なかったのか……」



 グスグスと泣き始めた相坂少年の前に膝を突いて、神楽坂は目線を合わせる。

 助けを求めようにももしかすると自分が人を殺しているんじゃないかと不安で話せない。

 実際に両親は誰かを害そうと言う悪意があった訳でなくとも捕まったのだ、この子からしたらより一層人に相談することなんてできなかっただろう。


 恐らく、この子の力は誘拐先のあの実験場のような場所で無理やり開花させられた力だろう。

 飛鳥と言う前例を知らなければそんなまさかと思っていたような事実だが、ここまでくると認めざるを得ない。


 子供達を誘拐していた奴らの目的は、異能持ちを作り出すこと。

 そしてそれを出来るだけの技術と力を持っている、非人道的な集団だ。

 幼い子供に兵器の様な力を与え、子供の環境を壊し、自分達の手駒にするか、こうして暴走させ社会に大きな被害を与える。

 そんな奴らの目的への経路が、神楽坂の頭の中で繋がっていった。



「おれ……つかまるのかなぁ……おれを誘拐した奴らよりも悪い奴だって、つかまるのかなぁ……」



 ガタガタと震える少年の問いに答えられず、そっと抱きしめた神楽坂は歯噛みする。

 くだらない野望でこんな子供の人生がめちゃくちゃにされていることが、そんな奴らがまだどこかでノウノウと次のたくらみをしようとしているのだと、憎悪にも似た怒りがこみ上げる。


 罪は裁かれるべきだ。

 だが、この子の罪はなんだ?

 自由を奪われ、苦痛を与えられ、家族と会えず、悪意に身を蝕まれる。

 それで恨みを持つだけで、誰かを殺してしまう力を持ったこの子の罪はなんだと言うのだろう。

 誘拐事件の全てを解決することも、不幸に陥った家族を救うことも出来なかった自分自身の方がよっぽど罪深いじゃないか、なんて、神楽坂は思う。


 でも現実は違う、違うのだ。

 人を殺したのはこの少年で、この少年に力を押し付けた奴らは見つかっていない。

 人殺しの罪を犯したのはこの少年で、事件を解決できなかった神楽坂に罪は無い。


 だから――――警察官である神楽坂上矢は、人殺しをしてしまっているこの少年に、捕まらないよ、だなんて口が裂けても言えなかった。



「おかしいよ……おかしいよ……おれは、わるいことなんてしたくなかったのに……」


「いやだよ、おれは……あんなやつらよりわるいことなんて、してないのに……」


「ずるい……ずるい……」




「「「「「ズルい」」」」」



 相坂少年の声の質が変わった。

 子供の嘆くような声色が、粘着質で醜悪で憎悪に満ちたものに変化した。



「――――!!??」



 気が付けば神楽坂は体を宙に逆さ摺りにされている。

 反転した視界に驚愕している暇もなく、体の四肢を捕らえる不可視の細い力が徐々に強まり始めた。

 皮を貫き、肉を裂き、そのまま骨へと向かう不可視の力に、神楽坂は何もできないまま目を見開いて豹変した相坂少年を見て――――。


 ――――ボロボロと血の涙を流す、彼の姿を捉えた。


 「いやだ」と、「にげて」なんて、そんな動きをする彼の口元に神楽坂は硬直する。

 こんな、こんなに異能と言う非科学的な力は危険で、その力を持つ人間さえ逆に支配するほどに凶悪なのかと愕然とした。

 自分が認識していたよりもずっと、この異能と言う力は人を容易に壊すのだと、今更になって思い知った。



「――――じゃ、せんぱーい、役者交代です☆」



 そして――――横から飛び出した巨大な暴風に神楽坂の四肢を縛っていた不可視の糸が断ち切られる。


 驚愕に目を見開く相坂少年の前で、地面へと落下する神楽坂を優しく受け止めたのはもう1つの不可視の力。

 声がした方へと顔を向ければ、その先にいたニコニコと笑顔を浮かべる女性が長い髪を後ろで纏め縛り上げた。



「私の力とあなたの力、どっちが上か楽しみですね☆ 存分に殴り合ってぇ……その溜め込んだ悪意、解消しちゃいましょうか」

「「「「「ああああ、憎い憎い憎いっ!!!」」」」」

「あっは、元気ですねぇ☆ ま、しっかりぶっ殺しますから、存分にハイになっていいですよぉ」



 凶悪な笑みへと変わった飛鳥に、神楽坂は危険を感じて叫ぶ。



「飛禅っ! 絶対に殺すなよ!!」

「――――もうっ、テンション上げるための方便ですってー。私が子供を本当にやっちゃう訳ないじゃないですかー☆ 先輩の鈍感ー」

「いいからっ、前だけを見てろ馬鹿!!」

「またまた先輩ってばー」



 小石や砂が一つの生物かのように巻き上がり、飛鳥の周囲を高速で旋回する。

 飛鳥目掛けて伸ばされた不可視の糸は、重力を無視して飛び回る小石や砂に弾かれいともたやすく無力化される。



「暴走してるだけのこの子に私が負けるはずないじゃないですかー☆」

「「「「「!!??」」」」」

「じゃ、こっちからも行きますね☆」



 飛鳥はそう言って懐から青いお手玉を取り出した。



「青は青信号、まだ安全ですっ☆」



 ズドンッ、と。

 一瞬のうちに手のひらから姿を消したお手玉が相坂少年の腹部に突き刺さる。

 悲鳴も出せないまま吹き飛ばされた相坂少年の姿を見て、神楽坂は血の気が引くがせき込みながら地面を転がる少年の姿に意識があるのかと安心する。


 だがその安心もつかの間、相坂少年が上空を睨んだのにつられて空を見上げれば、目に見えるほど巨大な糸が公園全てを圧し潰すだけの大きさの蜘蛛の巣となって落下してきたのを確認した。



「黄は黄色信号、少し危険です☆」



 黄色のお手玉が空を飛ぶ。

 そして、周りの布を引き裂き姿を現したのは、粉々になったガラス片の山だ。

 多数のガラス片が一つ一つ意志を持つように宙を旋回し、落下してきた蜘蛛の巣の糸全てを丁寧に引き裂き無力化する。


 透明な糸が散り散りに消えていく姿は雪が降るようで、その中に紛れて降り注ぐ大量のガラス片は容易く人を殺しうるもの。

 それが、ギリギリ相坂少年に当たらない箇所に降り注ぎ突き立った。

 恐ろしい精度の力の操作に、神楽坂は驚愕を隠し切れず、少年はペタリと尻もちをついて呆然とする。

 もはや暴走も出来ないほどに力の差を叩きこまれたためか、目の前までやってきた飛鳥を少年は抵抗すらしないまま見上げる。


 そして、飛鳥は呆然とする相坂少年の頭に手を乗せて人をからかうような笑顔を浮かべた。



「はい☆ 私の勝ちです、すっきりしましたか?」

「あ……お、おれ……」



 冷水をぶっかけられたかのように、目を白黒とさせた相坂少年は、恐る恐ると言った様子で神楽坂を見て、生きている事を確認するとまたボロボロと涙を流し始めた。

 どんな原理で少年が暴走するのかは分からないが、どうやら今は正気に戻っているようで、神楽坂は安心から深く息を吐いた。


 煙とかいう目に見えるものならまだしも、飛鳥や少年の使うような不可視の力には抵抗しようがない。

 何とか生きながらえたことに安堵しながらも、神楽坂は相坂少年に近付いた。

 少年は涙でクシャクシャな顔を神楽坂に向ける。



「……怪我はないか?」

「……かぐらざかざんっ……おれっ……」

「……いい、俺は怒ってない。君が無事で良かった」


「え、ちょっと先輩私の無事は喜んでくれないんですか?」


「で、でも、おれ、もう、どうすればいいか……」

「……大丈夫だ、何とかなる。君の精神で手が負えないのでも、何とか出来る心当たりは俺にはある、だから心配するな」

「かぐらざかさん……」


「あっ、頑張った後輩を無視するんですね、そうなんですね。私へそ曲げますからね? 簡単に不貞腐れますからね? あとで高級寿司店でも奢ってもらおーっと」

「寿司でもなんでも奢ってやるから今は黙ってろ」

「あ、はい」



 それっきり大人しくなった飛鳥を放置し、未だに泣きじゃくる少年を落ち着かせるために、少しだけ逡巡して自分の考えを纏める。



「……君は時限爆弾のリモコンを押し付けられただけの一般人なんだ。悪意を持って誰かを傷付けた訳じゃない、自分の欲望のために人を陥れる犯罪者なんかじゃない。爆弾を処理する知識は君にはある訳がなくて、君にはどうしようもないことだった。責められるべきは君でなくて君を誘拐した犯人達だ。君自身は人を殺してなんかいない。君は悪い人間なんかじゃない。……だからもう、泣かなくていいんだよ」



 心の中で、本当にそうだろうか、と言う疑問の声が上がる。

 自分が口にしているのに、自分のその発言が本当に正しいのか神楽坂には分からない。

 被害者にとってはどうなのか、異能を法に当てはめるとどうなるのか、そんなIFは専門家ではない神楽坂には見当も付かない。

 もしかすると、自分の先輩を死に追いやった奴に、自分の恋人を傷付けた奴に同じような理由があったとして、それを自分は許せるのか、なんて考えて、自分の身勝手な発言に嫌気がさすけれども。



「ごめんなさいっ……ごめんなさいっ……」



 それでも……どうしようもない地獄を味わって、泣きじゃくるしかなかった少年が救われた様にクシャクシャに顔を歪めるのを見て――――これで良かったのだと神楽坂は思うのだ。


 この少年は少なくとも、救われるべき人間であるはずだから。



「……神楽坂先輩って甘いなー、もう。私にバレない様に誰かの事も隠してるし……」



 出来る後輩ってここで無理に自分の意見を押し通そうとしないですよねー、なんて言って、諦めたように首を振った飛鳥はすっかりと日が沈んだ空を見上げる。


 あの日見たのもこんな景色だった。

 自分の生まれた境遇だからしょうがない、この環境で生きていくしかないのだからと諦めていた。

 そんな自分が変わるきっかけとなったあの時のことは今でも夢に見る。

 この少年が今神楽坂に救われたように、自分も間違いなくあの時救われたのだ。



「……救いって、誰にだって必要だもんね……うん。私もそれは分かるよ」



 つい先ほどまで考えていた冷徹な思考が溶けていく。

 面倒なことを考えたくないなら始末してしまうのが一番なのだろうが、もうそんなことをする気にもなれなくなった。


 人を悪意で陥れる人間がいるなら、人を善意で救う人間がいないとバランスが取れない。

 世界なんてきっとそんなものだ。



「……あの人にもう一度会いたいなぁ……」



 ノスタルジックな空の色に、つい感傷的になってしまった飛鳥はブンブンと頭を振って正気に戻る。



「ちょっとちょっとせんぱぁい、あんまり遅い時間になるとその子の保護者が心配しちゃいますよぉ。もう時間も遅いですし、逮捕とかしないなら取り敢えずその子家に連れて帰っちゃいましょうよ☆」

「あ、ああ、そうだな。すまん」

「別に謝る必要ないですよぉ。私は子供をあやすのとか超苦手なんでぇ、そういうの完全に先輩にお任せするしかないですから☆」



 未だに鼻を鳴らして、ボロボロと涙を流している相坂少年を神楽坂は抱き上げる。

 この子には家まで案内してもらわないといけないから、なんとか泣き止んで話をしてもらう必要がある。

 その事を理解しているのか、飛鳥も肩をすくめて、公園の端にある自動販売機へと視線をやった。



「じゃあ私温かい飲み物でも買ってきますね☆ んーと、めんどくさいんで全員激甘ミルクティーで良いですよね?」

「……別に甘いものは嫌いじゃないが、なんでそんなゲテモノを……」

「じゃ、買ってきまーす☆」



 まったく聞く耳を持たない後輩が自動販売機へと向かって歩き――――数歩歩かないうちにその足を止めた。

 その場に根を張ったかのようにピタリと動きを止めた飛鳥を不審に感じた神楽坂は声を掛けようとする。


 だがその前に、飛鳥は複数のお手玉を手に取って、鋭い目で誰かを睨んだ。



「――――驚いた。単なる回収任務だと思っていたが、まさか未把握の同類がいるとは」



 黒いスーツを着た長身の男だ。

 外国、アジア系の血が強く出ているその人相は無表情で、はっきりと分かるほどの強靭な筋肉がスーツを盛り上げている。


 ゾッと、その男を見た瞬間神楽坂は寒気を覚えた。

 今までいろんな犯罪者と相対してきた神楽坂にとって、度を越した凶悪犯と言うのは特段珍しいものでは無い。

 だが、これまでこの男ほど死を感じさせる奴はいなかった。

 これほどまでに、殺しと言う技術が歩き方にまで滲んでいる奴は見たことが無かった。


 ――――遠くでサイレンの音がする。

 それも、一つや二つではない、聞いたことが無いほど多くの音だ。



「先輩、下がってください。こいつ……」

「異能者、なぜ構える? 同類と事を構えるほど愚なことは無い。才ある者同士潰し合う程虚しいことは無い。そうだろう?」

「……へえそうですか。じゃあ、そのどこまで始末しようかと考えている目を辞めてもらって良いですか? 少なくとも貴方、神楽坂先輩は殺そうと考えていますよね」

「俺の仕事柄、不要なものは切り捨てる考えが染みついている。気を悪くしたなら謝ろう」



 きっぱりと何の感情も籠っていない謝罪を口にしてから、男は視線を神楽坂へ、そして相坂少年へと移動させた。



「ようやく見つけられた、異能を暴走させている者。俺は彼を迎えに来た」

「迎えにって……お前、この子のなんなんだ? いきなりこの場に来て、どういう腹積もりでこの子を引き取ろうと考えている」

「……せっかく開花させた才を暴走させたままにするのが忍びなかった。だから、力の使い方を教えるために俺はここに来た」

「正義の異能者ってか? おい、お前外国人だろ? 外国からわざわざどうしてこの街のこの場所に暴走している異能持ちがいるって分かった。日本に住んでいるって言うなら在留証明を出せ、それと――――」



 続く神楽坂の言葉は出なかった。

 首が恐ろしい力で締め上げられている。

 男も、飛鳥も、相坂少年も何一つ動いていないのに、目に見えない何かが神楽坂を持ち上げて、首を締めている。



「ガッ……グギ……!」

「神楽坂先輩っ!?」



 体が浮かび上がった神楽坂に驚愕の声を上げた飛鳥が、地に落ちていたガラス片を浮かせ神楽坂を締め上げている何かを切ろうとするが、それらも神楽坂の首元で止まり動かなくなる。



「うるさい男。才もない奴が一度発言を許したからと付け上がるな」

「おまえっ、先輩を離せデカブツっ!!」



 男を取り囲むように全方位の小石が浮かび上がり、中心に立つ男目掛け砲弾のように飛来する。

 だが、それらの攻撃すら男に届かないまま、宙で制止し何かに圧迫され圧し潰された。

 粉状になった小石に目を見開いた飛鳥に、眉一つ動かさず男は言う。



「方針を変えよう。抵抗するなら四肢を砕いて連れていく、才の無いその男は始末する。どうする同類」



 まるで塵は捨てようと言うように、何の気負いもなくそう言い放った男が神楽坂達を見る目はもはや生き物を見るような目では無い。

 これから殺処分する家畜を見るような、そんな程度のものだった。




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