隠された本性
4月末日、東京都氷室区某商店街路地。
多くの警察車両及び警察官により商店街は一時的に封鎖されており、ある事件の捜査を任されている捜査員たちは揃って苦い顔をしながら現場の様子を確認していた。
『氷室区無差別連続殺人及び死体損壊事件』。
その次なる事件は、数多くの警察官の警戒態勢の中でさえ容易く行われる結果となった。
「……これも、酷いっスね。うぷっ……吐き気が……」
「随分とまァ、いちいち仏を掻き回すのが好きな犯人じゃねェか。これで無差別殺人だってんだから、犯人の狂いっぷりがよく分かるなァ」
事態を重く見た警視庁の本庁から捜査員として派遣された柿崎遼臥とその補佐である一ノ瀬和美(いちのせ かずみ)は被害にあった者の見るも無残な遺体に合掌して頭を下げる。
最初のバラバラ事件から続く、路地裏殺人事件はすでに10件を超えた。
どれだけ警戒し捜査を進め巡回体制を敷いても、新たな事件の発生は阻止できず、捜査に進展はでてきやしない。
辺りを囲む捜査員達の顔には隠し切れない影が映っている。
「……今回は重機でも使ったような圧し潰した死体、なァ。……この犯人は芸術家気どりだったりするのか? いちいちふざけたヤリ方をしやがってよ」
柿崎の言う通り、今回の被害者は最初のバラバラ殺人とは違っていた。
しかしこのやり方は別に今回が初めてではない。
「えっと……今回で10件目の犯行なんスけど。そのうちの3件がバラバラ殺人で、他7件が圧し潰したような殺人っスね」
「今回の被害者の身元は?」
「……前科も何もない普通の会社員っス。今回のはごくごく普通の一般市民っスよ」
軽く一ノ瀬が状況をメモに残したのを確認してから後の現場検証は担当の者達に任せ、一旦柿崎たちは現場を少し離れる。
「一日一回のペースで事件を起こすクソ野郎が……一体どんな目的での犯罪だ?」
「それはウチにも分からないっス。前に柿崎さんが言っていた事ですけど、やっぱり明確にそうだとは言いづらくないっスか? ほら、今回は確かに善良な一般市民でしたけど、前回は窃盗とかを過去にやっていた奴が圧し潰されていましたし」
「俺が前に言ったのは、バラバラ殺人は“過去に犯罪を犯している奴が被害者になってる”じゃねェ、“現に犯罪を行っている奴が被害者になっている”だ。丁寧に殺す奴を選別してやがる。圧し潰し殺人をする時は、どうやら無差別殺人みたいだがなァ」
「え……て、てことは何スか? バラバラ殺人と圧し潰し殺人は別人による犯行ってことっスかっ!? それともなにか特別な意図でもあるって話っスか!?」
「そこまでは言ってねェ。あくまでやり方を変える時には法則があるんじゃねェかって話をしてんだよ」
ガリガリとメモ帳に猛烈に書き込み始めた自身の補佐を胡乱気に眺め、柿崎はたとえば、と前置きする。
「精密に計画を立ててやるときはバラバラ殺人、突発的にやらなくちゃいけない時は圧し潰し殺人、計画的に犯行してるんじゃなくて必要に駆られて行っている。こういう考え方もできる訳だ。何よりも確定しているのはその二つの手段を選べるだけのカラクリを犯人は所持している訳だァ」
「はぇー……流石鬼刑事と呼ばれる方っスねぇ。論理的に犯人への道筋を組み立ててる訳っスね……」
「……この考えが100点満点正解なんてことある筈がねェ。どっかしらに歪みはあって、間違いがないとも言い切れねェからな。これ以上犠牲者を出すようなことはしたくないが、推理する材料も証拠も足りなすぎるとなると――――」
柿崎はそこまで言って口を噤む。
それ以上の考えは、少なくともこんな誰の耳に届くか分からない場所では口に出せないからだ。
(――――被害者には悪いが、もう少し犠牲者が出て貰わないことには犯人の特定までは出来ねェな)
そんな風に、冷酷な思考を彼は巡らせる。
「――――柿崎部長、少しお耳に入れたいことが」
「あァ?」
「じ、実は本庁から柿崎部長宛てに伝言が……」
‐1‐
神楽坂上矢は月に一度、どれだけ仕事が忙しくとも必ず休みを取り、決まった場所に訪れる。
それは別に誰かに強制される訳でもなければ、訪れたところで何か得るものがある訳でもないものだが、彼は一度たりとも欠かすことなくこの訪問を続けていた。
その日はいつもと同じように、忙しい仕事の中であったが無理やり休みを取って、月の恒例行事を行っていたのだが、いつもと違い人影が一つひょこひょこと後を付いて回る。
にやついた顔で後をついてくるのは私服姿の後輩、飛禅飛鳥である。
続いていた連勤の中で生まれた貴重な休みをこんなおっさんのストーカーに使うとは、最近の若い奴の気持ちは分からんと神楽坂は嘆息した。
「せんぱーい。顔が怖いですよぉ、可愛い後輩にプライベートで会えたんだから少しは嬉しそうな顔をしたらどうですかぁ?」
「……お前なぁ、せっかくの休みなんだから、わざわざこんなおっさんの後を付け回さなくても……」
「えー、だって街中で偶然先輩を見つけちゃったらもう、追いかけるしかないじゃないですかぁ☆ まあ、墓参りに行くのは予想外でしたが、ここまで来たら最後までストーキングに励みます☆」
「はぁ……勝手にしろ。言っておくが何の面白みもないぞ」
「まあ、私としては先輩といられるだけで一日が充実しますよ……なんちゃって☆」
「ねえねえドキドキしました?」なんて言い募ってくる飛鳥に拳骨を落とし、目当ての――――恩人が眠る墓石の前でそっと膝を突いて線香を添えた。
涙目で隣に膝を突いた飛鳥も神楽坂に倣って墓石にそっと線香を添え、静かに手を合わせる。
流石に、奔放な態度を崩さない彼女も墓の前では大人しくしてくれるようで安心する。
(常識が無い訳じゃないんだがな……と言うかコイツどこまで付いてくるつもりなんだ?)
「先輩。この墓って、先輩の同僚の方のものなんですよね?」
「……ああ、そうだな。三年前に死んだ人で、色々と俺に仕事を教えてくれていた人だ」
「知っています。自宅で自殺をしたって言う新聞が残っていました。先輩はその人と馴染みがあったんですね」
彼女がまだ警察にもなっていない時の事件も勉強しているのを知って、感心する。
警察学校時代の、非常に優秀と言う教官の評価は伊達ではないのだろう。
「…………そうだ。だが、あれは自殺なんかじゃない。自殺とされただけだった」
「へえ、まだ神楽坂先輩はそれを信じているんですね」
「……どうせ聞いているだろう。『神楽坂は気狂いだ、上司が自殺して、恋人が事故にあって、おかしくなってしまったんだ』と。警察官の癖に、非科学的な呪いや魔術があると妄信している……そんな陰口、俺自身が聞き飽きたくらいだ」
「んーと、まあ、そうですね。そこに、まともな警察官になりたいなら出来るだけ関わるな、って言うのが入りますけどね☆」
軽い調子で茶化してくる飛鳥は、他の陰口を叩く者達と違って神楽坂を見下しているような様子はない。
どちらかと言えば、そんなことを言っている周りの人間を馬鹿にしているかのような口調だった。
「お前……分かってるなら、なんで俺に関わろうとするんだ?」
「私ってまともなだけの警察官になんてなりたくないんで、別にーって感じなんですよねー。むしろしっかりと事件を追って、結果を出してる先輩の方が正直尊敬できるって言うか☆ ままっ、そんなことはどうでも良いんですよ☆ それよりも神楽坂先輩が考える、自殺とされた事件の詳細を教えて欲しいんです!」
「教えてー☆」と言って頬を突いてくる飛鳥の手を軽く払って、ため息を吐いた。
「お前は大物になるよ、まったく……あの事件が起きる前に、先輩はある事件を追っていた。連続する不審死、何も関連性のないような死亡事件、けれど先輩はそこに何かしらの繋がりを見つけていたのと、少しだけ個人的な理由もあって、当時その部署に入りたてだった俺とともに事件の調査に乗り出した。残念ながら、うちの他の奴らは完全に単なる事故や自殺だと決めつけていたからな、あくまで個人的な調査だった」
「うわぁ、それはなんていうか。典型的な職務怠慢をする奴らがいるものですね☆」
「それで、ある日先輩から俺の携帯に電話があったんだ。職場に来るはずの時間をとうに過ぎていて、遅刻の理由でも伝えてほしいのかと電話に出た俺に先輩は告げたんだ」
『上矢……もう、この事件は追うな。科学的に証明できない事件は……はぁ……この先、何があっても追うんじゃない』
「……馬鹿な話だ。結局俺には何の詳細も教えてくれないまま、その日、先輩は首を吊った状態で発見された。完全な密室、遺書もあり、指紋や争った形跡もない。自殺の処理をされるのは当然だったんだろう……だが、違う。先輩は自殺をするような人じゃなかった。少なくとも、自殺の前に俺に電話を掛けてその履歴を消すような、そんな行動を理由もなく行う人じゃなかった。少なくとも、死の間際に科学的に証明できない事件なんて根拠のないものを持ち出すような人じゃなかった」
「……へえ。それで先輩は追うのを辞めなかった」
「そうだ、だから俺の……結婚を約束していた彼女は事故にあった」
『貴方の信じた道を進んで』
先輩の妹で、当時自分の婚約者だった女性からの最後のメッセージが脳裏にこびりついている。
「植物状態になる前の、救急搬送されている最中に最後に書かれたメッセージがそれだ。俺の考えなしの行動による代償を、まるで彼女が受けることになったとでも言うように。やけになったんだろう、俺は、ただ1人俺だけが取り残されたようで、自分じゃどうにもできないと分かっていながら、その後も必死になって調査を続けたんだ。俺も殺してくれと言わんばかりに。これまで以上に向う見ずになって、調査をしているのは俺だと犯人に分かるように、叫ぶように必死に調査を続けて――――」
ずっと胸に燻ぶっていたものが吐き出されるように、話し始めた言葉はとめどなかった。
けれど、最後の最後になって、神楽坂は口を噤んでしまう。
だってそれは、決して吐きたくなかった弱音で、言ってはいけない想いの筈だったのだから。
「――――……それで……なんで、俺だけが何もないまま、生きてるんだろうって」
「…………」
なにもなかった。
なにもなかったのだ。
どれだけ調査をしようとも、二人を手に掛けたはずの姿の見えない殺人鬼は神楽坂に何もしようとしなかった。
それがまるで見当違いな調査しかしていないと嘲笑されているようで、お前など取るに足らないと言われているようで、神楽坂は絶望した。
自分は、事件を解決することも、仇を取ることも、死ぬことさえ出来ないのかと、絶望した。
「……三年前と言えば、“アレ”が起きる前の出来事ですね。きっと神楽坂先輩がその犯人に襲われなかったのは、決して、神楽坂先輩が取るに足らないと言う訳ではない筈ですよ」
「…………ああ、分かってる。自虐が過ぎるとは自分でも分かっているさ。悪いなつまらない話を聞かせて」
「いえ、私が話をせがんだので。それにとても興味深い話でした……色々と考えさせられる話ですね☆」
「ん、ああ、暇しなかったならいいんだ。じゃあ、そろそろ帰るか。あまり長居するような場所でもないしな」
閑散とした墓所から離れようと伸びをして、歩き出す。
柄にもなく色んな弱音を吐いてしまったような気がする。
(何やってんだ俺、新人の女にこんな話聞かせて……久しぶりの墓参りだから精神的に参ってたのか……?)
恥ずかしいところを見せてしまったと言う焦りに、飯でも奢ってやれば口止めになったりしないかと考えながら、数歩歩いた。
そして、飛鳥が付いてきていないことに気が付いて振り向けば、彼女はじっと神楽坂を見詰めている。
何も言わず、ただ品定めするようにじっと神楽坂を見つめ続けている。
少し異様で不気味なその様を、ついこの前見た気がする。
「……どうした? 昼くらいは奢ってやるぞ、この近くにある定食屋には何度か行ったことがあるんだ。あまり高いものは奢れないが――――」
「先輩。先輩は今、刑事課の人達が必死になって捜査している殺人事件どう思っているんですか?」
異様な雰囲気の飛鳥が投げかけてきたのは、世間話をするようなそんな話題。
だが一切笑いが出てこないのは、嫌に感情の無い飛鳥の表情に神楽坂は嫌な予感を覚えているからだ。
「お前、いきなり何を……」
「先輩は分かっているんですよね。あの人達じゃきっと解決できないだろうってこと。どれだけ人員を掛けたとしても、出てくるのは何にも繋がらない点と警察からの死傷者だけだってこと。先輩はどこか確信しているんですよね?」
「なにが……言いたいんだ?」
「――――非科学的な力を用いた犯罪事件は存在します」
断言した。想定外の彼女の言葉に呆気にとられる。
もしや彼女は自分と燐香の関係について察しているのか、それとも自分のように異能の関わる事件を追っているのか。
どちらにしてもここで彼女を肯定するのはあまりに危険だと判断した神楽坂が、否定の言葉を口にしようとして、それよりも先に飛鳥が口を開いた。
「異能と呼ばれる力を持った人間は少数ながらこの世には存在します。異能は人知を超えていて、普通ならあり得ないようなことさえ可能にする、少数の人間に備わった才能です。天才と言ってもいいでしょう」
「…………なんでそれを俺に言った、なぜ俺に接触を図る? 俺は確かにそういう存在の捜査を個人で行っているがそういう存在に当てがある訳じゃない。お前の目的はなんだ?」
普段と異なり、仮面でも張り付けたように無表情な後輩の姿に危機感を覚え、いつでも戦闘に入れる準備をする。
この場所は人が少なく、多少の音を出そうとも周りに察知される可能性は少ないだろう。
もしも飛鳥が敵対するつもりなら、この場所に二人きりになったのは完全に間違いであった。
真意の読めない飛鳥の様子は不気味で、燐香の姿を連想させる。
少なくとも燐香に被害が及ぶのを避けなくては、なんて考えてた時、ようやく飛鳥が動いた。
手提げカバンから取り出したのは、いつか見た青色のお手玉。
「異能は別に原理法則のないものではありません。異能を使用する際はあくまで使用者の頭部から力が送られ、いずれかの現象を起こしています。つまり何らかの出力が使用者からは放出されるわけで、普段から異能の力を使っている他の異能持ちはその何らかの出力を感知できるんです……簡単に言えば、異能持ちは異能持ちの存在に気が付くことが出来るということですね」
ポンポンと飛鳥は緊張している神楽坂の前で、軽く投げては受ける遊びを始める。
ふざけているのかと思ったのもつかの間、一際大きく宙に投げたお手玉がいつまで経っても落下してこず、彼女も落下してこないことを分かっているのか、受け手である彼女もお手玉のことなど気にせず神楽坂へ向けて歩き出した。
「――――私、神楽坂先輩が逮捕してきた男を遠目に見たんですよねぇ。ほら、この前の廃倉庫で暴れまわったっていう奴です。絶対に逮捕できないだろうっていう奴が、呆気なく、何の力も持っていない筈の神楽坂先輩に逮捕されたと聞いて、私がどんな気持ちだったか分かりますか? 私の驚き、分かりますか?」
近付いてくる飛鳥とはまだ数歩の距離がある。
にもかかわらず、ゴツリと、距離を取ろうとした神楽坂の後頭部に何かが押し当てられる感触を感じて、背筋が凍った。
この感触は感じたことがある、以前は額に押し付けられた感触だ。
間違いなく、飛鳥が持っていたあのお手玉が後頭部に押し付けられこれ以上の距離を取れない様にしている。
「ねぇ先輩。もう一つ教えてほしいんですけどぉ」
あり得ない力だ。
たかが数グラム程度しかない筈のお手玉が、下がろうとする神楽坂の頭をしっかりと抑えつけている。
じゃりじゃりとした感触が分かるほどに、後頭部に押し付けられているこのお手玉の力はあとどれほど強くできるのだろうか。
「――――異能を持ってる“紫龍”を、どうやって捕まえたんですかぁ、せんぱぁい?」
クシャリと、歪んだ笑みを浮かべた飛禅飛鳥はもう目と鼻の先にいた。
彼女の周りには浮き上がった草木や石に混じり、縫い針の様な鋭利なものまであり、その全てが神楽坂へと矛先を向けている。
目の前に浮かぶ小石が宙に浮き、それをまるで自身の手足であるかのように加速させ周囲を飛び回らせ始めたことで、自身の命がすでにこの女に握られていることを知った。
神楽坂は理解する。
自身はまた、想像を絶する異能を目前にしているのだと。
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