一章③

 もんもんとする中、久しぶりにづきと話せる機会が訪れた。

「葉月、今日は習い事ないの?」

「先生が急病らしいわ」

 そんな他愛ない会話すら最後にしたのは遠い昔のことだったような懐かしさがあった。

 葉月と話せてはなは素直に嬉しかったのだが、葉月の方はどことなくよそよそしく雰囲気が変わったような気がする。

 そして、なんとなく疲れているようにも見えた。

 だから華は思わずその問いかけを口から出してしまった。

「葉月はしんどくないの?」

「どうしたの、急に」

「あんな過密スケジュールを毎日課されて葉月はつらくないの? 遊ぶ暇だってないし。お父さんとお母さんにはもう少し休みをもらえるように言ってもいいんじゃない? 言いづらいなら私が……」

「余計なことしないで!」

 突然の葉月のげきこうに驚いた華は、中途半端に口を開いたまま固まる。

「勉強も習い事も私には必要なことなの。私は皆から期待されているんだから。才能のない華には分からないだろうけど、いつか本家の人ですら私を必要とするわ。私は落ちこぼれの華とは違うのよ!」

「葉月……」

「今後私のことに口を出さないで! 華には術者のことなんかなんにも分からないんだから」

 そう言い放つと、葉月は華を振り返ることなく行ってしまった。

 呆然とすることしかできなかった華は、何も言い返せないままに立ち尽くす。

 華は葉月が自分のことを下に見ていたということに少なからずショックを受けていた。

 だがまあ、仕方ない。これまで散々比べられちやほやされれば、否が応でも華を下の立場に置いてしまうというもの。

 少ししてからようやく冷静に頭が回り出した。

 華は紗江のおかげで両親の期待という枷から抜け出すことができたが、葉月はまだそこに囚われたままなのだろう。

 そう簡単に抜け出すことができないのはよく分かる。

 それはまるで洗脳のように、こびりついて離れないのだ。

 びんではあるが、下に見ている華から何かを言われたとしても、きっと先程のように聞く耳は持たないだろう。

 華はやれやれというように溜息を吐いた。

「葉月自身が気付かなきゃ意味ないか」

 仕方ないことだと思いつつ、あんな言い方をされれば腹も立つ。

 華は静観することにした。


       ***


 それからもたくさんのものを諦め、たくさんのものを許容し、いつしか家族のことすら他人事のように感じるようになっていった。

 きっとこれからもそれは変わることなく、家族から関心を持たれることなく、そして持つこともなく、大人へとなっていくのだろう。

 そんな生活はどこか華の性格を歪ませ、それは誰にも気付かれることなく時は進んでいく。

 けれど自分にはあずはがいる。大事でかわいい自分の味方。あずはがいるならそれでいいと思っていた。

 異変が起こった十五歳の誕生日までは。

 ケーキを食べている最中に起こった変調に、華は内心動揺が隠せない。

 古いものががれ新しいものが表へ出てくるような……。

 あるいは、それまで内にあったものが殻を破って出てくるかのような感覚が華を襲ったのだ。

 その直後、華の中から感じたことのない大きな力があふれ出してきた。

「……っ」

 思わず胸を押さえ、その力を抑え込む。

「どうしたの?」

 やはり双子だからだろうか。

 華の異変に誰より早く……いや、ただ一人気付いたのは葉月だった。

「な、なんでもない……」

「顔色悪いわよ?」

「そう?」

 平静を装いながらも、内心で華はかなり慌てていた。

 しかし、わずかに残った冷静な部分が、この場にいるのは止めておいた方がいいと訴えている。

 華は急がず騒がず立ち上がった。

「華?」

 葉月が心配そうな顔を向けてくる。

 まだ心配してくれるだけの情は残っているのかと、なんとも言えない感動を覚えたが、それも一瞬のこと。

 すぐに自分のことで手がいっぱいになり、葉月に構っている余裕はなかった。

「ちょっと体調悪いから部屋で休んでくる」

「大丈夫なの?」

「休めば治るから大丈夫……」

 それだけを言い残して、華は部屋を出た。

 どうせ、招待客の誰もが葉月さえいれば満足なのだから、華一人いなくともどうとも思わないだろう。

 人目がなくなるや、華は急いで部屋に向かった。

 この数年の間で、華の部屋は母屋から離れへと移動していた。

 離れと言っても、一人で暮らすにはじゅうぶんすぎる広い一軒家だ。

 などはちょくちょく顔を出すし、十歳からずっと側にあずはがいるので、寂しいと感じるより、家族と明確な距離が保てて華は満足だった。

 術者の能力が低いことを、顔を合わせる度に両親からなじられることも激減した。

 この離れに移ることは華の願いだったが、誰も使ってないからとすぐ許可が下りたのは幸いだった。

 両親としては、落ちこぼれの華が目障りだったのかは分からないが、邪魔の入らない聖域を手に入れられて嬉しかった。

 そんな安心できる離れに戻った華は、そのままベッドへと倒れ込んだ。

 あずはが心配そうに周囲を飛び回るが、蝶であるあずはになにかができるわけでもない。

 華は自分で自分を抱き締めるようにしてうずくまった。

「くっ……」

 熱い。胸の奥が。そして熱が体を巡り外へ出せと言わんばかりに暴れ回る。

 華は熱にうなされ続けて、翌朝……。

 まるで昨日のことが嘘のように熱は引いていた。

 むしろこれまで以上に体が軽い気すらする。

 それと同時に華は気付く。

 自分の内に宿る、大きな大きな力に。

 誰に教えられるでもなく、華はこの力がなんなのかを理解していた。

 力自身が華に教えてくれるという方が正しいかもしれない。

「あずは。こっちにおいで」

 華が唯一の式神を呼ぶと、あずははひらひらと華の差し出した人差し指に止まった。

 そして、華は身の内に湧き上がる力を少しずつあずはへと送り込んだ。

 決して性急になりすぎないように、あずはが受け入れられるようにゆっくりと、そして確実に流していくと、あずはの羽がより一層鮮やかに色付いていく。

 これ以上は無理だというようにあずはが人差し指から飛び立った。

 力を送るのを止めてあずはを見る。

「あずは、大丈夫?」

 すると、なんということだろうか。言葉を扱えないはずのあずはから確かにその声は届いた。

『うん、あるじ様……』

 少し舌っ足らずな幼子のように性別の分からぬ声。

 ああ……。自分の感じたものに間違いはなかったと華は確信した。

 華はようやく手に入れたのだ。

 長く長い諦めの末に、術者としての強い力を。

 そして、きっとこの力は葉月すらも超えるものだろうと感じた。

 華は無限に湧き出てくるかのような力を身の内に感じて、両手で顔を覆った。

 この感情に名をつけるならなんというのだろうか。

 華には分からない。

『あるじ様、泣いてるの?』

「……ううん。泣いてないよ」

『悲しいの?』

「悲しい……のかな? 嬉しいのかも。……ううん。やっぱり悲しいのかな? なんて表現したらいいのか分からないの」

 ずっと仕方がないと思っていた。

 自分の術者としての力が弱いのはどうしようもないのだと。

 葉月と比べられては悲しく、つらく、そしていつしか諦めることを覚えた。

 それが今になって力が目覚めるだなんて誰が想像しただろう。

 華自身ですら未だに信じられない。

 しかし、内に感じるこの途方もない力は確かに華の中を巡っていた。

 まるで最初からそこにあったかのように、違和感なく華の中にある。

 諦めたはずの力が今ここに存在している。

 嬉しい。けれど、なぜ今更とも思う。

 もっと早くに手にしていたら自分は苦しまなかった。うらやまなかった。劣等感にさいなまれなかった。

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