聖王都の、いと高き者
寿太郎と男は何度も斬撃を応酬した。
(……この男、強い――!?)
戦乱の世を生きていた寿太郎も滅法強いので、そう思う相手は珍しい。
実力は寿太郎と互角。
だからこそ――
「ぐう!?」
寿太郎の隙をついて、金髪の男が回し蹴りを叩き込んできた。
疲労が濃い寿太郎の動きは平時よりも鈍い。
能力が互角であるだけに、その差はとても大きい。
寿太郎がよろめき、距離が生まれる。
「これで終わりだ!」
男が叫ぶ。
そのとき、男の剣に白い輝きが灯った。それはまさに、色を除けば寿太郎が刀身に灯した輝きと同じものだった。
反射的に、寿太郎も動く。
己の刀に輝きを灯す。
「む、それは――!?」
男の声に動揺の響きがあった。
だが、寿太郎もまた限界だった。
しまった――
そう思った瞬間、寿太郎の視界がぐらりと揺れた。
この技は大きく体力を消耗する。そんな大技を間隔を開けずに二連発。おまけに、もともと寿太郎の疲労は激しかったのだ。
あっと思う間もなく、寿太郎の意識は闇へと落ちた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
目が覚めると牢獄だった。
三方の壁と鉄格子に囲まれた小さな部屋で寿太郎は目を覚ました。
捕まってしまったらしい。
刀も鎧も没収されたようだ。
「やれやれ……」
ため息混じりの声が、寿太郎の口からこぼれる。
敗残兵として敵に捕まるのなら納得もできるが、金髪男の様子からして勘違いされているのは明白。牢獄送りの理由にしては理不尽すぎる。
勘違い――
だが、それはそれで気になることもある。
(……俺を倒すべき敵だと思っていたのに、どうして殺していないんだ?)
怪異とは常に殺し合い。
捕まえたところで意味などないのだが。
少し時間が経つと帯剣した兵士がやってきて寿太郎に食事を差し入れた。
怪異に食事を与える――?
寿太郎には理解できないことばかりだ。
寿太郎は兵士に声をかける。
「おい、俺はどうなるんだ?」
「……知るか。知っていても教えられないよ」
それもそうかと寿太郎は納得しつつ、食事を口にした。
スープはともかくパンは見たこともない食べ物で、そもそも毒が入っていない保証もなかったが、寿太郎は気にせず食べた。
そもそも、殺しているのなら、いつでも殺せたのだから。
そして、それ以上に腹が減っている。
食事を終えて、寿太郎は再び眠りについた。
目を覚ましたのは、かんかんかん、と牢獄内を歩く足音が聞こえてきたからだ。
足音が、牢の前で止まる。
「……起きているか?」
「ああ」
身を起こしながら、寿太郎が口を開く。
「なんの用だ?」
「今すぐ出ろ。おとなしく従え」
牢から出た寿太郎は四人の兵に囲まれて移動する。
兵士の練度の低さを、寿太郎はすぐ看破した。寿太郎ひとりでも充分に制圧できるが、様子を見ることにした。殺せるのに殺していないのだ。今から改めて殺そうとはしないだろうから。
どうやら、この建物は衛兵の詰所のようだ。
外に出ると、大きな馬車が止まっている。
馬車の手前には執事服を着た老人が立っていた。
老人は寿太郎を見ると、淡々とした口調で話し始めた。
「クインテ様の命令により参上しました。ファルソンヌ公爵家の執事をしておりますセバスチャンと申します。こちらの馬車に乗車いただけますでしょうか?」
疑問系だが、それは有無を言わせない口調だった。
老人の横には寿太郎が戦った男とは違う、若い男が立っている。金属製の鎧をまとい、腰に剣を差している。
もちろん、寿太郎にことを荒立てるつもりはない。
いつでも実力行使で逃げられるか、その保証だけがあればいい。
寿太郎は、自分を連行してきた兵士に話しかける。
「ところで、俺の刀は?」
「刀?」
「武器のことだよ。返してくれないか?」
鎧は使い捨ての量産品だが、あの刀だけは違う。寿太郎の強さと忠義を讃えて主君が与えくれた銘品。他のものでは換えにならないものだ。
もしも、それを返さないとあれば――
そこでセバスチャンが割り込んできた。
「こちらで預かっております。話が終わって、クインテ様が許可をすれば返却しましょう」
「そうか」
それならそれでいい。寿太郎は何も迷わずに馬車へと乗り込んだ。
馬車が進み出したが、セバスチャンも鎧姿の若者も何も話さない。己から口を開くつもりはないようだ。それは寿太郎も同じだった。それほど快活な性格でもない。
静かなままに馬車は進み――
やがて、その足を止める。
「着きました」
セバスチャンが短く言った。
そこは視界の大半を占めるような、大きな邸宅だった。思わず寿太郎は息を呑んでしまう。こんな豪勢な建物を見たことがないからだ。
「たまげたな」
「こちらです」
セバスチャンは鎧姿の若者とともに屋敷へと寿太郎を案内した。
広い建物をぐるぐると周り、連れてこられたのは『風呂場』だった。
「申し訳ないのですが――」
セバスチャンは、あまり申し訳なさそうな顔で続ける。
「少々、臭われますな」
特に寿太郎は失礼とも思わなかった。この街に来る前、あれだけ野山を駆け回ったのだ。服そのものも汗と土で汚れ放題だ。
少々という表現すら優しさだろう。
「そうだろうな。どうすればいい?」
「高貴なるお方と会いますので、身なりを整えていただきます。風呂に入った後、こちらが用意した服に着替えております」
「高貴なるお方ね……クインテ様ってやつか?」
「いえ、クインテ様より、です」
それ以上は答えるつもりがないようで、セバスチャンはむっつりと押し黙る。
寿太郎は服を脱ぎ、風呂場へと入った。
風呂場は石造りで驚くほど広かった。中央に窪みがあって、湯が溜められている。
(……まるで温泉だな……)
風呂につかりながら、寿太郎はあまりの気持ちよさに大きく息を吐く。
温かいお湯を触りながら寿太郎は結論づけた。
(どうやら、ここは俺がいた世界よりもはるかに技術が進んでいるようだ)
こんな風呂を建物の中に造る技術を寿太郎は知らない。
風呂だけではない。
街のあちこちに掲げられた明かりもそうだ。
どうやら、何かが圧倒的に違うようだ。
寿太郎は小さく笑うと、お湯で顔を洗った。
「なんだかよくわからないが、面白いな」
風呂場から出ると、新しい服が用意されていた。
もちろん、寿太郎が来ていた服とは違う、ラディアス王国で一般的に着られている庶民向けの服だ。
「あまり気が向かんな」
「それしかありません」
きっぱりとセバスチャンが言い切る。
「あと、以前の服は処分しますが、よろしいですか?」
「構わない」
さすがにボロボロすぎるので、寿太郎はあっさりと頷いた。こだわるのは君主から授かった刀だけだ。
「移動します。こちらへ」
次に移動したのは屋敷の奥にある大きな部屋だった。
そこには執務机があり、その向こう側に見覚えのある金髪の若い男が座っていた。
あの夜、剣を交わした色男だ。
今日は鎧ではなく、貴族向けの上品な服を着ているが。
ただ、剣だけは――
鞘にこそ入れられているが、すぐ手が届くように机に立てかけられている。
セバスチャンが口を開いた。
「クインテ様。連れて参りました」
「ご苦労、下がってよい。ここからは私が相手をする」
クインテの言葉に従い、セバスチャンと鎧姿の若者が退室する。
部屋は寿太郎たち二人だけになった。
「私の名前はクインテ。ファルソンヌ公爵家の嫡男だ。さて、黒髪の男よ。お前の名前は?」
「怪異の名前を聞いてどうするんだ?」
「怪異?」
「お前たちの言葉で言うと、穢れ、か?」
「ああ」
得心したのか、色男が笑みを浮かべる。
「あのときは失礼した。人間を穢れ呼ばわりするとはね。その、少し風変わりだったもので」
「鉄火場だ。気にしないさ」
寿太郎はあっさりと流す。
「俺の名前は寿太郎だ」
「ジュタロー」
妙な発音でクインテが繰り返した。
「なかなか言いにくいものだな。ま、異国の人間の名前だ。仕方があるまい」
そう言いながら、クインテが立ち上がった。鞘に収まった剣を右手に持つ。
「もう少しだけ移動してもらおう。本来であれば、この部屋で私が君の話を聞いて終わるんだがね。お前に興味を持った人物がいてね。どうしても同席したいと聞かないんだ」
クインテは隣の部屋のドアを開けた。
隣の部屋はクインテの私室のようだ。応接セットがあり、そこに一人の男が座っていた。
プラチナブロンドの髪の、こちらも若い男だ。年は20半ばくらいだろうか。顔立ちはクインテに負けず整っている。
ローチェアに腰掛けた男が楽しげな表情を浮かべつつ――
メガネの向こう側から、鋭い視線を寿太郎に投げかけている。
(……なんだ、あいつは)
武術の類はしていないのだろう。身体の芯は締まっていない。
だが、なぜだろうか。油断ならない気配というか。威圧感が漂っている。相手の顔には優しげな笑みすら浮かんでいるというのに。
「おい、あんた。何者だ?」
寿太郎の言葉に、一瞬、部屋が静まった。
「あっはっはっはっはっはっは!」
沈黙を破ったのはメガネの男の笑い声だった。
「なかなか新鮮だ! 人生で初めて問われる質問というのはね!」
「し、失礼しました!」
クインテが慌てた声を出し、すごい勢いで寿太郎をにらんだ。
「貴様! なんという失礼なことを!? この方を誰だと思っている!?」
「いや、だから……その、誰かわからないんだが?」
「くっ、そ、そうだったな……」
はあ、と大きくため息をついた後、クインテが続けた。
「この方は聖王ラディアス。このラディアス聖王国を統べる人物だ」
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