12.ラルスの言葉に

「王子、陛下が話をしたいとおっしゃっていますが……」

「いないって言って」


 書類に目を走らせているフローリアンでも、ラルスの表情は容易に想像できた。思った通り、すぐに怒ったような、それでいて困ったような声が飛んでくる。


「陛下に嘘なんかつけませんよ!」

「じゃあ会いたくないって言っといて」

「そんなこと言って俺、職を失いませんかね……」

「兄さまは優しいから、そんなことで首になったりしないよ」

「はぁ、もう……」


 そう言ってラルスは一度部屋から消えると、しばらくして戻ってきた。


「兄さまは?」

「お部屋に戻られましたよ。これ、引き継ぎの書類だそうです」

「怒ってなかった?」

「陛下の顔色を気にするくらいなら、ご自分で会ったらどうなんですか。俺もう、こんな役目は嫌ですよ」

「……ごめん」


 ラルスには申し訳ないと思っている。しょぼんと肩を落とすと、ラルスは書類をフローリアンの机の上に置いてくれた。


「なにがそんなに許せないんですか? 王子が王になることは、前からずっと言われていたことじゃないですか」

「そうだよ。兄さまが、そう仕向けたんだから」


 そう、それは生まれたときから決まっていたことだったのだ。トゲトゲした心は、言葉を投げやりにする。

 ラルスには、なぜフローリアンがそんな態度に出るのかわからないだろう。


「陛下はちゃんと理由をおっしゃってくれたじゃないですか。そんな風に言わなくても……」

「兄さまは、自分が王族を離脱したいから……だから僕を生ませたんだよ!? 僕は、兄さまの道具でしかなかったんだよ!!」


 ダンッと机を叩いて立ち上がると、ギッとラルスを睨んだ。彼を睨んだところで、どうしようもないとわかっているのに、悔しさが溢れ出す。

 愛する兄に愛されていたと思っていたのに。兄が選んだのは、弟ではなく元婚約者だった。


「王子」

「僕なんて、生まれてこなければよかったんだ……っ」


 ポロポロと涙が溢れ落ちる。

 世継ぎが必要な国で、あろうことか女として生まれ落ちてしまった。

 兄のディートフリートは、王になるべくして生まれてきたような男だ。賢王と呼ばれ、民衆に親しまれ、部下や家臣の信頼を得て、貴族をうまく転がしている。

 国を統べるために生まれてきた、王の中の王。


「僕が生まれなければ、兄さまはこのまま王を続ける以外に選択肢はなかった……この国にとって一番必要な人物が、王族を離脱することはなかったんだ……」


 同じ兄弟でも、違う人物……しかも本当は女なのだ。ディートフリートのような王にはなれる気がしない。

 しばらく悔し涙を流しているフローリアンを見ていたラルスだったが、急にぐいっと涙を拭かれた。


「……ラルス?」

「俺は、王子が生まれてきてくれて嬉しいですよ」


 いつもの、目尻が下がった優しい笑顔。

 悲しい時にそんな言葉をかけられてしまうと、胸が熱くなる。


「本当に……? ラルスは、僕を必要としてくれている?」

「もちろんですよ」

「護衛騎士は給金がいいしね」


 皮肉るように言ってしまったが、ラルスは気にも止めていない。


「そうですね、給金は間違いなくいいです。仕事にやりがいもありますし、なにより王子と仲良くなれますし。こんな風に、王子の泣いている顔を見られるなんて俺だけの特権ですね」

「なっ」


 あははと笑うラルス。

 この七年で泣き顔を何度見せてしまっただろうかと思うと、耳が熱くなった。


「王子はもう、俺の生活の一部ですよ。生まれてこなければよかっただなんて言わないでください。俺は王子と出会えて、本当に幸せなんですから」

「……ラルス……泣かせないでよ、ばか……」


 止まったはずの涙が、もう一度流れ始めてしまった。それをラルスは親指で何度もぬぐってくれる。

 温かい手。優しい笑顔。

 それは、王子に対する親愛の情だとわかっている。彼は仕事として今の行動をとっているわけじゃないということくらいは、この七年でよくわかっているつもりだ。

 けれどラルスの認識では、フローリアンは男でしかなくて。それが、とてつもなく苦しい。

 好きだという気持ちは募るばかりなのに、伝えることがさえできないのが悲しい。


「もし、僕が王になるのは嫌だって逃げ出したら、ラルスはどうする……?」


 試すような言葉をかけてしまい、良心がちくりと痛んだ。けれどラルスはそれすらも気にしない様子で、「そうですねー」と少し考えた後、こう言った。


「俺も、王子と一緒に逃げますよ!」

「……へ?」

「どうしても、どうしてもダメな時は、ですよ!」


 胸の内から花が咲くように、心がほんわりと温まる。

 ラルスの言葉に、自分の胸にしまっておこうと思っていた気持ちが溢れ出してしまいそうだ。


「……本当に?」

「はい!」


 曇りひとつないラルスの顔とは対照的に、フローリアンの心には影がかかる。


「僕……不安なんだよ……王になんて、なれない……」

「大丈夫です。王子なら、きっとできます! なんだかんだ言いながら、しっかり引き継ぎをしているじゃないですか。俺、王子がめちゃくちゃ頑張ってること、知ってますよ!」

「でも、僕は兄さまのようにはなれないよ……周辺諸国を見ても、この国の生活水準は高くて失業率は低い。貧富の差も少ないし、治安も驚くほど良くて、交通網も輸送ルートも確立してる。そのほとんどが兄さまの代で成し遂げてるんだ。賢王なんだよ、兄さまは……」


 兄が優秀であればあるほどに、きっと比べられるに決まっている。あんな若造より、ディートフリート王の方が良かったと言われる未来が、容易に想像できてしまう。


「フローリアン様はフローリアン様じゃないですか! 陛下とは違って当然です。それに陛下だって、最初から賢王と呼ばれていたわけじゃないでしょう」

「それは、そうだけど……」

「今の王子と、経験を積まれてきた陛下を比べても負けるに決まっているじゃないですか」

「う、うん……」

「王子はこれからですよ! 大丈夫、王子ならやれますから!」


 そう信じて疑わない、ラルスの晴れやかな顔。

 信じてくれることが心地よくて、肌が痺れるような感覚に襲われる。そんなフローリアンに、ラルスは「それに」と続けた。


「もし、どうしてもダメなら、一緒に逃げちゃえばいいじゃないですか」

「いや、ダメだろそれは!」

「えええっ? だって王子、喜んでなかったです?!」

「もう、本気で言う護衛がいる?! っぷ!」

「ははは!」


 屈託なく笑うラルスと一緒に、フローリアンも笑った。

 七年前の八つ当たりの時から、ラルスはぱったりと恋人の話をしなくなった。きっとフローリアンを気遣ってくれているのだ。恋人とは、きっと今も順調なのだろう。

 そんな恋人を置いて一緒に逃げてくれるわけもないのだが、そう言ってくれたラルスの気持ちが嬉しかった。

 二人で笑っていると、トントンとノックの音がする。ラルスに確認させると、先程の笑い顔を一転させて真面目な顔になっていた。


「王子、シャイン殿とルーゼン殿です。どうされますか?」


 兄ディートフリートが最も信頼している部下たちの来訪に、少しだけすっきりとしていたフローリアンは入室を許したのだった。

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