04.結婚式

 眠りから覚めると、目の前にはディートフリートの顔があった。

 ぎゅっと抱きしめられたままの素肌は密着していて、彼の体温が伝わってくる。

 くうくう寝息を立てているディートフリートの顔を見ていると、ユリアーナの口角は自然と上がっていった。


「ふふ……っ」


 漏れてしまう笑い声。昨夜のことを思い出すと、嬉しいような照れ臭いような、不思議な感情が体内を駆け巡る。

 ユリアーナはたまらなくなって、こつんとディートフリートにおでこを当てた。


「おはようございます、ディー」


 その声で、ディートフリートを夢の世界から戻してあげられたらしい。彼は目を半分開けると、ほやりと天使にくすぐられたように笑った。


「ん……ユリア……おはよう」


 まだ寝ぼけ顔のディートフリートがたまらなくかわいい。

 くすくすと笑っていると、彼はじょじょに目が覚めてきたようだ。


「残念。またユリアの寝顔を見損ねたな」

「ふふ。私はたっぷり見させてもらいました」

「ずるい」

「ん」


 ディートフリートは仕返しとばかりにユリアーナの唇を奪っていく。朝から深いキスを施され、脳内は溶けるように熱くなる。


「っ、はぁ、ディー……」

「昨日は最高だったよ。ユリアの知らない顔をたくさん見られた」

「や、やだ、忘れてください……恥ずかしいですからっ」

「じゃあ、今晩も見せてくれるかい?」


 ずるいのはディートフリートの方だ。

 とろけるような笑顔で言われたら、イエスとしか言えないではないか。


「私だってディーの顔を、胸に焼き付けますよ?」

「あはは。いいよ、光栄だ」


 にこにこ顔で喜んでいるディートフリート。恥ずかしがっている様子がないのが、どこか悔しくて口を尖らせた。


「じゃあ、今晩の約束」


 ディートフリートに頭を抱えられるようにして、ユリアーナはまた唇を奪われてしまう。


 そうしてユリアーナは、この日も次の日もそのまた次の日も。ずっとずっと、ディートフリートの愛を一身に受け続けるのだった。





 ***





 ディートフリートがエルベスの町に来て三ヶ月が過ぎた。


 ユリアーナは姿見を前に、そっと胸を押さえる。


 純白のドレスに身を包んだ己の姿に、胸を高鳴らせるのはおかしなことだろうか。


 齢十の頃から、ずっと夢見続けてきた姿。

 もちろんここは王都ではないし、結婚式のパレードなんかもない。小さな町の、小さな結婚式。

 十代の頃に思い描いていたものとかけ離れてはいたが、愛する者と結婚できるという幸せをユリアーナは噛み締めた。


「時間だよ、ユリア!」


 コトリ亭の女将、ケーテが呼びに来てくれる。

 着付けをしてくれた女性に礼を言って、ユリアは教会の控室をあとにした。


「ユリア」


 部屋を出ると、タキシード姿のディートフリートが笑顔でユリアーナを迎えてくれる。

 ずっと王として振舞ってきた彼のその服の着こなし、そして立ち居振る舞いは、くらりと気を失いそうになるほど、さまになっていて男らしい。


「すごく……すごく綺麗だ。ユリアーナ」


 ユリアーナがディートフリートを見ていたのと同じように、ユリアーナも愛する人にくまなく見られている。嬉しくはあるが、熱い視線を浴びて、心の中はどこか落ち着かない。


「じっと見られると恥ずかしいです……こんなドレスが似合う年ではないですし……」

「似合っているよ。ユリアーナの気品がそうさせるんだ」

「そんな、私などよりディーの方がよっぽど……」

「二人とも、それくらいにしとかねーと、みんな待ちくたびれてますって!」


 ディートフリートの元護衛騎士が、ユリアーナたちを見て楽しそうに笑っている。

 兄のような存在のルーゼンに言われたディートフリートが照れ臭そうに笑っていて、ユリアーナも思わず微笑んだ。


「じゃあユリアにディート、扉の前に立って!」


 ケーテに促されて、教会の扉の前に立つ。スマートに上げられたディートフリートの肘に、ユリアーナは手を流した。

 そうしてディートフリートを見上げると、彼もユリアーナに向いていて視線が交わる。


「行こうか、ユリア」

「はい」


 パイプオルガンの高鳴りに合わせて、扉が開かれた。

 小さな教会内は幾人もの町人で埋め尽くされていて、音楽と共に迎えてくれる。

 その狭いバージンロードを、ユリアーナたちはゆっくりと進んだ。

 神父の前まで来ると、婚姻の誓約書にサインを交わし、事前に用意してくれていた指輪の交換がなされる。

 左手の薬指に、なんの飾りもないシンプルなリング。

 ディートフリートがこの三ヶ月間働いて、自分で稼いだお金で買った物だ。生活もあったし、高価と呼べる物ではないかもしれない。

 それでもこのリングを薬指につけてもらった時、ユリアーナの涙は溢れそうになった。


「それでは、誓いの言葉を」


 神父に促され、まずはディートフリートがよく通る声を上げた。


「ディートフリートはユリアーナを妻とし、病めるときも健やかなるときも時を共にし、この命ある限り愛し続けることを誓います」


 ディートフリートが滞りなく定型文を述べ、今度はユリアーナが誓いの言葉を声に出す。


「ユリアーナはディートフリートを夫とし……」


 そこまで言うと、鼻がツンと痛みを持った。

 凛と告げるつもりだったのに、万感の想いが募りすぎたのか、言葉がうまく出てこない。


「ユリア……」


 心配そうなディートフリートを見上げると、情けないことに涙がころんと転がってしまった。

 色々あった。ここまで、本当に色々と。

 ディートフリートはきっと、それ以上に色んなことがあったに違いない。待つしかできなかったユリアーナとは違う、たくさんの苦労が。

 それでも困難に打ち勝って頑張ってくれたディートフリートのことが、心から愛しい。


「ディー……私は、あなたが大好きです。なにがあっても、もう二度と離れたくありません。不惑の私を娶ってくれてありがとう……これから私がおばあちゃんになっても、ずっとずっと一緒にいてください。ディー、愛しています……」


 勝手に溢れ出てくる言葉は全部本心で。

 ユリアーナの言葉を聞いたディートフリートは、目を潤ませながら微笑んでくれる。


「わかっているよ、ユリア。今の君は本当に素敵だけど、不惑を過ぎた君はもっと素敵になっている。だから僕は君に夢中になるんだ。いくつになっても」


 そう言うとディートフリートはユリアーナのヴェールをそっと後ろへと流した。


「愛しているよ。ずっと一緒にいよう。幸せになろう。それは、僕の願いでもあるんだから」

「ディー……!」


 神父が誓いのキスを、という前に、ディートフリートに唇を奪われた。

 教会内がわっと盛り上がり、祝福の声がいつまでも響く。

 ユリアーナとディートフリートは、その歓声の中で、もう一度キスを交わしたのだった。

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