第60話 勅令発動
イザナ皇国の守護神「
俺達がいつものように国家運営や趣味、娯楽に勤しんでいたところ、唐突にその音は鳴り響いた。
「ついに来たか」
官邸に緊張が走る。
ビー、ビーという本能的に警戒心を抱かせるアラート音。大山脈の向こう側から、我らがイザナ皇国に不届き者が越境してきたことを示す合図であった。
「状況を確認するんだ。綾、衛星からの映像を出してくれ」
「了解です。……出ました」
「これは……」
「やはりですな」
「ついに来ましたね、沖田君」
「そうですね。……まったく、クソッタレ国家め」
偵察衛星からの映像が官邸の大型画面に映しだされる。そこには銀色の鎧を身に纏った兵士が隊列を組んで、今まさに国境を越えようとしているところが映っていた。
「ルシオン王国の奴ら、どうもこの前の一件からは何も学ばなかったようですな」
「まったくだ。指導者が無能だと困るのは末端の兵士達だということを、ルシオンの上層部連中は知らんらしい」
数にして約二万はいるだろうか。補給部隊と思しき馬車もかなり多く見受けられるので、奴らは本格的に長期間の遠征を想定しているのだろう。
これだけの規模の大軍に、戦争を遂行するには充分すぎるほどの物資の山。
これらの客観的事実を踏まえれば、どれだけ好意的に解釈してもこれが係争地や国境沿いでしばしば発生するという緊張感のある軍事演習や威力偵察の類であるとは考えられなかった。
「間違いないな。これは侵攻だ」
進駐、などという生易しい表現はあてはまるまい。これはまごうことなく武力による沖田平野の占領を目的とした進軍だ。
「アイシャ。航空部隊の指揮を執って
「おっけー。任せて! 日頃の訓練の成果を見せたげる!」
「危険な任務だが、任せたぞ」
「うん。この日のために頑張ってきたんだからダイジョーブ!」
「期待している」
沖田平野としては二度目、都市防衛軍が国防軍に改称されてからは初めての防衛出動だ。現代日本と違ってこの世界には戦時国際法があるわけではないので、その場で即座に戦闘状態に移行する可能性も充分あるのだ。圧倒的にこちらが軍事的優位を確立しているとはいえ、ルシオン王国の奴らがそれを認識しているわけもないし(していたらそもそも攻めてはこないだろう)、その陣頭に立つアイシャ達の危険度は非常に高い。
「……なあ、柚希乃。警告をしただけで二万の兵が退くと思うか?」
「それ、訊く意味ある?」
「だよなぁ……。————総員、レベル一警戒態勢に入れ。都市全域に戒厳令を発令、陸・空両軍は戦闘配置に就け」
「「「了解」」」
「警戒態勢移行後はアイシャ隊からの報告を待ちつつ各員持ち場で待機。戦争状態に移行後は、規定に則り速やかに軍事行動を開始せよ」
俺の命令を受けて、元老院メンバー達はキビキビと行動を開始する。ルシオン王国やヤークト帝国の侵攻を想定した訓練を何度も積んできた甲斐があって、いざ本番となっても慌てたりオロオロしたりする人間がいないのは実に結構なことだ。
「ハア、皇帝に即位して初の勅令がこれか」
「ま、これも君主の役目ですよ。陛下」
「言ってくれるな、元帥」
「なはは、私も国防軍の指揮に向かうよ。進次はここでどっしりと待ち構えててよね。それが総大将の仕事なんだから」
「ああ。万一の時の戦闘指揮は任せた」
国防軍の長官である柚希乃はそう言って軍務省(国防軍の本部が置かれている建物だ。総本部なだけあって、軍の規模の割にはだいぶ広い)へと向かう。頼もしい奴だ。
「どうなるんでしょうか……」
「アイシャが心配か」
「そりゃあ、もちろんですよ」
そう答えるのは俺の副官的立ち位置にいる綾だ。俺や柚希乃が現場に出て司令部を離れる際には、彼女がイザナ皇国の指揮を執ることになっている。
「願わくは、このイザナの地に争いの波が及ばぬよう」
「祈っても仕方ないですね。とりあえず今はアイシャちゃんの報告を待ちましょう」
「そうだな」
チヌ丸隊が出撃してからもう十数分は経っている。そろそろルシオン王国軍を目視で捕捉できる頃だ。
「頼むぞ。どうか指揮官はまともであってくれ……」
絶対にそうはならないだろうという半ば確信めいた予感を覚えつつ、それでもいるかもわからない神に祈る俺。
だが現実とはそう甘いものではない。十中八九、この衝突は戦争へと発展するだろう。
そうなれば、俺も決断するしかない。敵兵の命も大事だが、それよりももっと大事なものが俺にはあるのだ。何よりも大切な俺の、俺達のこの国を、俺は皇帝として守らねばならない。
覚悟ならとうの昔に決まっている。俺が皇帝に即位したのは、その覚悟あってのことなのだから。
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