斜陽④



「はぁ~……生き返るぅ……」

「大袈裟な……って言いたいところだが、正直分かる」


 冷たい秋雨に濡れた体が、カフェオレによって内側からじんわり温められていく。ひとっ風呂浴びたかのようにひとりごちる月彦だったが、良太郎も同意見だとばかりにぬくもった吐息を漏らしていた。


 喫茶店『かふわ』は、商店街の好立地に居を構えている。アラビア語でコーヒーを意味する店名のとおり、喫茶店にはつきものの軽食やデザートよりもコーヒーそのものに力を入れている。そのため学生の利用が少なく、落ち着いた雰囲気を保っているが、実はまったり過ごすにはこれ以上ない穴場だった。


「すみません――おかわりお願いします」

「はい、かしこまりました」


 良太郎のカップが回収され、伝票にチェックが書き込まれてしばらくしてから、黒く艶めくコーヒーが再度現れた。


「あたし、こういうお店に縁がなかったから、ちょっとびっくり」


 暁奈が驚くのも無理はない。

 喫茶店『かふわ』でコーヒーメニューを注文すると、一杯のおかわりまでは無料なのだ。


 ドリンクバーで暇を潰すタイプにはそそられないかもしれないが、一度ここの味を知ってしまえば、第一候補に食い込むことは必至。無料Wi-Fiが通っていないのは玉に瑕だが、コーヒーだけをゆっくり味わうなら有名コーヒーチェーンよりも安い。


 なにより雑多に混み合わないため、雨を凌ぎつつ内緒話するにはうってつけの隠れ家だった。

 現に店内を見回しても、客入りはまばら。読書に耽る老婦人が一人と、資格勉強に打ち込んでいるであろう青年が一人。否応なく人目を惹いてしまうアイがいても、校門前の二の舞にはならず、癖がなく飲みやすいアメリカンに舌を喜ばせられていた。


「――って、人見それ砂糖入れすぎじゃないか?」

「え、あっ」


 優に五杯を超え、あわや六杯目が投入されようとした矢先、月彦が制止した。

 暁奈は「うっかりしていたわ……」と入念に砂糖を溶かすと、一口。


「まあ……うん、飲めないこともないかも。コーヒーの味がぼやけてるけど」

「おいおい大丈夫かよ……」

「これから頭使うんだし、糖分補給だと思うことにするわ」


 折角の特製ブレンドが滅法甘くなってしまったのも些細なことだと言わんばかりに、アンティークソファに身を委ねた暁奈は言う。


「――それより、本題の方が重要よ」


 本題――アイを守りながら、加地朔之介とどう立ち回るのか。


 いまだ不安の残る魔王の蟲の件や、忠誠心をかなぐり捨ててでも咬みついてくるだろう影山弦の動向といった懸念点は多かれど、まずは当面の作戦会議しなければならない。


「私とアイも、皆本家に何事もなくいられる期限が近いわ。一転攻勢に出られなければ、また別の拠点を探して移る手間がかかる。仕方ないのだとしても、対策がなにも講じられないのは避けたいわね」

「ぶっちゃけ、魔王と戦った時より厄介かもな。なにせ相手はこの世界を生きる、あくまで真っ当な人間だ」


 その思想が狂気に寄っていたとしても、この世界に生まれ、戸籍を持ち、生活を送る社会の一員には違いない。良太郎の言うとおり、魔王のように倒して万事解決とはいかないのだ。


「だから和解、ないし敗北を認めさせる他ないと思う」


 前月彦の失態に足の腱か指を落とそうとしたステラも、同意見なのか特に口出ししてこない。とはいえ異を唱えたとしても、良太郎の反対に封殺される道筋が見えているからかもしれないが。


「『和解か敗北を認めさせる』って、どうすれば……」


 言うだけなら簡単だが、あまりにも困難な関門だ。

 正面切って戦ったとして、容易に敗北を認める相手でないことは明らか。ならば膝を折らせるよりも、焦点は「どう目論見を打ち砕くか」に絞られる。


「――要は、『異世界化が無意味である』と証明すればいい」


 発したのはアイだった。


「この町で魔法が大規模に使われても、勇者が聖剣の力を振るっても――

「あ、」


 仮にもし、有名なネット都市伝説の『きさらぎ駅』のような異界訪問譚が起これば、どこかしらから噂話となって漏れ出るはずだ。

 人の口に戸は立てられず、ましてや緘口令も敷かれてはいない。そういった怪談話の一つも風の噂にないのは、アイ以外の異世界化に決め手が欠けていることの証左でもある。


 そしてそれは、アイを野放しにしている理由にもなる。

 金も伝手もない逃避行など、朔之介にしてみれば子供の家出と相違ない。アイに犠牲を強いないために逃げたのだから、みすみす殺すような真似はしないと踏んでいるのだろう。


 ……おそらくは、急激な調整によって生じた不調を放置したがゆえの発熱に、どれだけ面の皮が厚いんだと月彦は辟易せざるを得ないが。


「人造魔導具『天蓋』であるアイと同等か、それ以上の触媒で異世界化をしても無意味であると知れば、加地朔之介の足はそこで止まる」


 既にこの戯崎市では、良太郎による異世界帰還が起こり、その余波で異世界災害にも見舞われた。だからこそ朔之介も異世界化を企てたのだろうが、暗にそれほどのことが起こったにも関わらず、異世界化していない希望の裏付けになる。


 ならば自殺騒動も件のエナジードリンクも、焼け石に水の稚拙な策に他ならない。その事実を朔之介が自覚していないわけはないはずだ。

 他の魔法使い達に察知されないよう、振る舞いを慎まなければならないジレンマがあるのだとしても、小手先の印象なのは否めない。


 なにか秘策があるのか、もしくは魔王の蟲かそれに匹敵する手駒を手に入れているのか、それとも……。


「例えば、勇者の聖剣を公衆の面前で放つ……とか?」

「いやお前、それで俺が他方の魔法使いから追いかけ回される身になったら元も子もないだろ……まあ、一理あるとは言えなくもないけどよ」

「とは言うけど、それで本当に異世界化しちゃったら本当に元も子もないんじゃないか……?」


 アイの提案は決して的外れではないが、さりとてなにが異世界化の引き金を引くか不確かである以上、安易に刺激するのも避けるべきだ。今のところ土地の管理者である朔之介が職権濫用で隠蔽しているのだろうが、その防波堤を超過するのも気をつけなければならない。


 それはさておき、アイも共に現状を打破しようと協力してくれているのは、悪くない傾向だった。

 受動的ではなく能動的。「ただアイが進んで意見まで述べるなんて、少し驚きだ」と正直な気持ちを述べると、良太郎も「俺もだ」と頷いた。


「やっぱりお前も、機があれば逃げ出したかったのか?」

「これまで、アイにそこまで強い情動はなかった……ううん、それよりも絶望の方が勝っていたと思う」


 当然の発言だが、もしかするとそれを自覚できたのは、皆本家で過ごすようになってからかもしれない。


 生まれてこの方、屋敷の奥に囚われて暮らし、触れ合うのは世話役のメイドだった暁奈と、自身を魔導具として痛めつける朔之介だけ。抗う気力を根こそぎ奪い取られていたとしてもおかしくないだろう。

 だが、無自覚にでも暁奈が少なからず人間的に接していたおかげで、絶望に感情が塗り潰されてしまわずに済んだのは僥倖だ。まだおっかなびっくりが抜けきらないが、アイは人のあたたかみや幸せを、つつがなく享受できている。


「でも、今は違う」


 優しい眼差しが窓の外を見つめる。眼下に広がる商店街は、雨のせいで人通りがかなりまばらになっていた。


「昨日の……ピクニック、っていうもの。あれ、とても楽しかった」


 事前知識がどれほどあったか分からない。だとしても、アイにとっては夢見心地であったことは、今浮かべている表情から伝わってくる。


「あの人達を、犠牲にしたくない」


 言葉が、凛と響く。


 あの人達――昨日のピクニックで戯れた親子だけ、ではないだろう。

 服を選ぶ際、バラを見ていた際、視界の端々に映っていた人達を、アイは「犠牲にしたくない」と決意表明した。


「アイ……」


 暁奈の目が潤む。彼女にしてみれば、連れ出して逃げたのは自己満足ではなかったのだと、肯定されているに等しかった。


 暁奈の心も決まり、アイも協力してくれる。

 味方も揃い、これ以上秘することもないと、月彦もまた決心を固めた。


 それは――自らの出自、要は転生者である事実を述べること。


「ありがとう。みんなの気持ちも決まったなら、俺も秘密にしてたことを話さないといけないな」

「月彦……?」


 いつもと違う雰囲気を気取った良太郎が訝しむ。


「重要な話なんだ。突拍子もなくて驚くかもしれないけど、取り敢えずは聴いてくれないか」

「いいけど、なに藪から棒に――アイ?」


 ――話そうとした、その瞬間だった。


 見れば、アイが腰を浮かせてしきりに周囲を見回していた。警戒しているかのような素振りだ。尖らせた神経とは対照的に、密やかなジャズが静謐な空気をゆるやかにかき混ぜている。


 真剣な眼差しは、まるで様子を窺っているような……。


「っ!?」


 がばりと月彦も立ち上がる。弾かれたように通路まで歩み出れば、異様の一部が見て取れた。


……


 店内にいた読書に耽る老婦人と資格勉強に打ち込んでいるであろう青年、そして店主であるマスターも給仕の店員も――そのうえ、窓の外を行き交っていた商店街の人波も、いない。

 店を飛び出せば、常軌を逸した光景が手に取るように分かった。


「嘘、だろ……!?」


 ゴーストタウンかと見まごう人気のなさに、コーヒーであたたまった胃の腑が冷える。

 時間にして十分少々。談笑で生まれた隙を突かれたのだと、苦々しく歯噛みする。


 しかし理解が至らない……月彦とアイはともかく、魔法使いである暁奈と聖剣であるステラがいて、まるっきり気づけなかったのだ。その事実が尚のこと、月彦達を臨戦態勢へと追い立てた。


 敵は誰だ、どこにいる……!?


「――がっかりです」


 カツン、カツン、カツン、カツン。

 雨で湿った商店街のアーケードを、乾いた靴音が踏み締めていく。


 一歩、一歩――食い違った異質な音は、否応なく死神の接近を連想させた。


「『あまり調子に乗るなよ』『みすみす見逃すつもりはない』とわざわざ面と向かって言ったのも無意味だったと」


 月彦には見覚えのある、撫でつけたオールバックの髪にスリーピースのスーツ。


「影山弦……!」


 加地朔之介の従者。暁奈にとっては拾われた先輩に当たる執事役。そして魔法についても把握済みの懐刀――。


「やっぱり大人の優しさを蹴飛ばす未成年者クソガキだったわけですか」


 束の間の幸せはかげり、風雲急を告げる――二度あることは三度あると古人は言ったか。一度目は自殺騒動の起こりで、二度目はアイを背負った暁奈と共に皆本家へと逃げ込んできた時に。


 ……日常が濁る気持ち悪さが、三度目でも慣れない背筋を震わせた。







――――――――


 第四章『憩う者達』は以上となります。


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