斜陽②



「確実に倒した、と自信満々に言いたいところだけど、そもそも向こうで倒したと思ってた相手だからな。二度あることは三度……あってほしくねぇけどよ」


 さもありなん。

 そもそも確実に倒したかどうか傍目にも分かっていれば、月彦が直接質問することもない。警戒を怠らないよう呼びかけられただけで立派な進歩だが、収穫は決して大きくはなかった。


『奴は魔王の血肉から生み出された他の魔物とは異なり、異世界に住まう妖精の端くれが力を与えられた存在だと聞く。魔王を倒せば魔物は消滅するが、奴だけは例外だ。だからこそ私も良太郎に注意を促し、一騎打ちで仕留めたはずだ』

「でも、軍勢の指揮権をじきじきに与えられていただけの相手なら……俺達に最後まで見せなかった奥の手とか、持っていてもおかしくはない。それか案外しぶといとかな」


 ステラも言い返さず、悩ましげな溜め息で返答を結ぶ。


「なら折を見て暁奈とアイにも話さないとな」

「……そうだな」


 仮に朔之介が『百合籠ユリカゴ』の分岐ルートと同じく魔王の蟲と手を組んでいたとして、それを暁奈やアイが知り得るかどうか。


「俺らが話せるのはそれくらいだ。力になれなくて悪い」

「いいや、話してくれてありがとう」

「こっちの台詞だっつーの。人見が言ってたみたいに、俺もお前に感謝してんだ。友達でいてくれてんのは当然としてさ」


 真に受けるには少し照れくさい言葉も、踏み込む勇気を与えるトリガーとなる。


「じゃあ今のうちに少しでも訊いておきたいんだけど……」


 原作ゲームで観測した情報ではなく、実際に対峙した生の声を欲しての問いかけ。


「魔王って、どんな相手だったんだ?」

「どんな……か」


 良太郎は口ごもる。言いたくないのではなく、言い表すのが難しかったのか、呻き声が悩ましげに沈黙の合間を埋めていた。


「どう言えばいいんだろな。一応人見にも話してるのに、まだいまいち掴みあぐねてる感じがするわ。魔王って普通に言うとゲームのラスボスってイメージあるけど、異世界にしてみれば、ありゃあ台風とか地震みたいな天変地異みたいなもんだしな」

「そうなの?」

『異世界では精霊が自然の代弁者を担っていたが、いわば魔王は死神のようなものだと言えるだろう』


 ステラは続ける。ステラ、もとい聖剣が生存と肯定の象徴ならば、奴は死滅と否定の象徴だと。

 原作ゲームで幾度となく目にした記述だが、先んじてステラがどんな存在なのかを知っていると、別の疑問も湧いてきた。


「でもステラは自律型の魔導具だって言ってなかったか? 対存在なら、魔王も自律型の魔導具ってことなんじゃ……」

『対存在ではない』


 断定的な否定。そこで月彦は、対関係であって対存在ではないのだと気づく。

 天変地異自体に害意はない。あくまで圧倒的な力が結果的に周囲を蹂躙するだけだ。


『察しがついているようだが、魔王は死滅と否定を体現する存在であって、決して世界征服だの生命根絶だのといった俗な野望は持ち合わせていない――だが、結果として世界征服や生命根絶に見えるだろう』


 それはまるで、日々の暮らしを豊かにするため、山を拓き海を汚して発展してきた人間のように。長い目で見れば、人間もまた天変地異という侵略者なのかもしれない。


『言わば、異世界災害の化身だ。言葉を持ち、策を練るのは、その在り方が「生きることを驕るべからず」という訓戒だからだと言われている。こちらの世界で天変地異を避けるべく予報が生まれ、あるいは備えて脅威を軽減させるすべが編み出されたように、異世界においても魔王を退ける対抗策が造られた』


 ――それこそが、聖剣ステラ。


『そして担い手として、良太郎が召喚された』

「どうして……異世界の住人から勇者は選ばれなかったんだ?」

『…………』


 そこで明確に、あまりにも分かりやすくステラは口をつぐんだ。

 「言いたくない」、なによりも「己が失態を恥じるあまり、明るみに出したくない」と物語るように。


 ややあって、しかし誠実さを欠くことのないステラは沈黙を破る。


『……愚かしい話だがな、私が拒否したからだ』


 魔王の脅威から人々を守るというアイデンティティを有しながら、だが聖剣はその役目を拒絶した……言葉面だけならば怠惰だと断じられるだろうが、月彦にはそれがしっくりこない。ここまで幾度となく言葉を交わしてきて、ステラが私的な理由で使命を放棄するとは思えなかったからだ。


 ならば可能性は一つ――私的な理由からでは、


使

「は?」


 予想だにしない回答に、月彦の口がぽかんと脱力した円を描く。

 一切口を挟まなかった良太郎が、「考えてもみろよ」とステラに代わって語った。


「担い手である勇者を、支援とは名ばかりの説明役を丸投げするため、そのうえ悪用防止のセキュリティのためにステラは自我を与えられたけど、ただそれだけだ。住人を好きになる機会も与えられず、『魔王を倒すために身を粉にして働け』って言われたんだぜ?」

「そんな……」


 そんな酷い話があるか。反論したくなった月彦の脳裏に、『しろいかみのおんなのこ』――アイの姿がよぎる。

 人造魔導具『天蓋』として生まれ落ち、暁奈が逆らっていなければ人身御供となる運命を負っていた少女。ステラのいっそ泥臭い辛辣な反応も、過去を踏まえれば人間味の露呈だったのだ。


「しかも人間の姿になれるのは勇者が悪に堕ちた時の介錯役だとか、そりゃ拒絶して数百年もの間、村はずれの岩に刺さったままでいるって」

『だが……その結果が、今度こそ手に負えない魔王の襲来と、痺れを切らした者達による勇者召喚だ』


 聖剣の力は月彦もよく知っている。魔王に与する者を一掃できるだけの有効打は、しかして安寧の傍観を許されなかった。

 一体何人が聖剣を引き抜こうと試してきたのか分からない。だとしても、と結論が下されるには、十分な数だったに違いない。


 ――かくして天道良太郎は異世界の勇者となり、聖剣を振るって魔王を討ち取った。


「でも俺はステラに感謝してるよ。異世界が嫌いなお前だったから、これ以上俺を巻き込まないよう協力してくれたんだろ?」

『…………』


 後悔をカラリと笑い飛ばす良太郎を、ステラは否定しない。

 帰還時に起きた異世界災害の遠因ではないと心の底から理解しているからこそ、二人は今日こんにちまで良好な関係を築いている。そもそも、単なる罪悪感や贖罪の気持ちだけで魔王を倒せるはずもない。


『ゆえに私は、今も尚この世界に暗い影を落としている魔王を、断じて許しはしない――自らの足元も見ず、ありもしない天を仰ぎ続ける連中もな』


 言葉尻の鋭さは、天道良太郎を普通の高校生から異世界の勇者へと引き戻そうとする恥知らずな魔手に対する敵愾心で満ちていた。魔王の蟲が現れた際にも、この覇気を上回る気概で討ち滅ぼさんと力を存分に振るったのだと、容易に想像がついた。


 だからこそ、ステラは前月彦の時にも警戒を微塵も怠っていなかった。今も魔王の蟲が倒しきれていなかったかもしれないことを考えているだろう。

 あるいは、月彦がこうして話す前から……ずっと。


「んじゃ! 話もひと段落ついたことだし、菓子でも食いつつ片付けして待ってるか」

「うん」


 月彦が頷き返したのをピリオドに、否応なく陰鬱になりがちな異世界の話題は切り上げられ、元の日常へと帰っていった。


「…………」


 月彦が話題に上げたのは、言ったとおりタイミングが合ったからだ。しかし理由はそれだけではない。


 魔王の蟲が生き延びた『百合籠ユリカゴ』の物語の場合、再登場は最悪の事態が差し迫ってから――最悪の事態など、一つしかない。

 

 月彦の視点から見れば、魔王復活は朔之介の異世界化促進よりも直接的な害である。絶対に避けなければならない。確約されれば、良太郎が帰還した際の異世界災害の何倍というレベルの地獄絵図が描かれかねない。

 翻っては魔王の蟲がいなければ起こらないことを意味しているが、不確定であるため、考慮するにも二の次にせざるを得なかった。


 しかし、良太郎達の信頼を勝ち取り、暁奈は力を磨き、月彦もささやかながらも対抗策を身に着けた。そしてアイも完璧とは言いがたいが、保護されている。既に目下の敵にだけ集中する時期は過ぎ、幾らか思考を割くだけの余裕は生まれたと言ってもいい。


 朔之介の従者である影山かげやまげんの動向は気になるが、それ以外に警戒を向けてもいいだろう……と、またぞろデリバリーオンリーな夕食に辟易しつつ、せめてもの感慨を込めて、暁奈お手製のミニタルトタタンを一口。


「んんんん……?」


 チョコレートブラウニーの時とは違い、甘さと焼き加減がしっくり来ない。もしかすると初挑戦だったのかもしれないと、更に腕を磨かれたタルトタタンに思いを馳せながら、月彦は「次こうして遊びに出かけられるのは事が済んでからだろうか」と考え――、


 ――それが的中するとは、夢にも思わなかった。


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