ついて回る影との上手な付き合い方④



「…………はぁぁぁ」


 カフェオレ風味の溜息が虚空に溶けていく。魂まで抜け出そうな脱力感から、月彦の疲労が見て取れた。


 あれから、ステラの鍛錬は続いた。特別スパルタだったわけではない……のだが、むしろ月彦にしてみれば『スパルタにするまでもなかった』というのが実際だった。

 身も蓋もない言い方をすれば、月彦はとにかく才覚に欠けていた――ずばり、雑魚である。


「…………はぁぁぁ」


 溜息を禁じ得ないのも当然のことだった。段々と魔法の発動にも慣れ始め、『小蛇コロチ』の射程、長さ、頭数も増えたのまではよかった。「これで護身や助太刀に使える!」……と純粋無垢に喜んだのも束の間。


「――った、やったわ!!」


 炎が弾ける音が耳をつんざき、図らずも暁奈へと意識を向けられる。丁度感覚を確かめるように、もう一度成功体験を反芻していたところだった。


「業火の魔弾よ!」


 モノクルのように右目を覆う魔法陣が照準を絞り、指先の銃口で定めた先へ、以前とは比べ物にならない速度で精錬された魔焔が疾駆した。

 着弾するな否や――炸裂!

 捨て置かれていたドラム缶を貫通し、吹き飛ばした。ここまで堂に入れば最早鉛の弾丸に等しいか、魔法的な特性を加味すれば更なる威力と見積もっても過言ではないだろう。

 歴然の差を見せつけられて唖然とする月彦など気にも留めず、飛躍的な成長を遂げた暁奈は「やった!!」と再度ガッツポーズを決めていた。


「魔法を行使するのに、手である必要はない。その最たるものが『魔眼』だ。『邪視』と呼ばれている方が有名か」


 今朝登校途中に月彦が考えていたメデューサが、その代表格と言える。見た相手を石に変える魔眼。形は違うが、歌舞伎の芸における睨みも邪を祓うとされており、『見る・見られる』という行いが一種の魔法であることが窺える。


「即席だが、魔焔の行使を目が担い、それに簡単な圧縮による弾丸鋳造の術式を加えた。これで単純な火力が上がるだろう……もっとも、コントロールや弾数の増強は今後の課題だがな」


 無論、魔法に費やしてきた日数や、基礎知識の格差もあるだろう。だがこうもやすやすと段違いの成長を見せつけられては、帰り道のベンチでカフェオレ片手にうつむきたくもなる。


「……『小蛇コロチ』」


 呼びかけに応じ、ベンチの影から顔のない蛇がひょっこり現れる。

 その数は九。『八岐大蛇ヤマタノオロチ』ならぬ『八岐小蛇ヤマタノコロチ』である。


「……はぁ」


 またしても、堰を切ったように溜息が漏れ出る。

 光魔法が「生命力を増強させる治療(浄化)」と「光に変換した魔力の屈折・収束による威力の向上」――要は『強化バフ』を得手とするのに対して、闇魔法は「生命力を減退させる衰弱(呪詛)」と「闇に変換した魔力の呪縛・吸収による無力化」――要は『弱体化デバフ』を得手とする。

 そのため、まだ魔法が発展途上なのだということを加味しても、攻撃性能は皆無。できることといえば、人一人の拘束程度か。


 しかも極めつけの欠点が、というのだから始末に負えない。呼んでいる名前が間抜けだが、それが似つかわしいほどに非力だった。

 これで多少なりとも明るい兆しが見えていれば、駅前で配られていた試供品のエナジードリンクでも飲んで、もうひと頑張りしていたのだろうが、重い腰は幸先を憂うばかりで上がらない。


 いわゆる転生もののフィクションでいけば、この『八岐小蛇ヤマタノコロチ』の尾に宝剣が隠されており、思わぬ才能が開花! 状況をみるみる打開! ……となるのだろうが、尾にあるのは影しかない。現実はそう甘くはなかった。


 こんな感じで、今後をなんとかしていけるんだろうか……月彦がもう何度目かも分からない溜息をついた時だった。


「――あれ、加地先輩?」


 ぎょっとして、そそくさと『小蛇コロチ』を引っ込める。


「ああ、やっぱり先輩だったんですね」


 一人駅近くの公園で黄昏ていた月彦の元に現れたのは、まゆずみ晴花はるかだった。下校そのままの格好で、手には中身の詰まったエコバッグが握られている。買い物帰りなのは明白だった。


「こんにちは。ここ、使う?」


 重い荷物を持ったままで立ち話は辛いだろうと、月彦は腰を寄せたベンチをぽんぽんと叩いた。


「ありがとうございます。失礼しますね」


 月彦は「荷物置きに使ってくれ」とジェスチャーで示したつもりだったのだが、


「!?」


 晴花はごく自然に、すんなりと月彦の隣に腰かけた。


 ち、近い……!

 流石に月彦の通学鞄が間を取り持ってくれているが、晴花の通学鞄はベンチの端に、エコバッグは膝の上に乗せられており、どうしても至近距離である現状を意識せざるを得ない。しかも同日の昼休み、女子から手作りのお菓子を貰うという、女子に熱視線を送る男子高校生同志であれば、垂涎の的必須のイベントをクリアしていたのにもかかわらずという体たらく。猪突猛進な小市民はいい空気を保つべく、なにを話すべきか必死に思考を高速回転させていた。


「今日は良ちゃんと一緒じゃなかったんですか?」

「え? ……ああ、一緒に放課後過ごしてたけど、その後帰ってる途中で俺がへばったから、一人で休んでるってだけ」


 そうだ。共通の話題があるならば、それを俎上に上げるに越したことはない。潤滑油となって、会話を円滑に回してくれるはずだ。そうと決まれば、使わない手はない。

 若干よこしまな魂胆が透けて見えるが、間が持たないと踏んだ月彦は、「良太郎とは幼馴染だって言ってたけど、どれぐらい長い仲なの?」と――後先考えずに疑問を呈してしまった。


「もう十年以上……ううん、、九年以上でしょうか」

「あ……」


 そこで、愚か者はやっと思い至った。

 勇者と相対した廃ビル、鍛錬で使用した裏山の廃工場が撤退した『とある理由』……そして魔王を討伐した勇者の歩みが、華々しい英雄譚として語られない致命的な事情。


「気にしないでください。本当のことですし」


 晴花はあっけらかんと笑ってみせるが、月彦は自身のうかつさに顔が熱くなる。


「良ちゃんは私にとって、凄く大切な幼馴染です。もう五年も前になる……いえ、まだ五年しか経ってないんですけど。私も両親を失って、自分も大火傷をした、あの大火災の前に行方不明になって、その後に発見されて……昔から一緒にいたってだけじゃなくて、一番辛かった時に心の支えになってくれたんです」


 勇者であった天道良太郎は、魔王を討伐した結果、生まれ故郷のこの世界に帰ってこられた。

 その余波として――馴染み深い町に、災いを振り撒いて。

 暁奈が説明してくれた異世界災害の一種なのだろう。だがそれによって、晴花は大切なものを弔い、良太郎も長期間に及ぶ行方不明によって当たり前の平穏が砕け散った。


 誘拐なのかすらも分からない一人息子の失踪は、仲睦まじかったはずの両親の絆を引き裂き、良太郎もかつてのあたたかさが絶えた家に寄り付かなくなってしまった。現月彦となった夜、着の身着のままで皆本家へと赴き、いつもの勝手で過ごしていたのが、なによりの証拠だろう。


「って、私がここまで元気になれたのは、良ちゃんだけじゃなくて叔父さんのおかげも大きいんですけどね」


 不和と不信の闇に包まれた生家に比べれば、皆本家の団欒は凍えた指先がほどけていくように思われるはずだと、月彦も氷の城じみた自身の家を思う。


「親戚のどこに引き取られるか揉めてた私を守ってくれて、辛い記憶の引き金になるなら転居も検討してくれたんです。でも私は、良ちゃんもいるこの町を離れたくなくて……わざわざ無事だった空き家を探してくれた、恩人なんです」


 晴花も、一度あたたかな団欒が灰燼に帰してしまったからこそ、月彦をもてなしてくれた時のように食卓を大事にしてくれているのだろう。膝上のエコバッグを見れば容易に察せられる。良太郎の足が向くのも道理だった。月彦も同じ立場なら、誘蛾灯よろしく引き寄せられていたに違いない。


「うん。俺も一度ご一緒させてもらっただけだけど、皆本さんはいい人だと思ったよ。突然来た俺にもおおらかに接してくれて」

「そう言ってもらえるなんて光栄です。ありがとうございます」


 ……お礼を言うべきなのは、月彦の方だ。


 この戯崎ぎざき市において、加地月彦という人間は高校生ながらに知られた存在だ。

 なにせ祖父は巨大企業である加地製薬の代表。しかも件の大火災をキッカケに本格進出してきたのだから、快く思わない住人も多かった。朔之介にとっては漁夫の利だったとしても、住人から見れば土足で踏み荒らした、憎き簒奪者である。当然、親から影響を受ける子供からも、前月彦は酷くうとまれた。現月彦に詳細な記憶や感覚はないため、必要以上に心が荒むことがないのは幸いだが。


「それに、紹介してくれなかっただけで良ちゃんにも友達がいたんだーって知れて、私も嬉しかったですから」


 そのような中で月日は流れ、朔之介から受けたのは、勇者である良太郎監視の要請。

 ハリボテの友情は、しかし前月彦の心に複雑なものをもたらした。最終的に嫉妬と憎悪に塗り固められてしまったそれは、けれど確かに友情だったのだ。

 自殺騒動の折、呪詛の声にいざなわれてしまったのは、おそらくそんな後ろ暗い環境が招いたものだったのかもしれない……と考察するのは蛇足だが。


「俺も……嬉しく思うな。良太郎にそんな幼馴染がいてくれたなんて」

「そう、ですかね」


 ここまでつつがなく舌を動かしてきた晴花が、ふと言い淀む。


「私も、そう良ちゃんから少しでも思ってもらえてたら……えへへ、いいなーって」


 言い慣れない言葉を発した口元のむずがゆさが堪らないのか、しきりに唇を触りながら、紅潮した頬に伏せたまつ毛の影が落ちる。その表情が、短い髪ゆえによく見えた。


「……うん。そうだね」


 またしても――ようやくそこで、月彦は己が愚かさを思い知った。


 晴花の境遇も、原作ゲームで既に把握していた情報だ。真新しさはない――だが、こと個人の感情となると別だ。

 ここに至るまで、初っ端から聖剣の錆になるかの瀬戸際を彷徨い、やっと平常運転の生活になるかと思いきや命の危険に晒されて、現実味をこれでもかと味わわされた。自分自身の立ち位置に過分に含まれる現実味は、十二分に理解したものだと思い込んでいた。


 そうではない。あの自殺騒動で、月彦が良太郎との絆を手放しがたいと感じた以上に、晴花は良太郎との間柄を珠玉の関係として捉えている。

 魔法の鍛錬も助太刀の一手となるとは思っていたが、それよりも護身術としての認識が大きく、「誰かを守る」という気概に欠けていた。力及ばないのだとしても、手助け程度と本腰を入れないのと守るための立ち居振る舞いでは、どうしても質が変わってくる。目下の敵である加地朔之介や、暗躍が疑われるフリーランスの魔法使いが本格的に動き、晴花や彼女の叔父の皆本みなもと時雨しぐれが巻き込まれれば、月彦の小手先の抵抗など水泡に帰すだろう。それでなくとも、命を保証をしてくれるほど甘い連中ではないことは、既に分かりきっている。


「っと! 長話しすぎました。まさかこんなに時間が経ってるなんて。加地先輩が聞き上手だったからですかね」

「いや、そんなことないよ。でも話しやすかったならよかった」


 つぼみがほころぶような、あたたかな恋心の愛らしさから、自分ばかりで視野狭窄に陥っていた浅ましさが浮き彫りになる。

 崖っぷちだった月彦にとっては立つ瀬がない誤りだったが、まだ挽回のチャンスはあるのだ。ここから気を引き締めねば……と心に決めたところで、晴花がベンチから立ち上がった。


「先輩は今晩うちに来ます? 良ちゃんも来るみたいなんで、おかずを少し多めに作る予定なんですよ」

「え、ああ、今回は――」

――でしょ?」


 知らない声。

 だが、知っている声。


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