夢を乗せて列車は走る⑥【改稿】



 夕方見た時は、大口を開けた巨怪のように思われたビルディングだったが、錯覚ではなく本当に魔物の巣窟と化していた。


「…………っ」


 月彦は息すら呑めずに、言葉を失った。


「亡霊……もうこんなに現れていたの……!?」


 亡霊を視認できる驚きも忘れて、愕然と立ち尽くす。

 スーツ姿の男性、オフィスカジュアルの女性、秋の最新コーデを身にまとった若者、制服姿の学生、白杖を持った老人……暁奈のスマホで見せてもらった犠牲者よりも遥かに多い人影が、ぼんやりと薄明りを発しながら回遊している。ふやけた紙を思わせる質感は、餌を求めて泳ぐ魚よりも、海流になすがまま漂うクラゲを連想させた。

 想像していた以上に事態が悪化していたのは、火を見るよりも明らかだった。


「ど、どうしてこんなに!?」

「人身事故の犠牲者が線路伝いに、芋づる式に引きずり込まれてるんだわ」


 ここまで息も切らさず走ってきた暁奈が、ひゅっと短く喉を鳴らす。


「加地! あたしの後ろから出ないで!」


 喝を入れんと張り上げた声に、亡霊達が招かれざる客へと注目する。背筋を奔った悪寒は、決して恐怖だけではないだろう。辺り一帯の薄ら寒さが、生者への嫉妬、憎悪、激昂から、明確な殺意へと変貌を遂げていく。


「あたしだけじゃ結界を保てるのは、持って十分程度……統率された集合体となって地縛霊のくびきから脱する前に、このままあんたを守りながら亡霊を消し飛ばす!」


 メイド服のソックスガーターに忍ばせていた『それ』を、両手に構える。


「業火よ!」


 『それ』は、ナイフでも癇癪玉でもない――「紙束!?」


「行ッけぇ――!!」


 紙束が紙飛行機だったと気づくや否や、燃え上がり、火の矢となって放たれた。

 線路のような一対の轍が、煌々と光りながら亡霊の群れの中心へと。


『■■■■■■■■――ッ!!』


 炸裂! 着弾した衝撃に伴って炎が弾ける。禍々しい悲鳴が、威力の程を伝えた。

 あぶくのごとく膨れ上がって亡霊達を焼いた双撃は――しかし。


「なっ……!?」


 暁奈が青ざめる。穴を穿たれながら、亡霊達はいまだ健在。


「魔導書のページであたしの魔焔を強化したのに……!」


 どころか、今の攻撃でこちらを完全に敵と見なしたと言わんばかりに、聞くもおぞましい呻き声を轟かせている。

 だが歯がゆさに苦渋を滲ませる暁奈も、指を咥えて反撃を待つわけではない。


「出し惜しみはなし!」


 全弾投入だと、ソックスガーターから紙飛行機をすべて引き抜く。両手合わせて六羽の火の鳥。


「ええい、ままよ!」


 三と三。獣の爪痕のような尾を引いて、火の鳥が一気呵成に飛び立った。

 半月と半月。弧を描いて狙うはただ一つ、亡霊の塊の中心部――!


『■■■■■■■■――ッ!!』


 炸裂! 炸裂! 断末魔の雄叫びが焼け爛れていく。

 更に魔焔は誘爆を引き起こし、赤々と塗り潰すがごとく挟撃が圧殺した。花火に似た爆炎の輝きは、燐光と共に紅蓮の熱波を伝えてくる。盾代わりにかざした手のひらがひりつく感覚に、月彦へ間近で見る魔法の凄まじさを物語っていた。


「これで……!」


 暁奈も手応えを感じている。素人目に見ても、亡霊達は丸焼けだ。

 ――だが、


「な、あっ!?」


 

 否、暁奈の業火は効果抜群だった。それは初撃が刺さっていたことから見ても明らかだ。


 ならばどうして亡霊はいまだ健在なのか――答えは簡単。


「加地」


 名前を呼ばれるのと同時に、スマホが投げつけられる。


「アドレス帳の一番上に登録してる名前に連絡して。支給用のスマホだからパスワードの心配はないわ」

「ど、どういうことだよそれって……!?」

「ここはあたしが時間を稼ぐって言ってんのッ!!」


 覇気のこもった一喝には、反論を許さない必死さがあった。


「……ごめん。ここまでの相手だと思ってなかったあたしの油断のせい」


 そうは言うが、即座に次善の手を用意していたとしか思えない振る舞いに、月彦の脳裏に一つの可能性がよぎる。

 歯が立たなかった時の連絡係を逃がし、自らを時間稼ぎの壁役に仕立てる――という。


「見捨てて逃げろっていうのか、人見を置き去りにして!?」

「それ以外になんの手があるっていうの!?」


 力もなければ策もない月彦が、このまま残って益になることなど一つもない。ならば大人しく引き下がって、連絡に徹する方がいい……はずだが。


「断る!!」

「ば……っ!」


 罵声を浴びせてでも退かせようとした暁奈に向かって、形の崩れかかった亡霊が肉薄する。


『■■■■■■■■――ッ!!』


 魔導書のページによる火力増強は尽きた。

 だが、まだ戦うすべはある。


「しつ、こいッ!!」


 暁奈の両手が燃え上がる。魔焔で体当たりを仕掛けた亡霊を押し留めるが、踏ん張った足がジリ、ジリと後退する。すかさず月彦も肩を入れて暁奈の背中を支えた。


「俺がここから離れても、呪詛から生還した俺に亡霊が向かってくるかもしれないんだろ!?」


 空いた右手でスマホを握り締める。暁奈の肩越しでも、魔焔の熱は尋常ではない。それでも尚、焼き尽くせない亡霊の脅威は甚大だった。

 だからこそ、我が身可愛さを押し殺してでも残らねばと、月彦に決意させたのだ。


「なら俺もここに残って連絡する、それでいいな!?」

「馬ッ鹿じゃないのあんた!?」


 暁奈に叱責されるまでもない――月彦は大馬鹿者だ。


 良太郎が異世界から帰還した稀有な人間で、あまつさえ魔王を討伐せしめた勇者であると知り、勝手極まりない嫉妬と憎悪を募らせ、激昂し、果ては殺意さえ抱いて襲い掛かった。良太郎が殺害を決心しなければならなかったことが、本気であったなによりの証拠だ。愚者も極めれば喜劇役者になれてしまう。


 ――オロカシイコト コノウエナイネ!


 呪詛の声に言われるまでもない。

 ……そうだ。元より加地月彦という人間は、この亡霊達と根っこは同じだったのだ。


 だからというわけではない。内面的には同一人物足り得ない今の月彦に、贖罪や責任は無縁だ。かといって、自己犠牲で今後の信頼を獲得しようと算段を立ててもいない。むしろ退避しなかったことを暁奈から責められるのは明白だ。


「残ったって共倒れになるだけじゃない!! どうして逃げてくれないの!?」


 ――トモダオレ! トモダオレ!

 ――コノママ ニゲナキャ トモダオレダ!


 それでも……それでも、月彦は食い下がった。


「ここで逃げ延びて生き残っても、俺はあいつに胸張れる『友達』じゃなくなる……そんなのは嫌だ!」


 ――「でも、本当に良かった」

 ――「お前は覚えてないかもしれないけどさ、『俺が異世界帰りの勇者だって偶然知って、近づいて、羨ましさで腹が立った』って、どこかで手に入れてきた魔導書片手に襲い掛かってきて……お前を、殺さないといけないんじゃないかって、覚悟した」

 ――「たとえ打算で近づいてきてたんだとしても、月彦は孤独だった俺にとって――唯一の友達だったからさ」


 逃げおおせれば、良太郎はきっとそれ以上魔法と異世界の側に近づかせないようにするだろう。だがそれは、同時にそちら側にいる良太郎との断絶をも意味している。


 命を懸けるほどのものとはいえない、小さな絆。

 だとしても、転生の記憶を呼び覚まして心細かった月彦にとっては、なにものにも代えがたかったのだ。


 それはプレイしたゲームフィクションではない、実体験リアルのあたたかな光――あの聖剣が放つような――。


「こうなったらあたしの奥の手を使って……!」

「――その必要はないぞ」


 カツン、と。

 業火が亡霊を焼く音を、殺意のこもった金切り声を、夜の無関心な静寂を――靴音が清める。


 カツン、カツン、カツン、カツン。

 プラットホームのアスファルトではない硬質な靴音は、線路伝いから聞こえていた。


「ステラ、行くぞ」

「ああ……


 影法師のシルエットが相棒の手を取ると、流動して形を変じた。一気に周囲が明るくなる。


 ――良太郎だ。


 色素の薄い生来の茶髪に、セルフレームの眼鏡。寝巻代わりのジャージ姿は、手にした『それ』とは不釣り合いに平凡だった。

 そう、平凡だ。仮にプラットホームで見かけても、電車に乗り込めば最後、すっかり忘れ去ってしまいそうな程度には十人並みな印象を受ける。暁奈のような浮世離れした美形でこそないものの、さりとて目につくほど不細工でもない。

 それなりに普通の男子高校生が、しかし今は普通らしからぬ雰囲気をまとっていた。


『■■■■■■■■――??』


 亡霊達に動揺が奔る。興味を失ったかのごとく暁奈から離れ、持ち堪えていた細身の体がバランスを欠いて、月彦も巻き込んで尻餅をついた。「きゃっ!」と短い悲鳴が上がる。

 背水の陣から解放され、視線はおのずと亡霊達がなにに反応を示したのかに向けられた。


「あ、れは……」


 松明か篝火か……いや、剣だ。

 良太郎の手に握り込められた両刃の西洋剣が、煌々と黄金の光を放っていた。


「異世界の……聖剣……!」


 暁奈が魔焔の火力増強に用いていた、異世界漂着物の魔導書などではない――たかだか脱落したページ数枚とは比べものにもならない、正真正銘かつ完全無欠の本物だ。


『■■■■??』『■■■■??』

『■■■■??』『■■■■??』


 わけが分からないと言わんばかりに、亡霊達の回遊が崩れた。統率は取れておらずとも烏合の衆ではなかった集団に、明確な混乱が生じる。

 知性なき死者の幻影だとしても、感覚的に悟っているのだろう。良太郎の聖剣が、一体どれほどの品なのかを。


「ゴーストがひいふうみい……うげ、こんなに多く集まってたのかよ。どうりで人見の魔焔じゃ火力が足りないわけだ。こいつら頭フッ飛ばしても普通に動き回るもんな」

『無駄口を叩くな。加地月彦と人見暁奈は無傷。浄化で回復する手間がないだけマシなのだから、さっさと片付けるぞ』

「まあ……そうだな」


 カツン!

 終止符を奏でる靴音で、足が肩幅に開かれる。そこから一足を引き、腰を落とした体勢には、月彦も見覚えがあった。


「友との絆を照らす光を此処ここに! 嬰児みどりごが微睡み、悪漢を晒す摩天楼の燭台よ……今こそ浄炎となりて死者の楔を討ち滅ぼしたまえ!」


 ――聖剣は、この世界のありとあらゆる美しいものを束ねたかのように、燦然と光り輝いていた。

 否、

 こことはかけ離れた幻想郷――異世界が鍛造した、生存と肯定の象徴。希望の篝火。魔王を討伐せしめた断頭の刃。柄すら取り巻いて余りある光明をその身にまとった刀身は、夜の闇など意に介さないほどにまばゆかった。


『■■■■■■■■ッ!?』


 月彦と暁奈を害そうと襲い掛かってきた姿が、嘘のように恐れ惑っている。死滅と否定だけが存在意義の亡霊にとっては、身に余る毒だ。

 現世にしがみつくばかりの哀れな子羊を、しかし聖剣は許さない。


よすがなく彷徨える魂よ! 安寧の夜へと永久とこしえに眠れ!」

『■■■■■■■■――ッ!!』


 だが亡霊達も、なすがままを受け入れるわけではない。一矢報いようと、弾丸となって良太郎へと殺到する。力不足だった暁奈と月彦であれば、絶望に溺れ死んでいたことだろう。


 ――しかし、相手は天道良太郎。

 異世界から帰還した、聖剣使いの勇者である。


「黎明讃歌ッ!!」


 原作ゲームで見た聖剣の一撃、その再現が瑞々しく繰り広げられる。


「ディールクルム――ッ!!」


 瞬間、無音の突風が駅構内を吹き荒れた。

 翻る剣先。放たれるは星屑を集めた奔流。

 滂沱と化した光が、圧倒的な質量で亡霊達を一瞬で呑み込んだ。


『■、■■■■……■■■……!』


 金切り声がかき消える。ディールクルムの光に、音を伴う実体はない。しかし眼前で輝きに煽られた月彦の耳には別の、甲高い鈴の音がこだましていた。

 魔力が亡霊に染み入り、千々に溶かしていく音。

 それは「おばけが戯れる時間は終わりだ」と叱りつける朝日のように、ゆるやかに闇夜を希釈していった。


「…………っ」


 今度は恐怖ではなく圧巻で、月彦は二の句が継げない。

 これが聖剣――これこそが勇者。


「ふう……ありがとな、ステラ」

『剣は使われなければ棒切れと相違ない。担い手らしく、面目躍如だと大きく構えていればいい』


 礼は不要だと、ステラが聖剣から人の姿へと戻る。


「まあ……今回は想像し得る中で最悪のケースになったと見るべきだな」


 不信だが嘘はついていないと月彦を判断した慧眼の見抜いたとおりだ。歯が立たなかった悔しさからか、暁奈は「助けられちゃったわね……」と、ばつが悪そうに顔を伏せっていた。


「大丈夫……みたいだな。あー肝が冷えた」


 緊張を解き、普段の男子高校生の顔に戻った良太郎が、へたり込んだ暁奈と月彦へと歩み寄る。


「……なあ、一つ訊いてもいいか?」

「なんだよ改まって」

「聖剣……ステラさんだけど、魔法でいうところの魔導具と術式、どっちなんだ?」

「ステラで構わん。私は自律型の魔導具だ。少々特殊事例だがな」

「異世界の至宝が少々はねぇだろ……って、訊きたかったのってそんなことかよ」


 良太郎にとってはそんなことでも、月彦にとってはそんなことなどではない。こうして確かめたことによって、一つの事実が浮き彫りになったからだ。


「ということは、あの詠唱とかって……」

「ああ。術式起動の文句などではない、ただの良太郎の趣味だ」

「…………」

「…………」

「というか、『黎明讃歌』とか『ディールクルム』とか、なんなら『ステラ』って」

「異世界がこの世界と密に関わっている以上、言語にも共通項が見出せるが、詠唱や私の名前にいたって言えば、ただの良太郎の趣味だ」

「…………」

「…………」


 えも言われぬ沈黙が漂う。

 気まずさを打ち破ったのは、やり取りを眺めていた暁奈だった。


「普通は魔導具の起動に合図が必要なだけで大仰な詠唱は不要だけど、聖剣だけは例外なのかと思ってたら……変だと思ってたのよね。『ディールクルム』って確か夜明けって意味のラテン語だし、『ステラ』も星って意味だし」

「私の名前も『聖剣だと寂しいから』とつけられたものだが、何故良太郎自身の国の言葉ではないのかと問うて得られたのが、前述のとおりだ」

「ぬぐぉおおおおおおおお!」


 あ~らら。月彦は内心同情する。

 異世界帰りの聖剣使いも、今や歳相応に格好つけたがるただの男子高校生だ。原作ゲームでは特に言及されることもなく流されていた箇所だが、もしやと思って訊いてみたのだった。

 良太郎がそういったフィクション的なセンスを好むとは予想だにしていなかったが、もしかすると原作ゲームの裏設定にはあったのかもしれない……などと、月彦はのたうち回る良太郎を眺めていた。こうなってしまえば、勇者も形なしだ。


「……ふふふ」

「笑うなよぉ……恥ずかしいだろ……」

「いや、なんか、良太郎は良太郎なんだなって」

「なんだよそれぇ……」


 勇者らしからぬ腑抜けた笑みはだらしない。だがそれを見て、月彦の胸中には一つの想いが生まれていた。

 「……ああ、『友達』なんだ」という、当たり前すぎて受け入れられずにすり抜けてしまっていた感覚。くだらないことで笑い合って、ピンチの時に助けるような実感は、原作ゲームを傍観していた時には得られなかったものだ。

 得てしてそれは、この世界を生きている感慨深さへと変わる。


「まあでも……友達が無事で、本当によかったよ」


 つられて現れた笑みはだらしなく、ギリギリ待ち合わせ時間に間に合ったと言わんばかりに、勇者らしからぬものだった。


 ――こうして、一連の自殺騒動は遅れて登場した主人公ヒーローによって、颯爽と解決してしまったのだった。


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