夢を乗せて列車は走る⑤
実に一昨日ぶりとなる帰宅に、月彦は驚きを隠せずにいた。
「でっっっ……!」
そもそも原作ゲームの知識しかない身で帰宅できるのか不安だったが、描写どおりに歩いていくと、あまりにも目立つ建物が嫌でも目についた。
――尋常ならざる豪邸だった。
外装こそ華美ではないが、縦にも横にも嵩がある。当然だと言わんばかりに正門があり、正門と玄関とで鍵やら認証やらを求められる重厚なセキュリティ。記憶はなくとも体が覚えていたのか、それをなんとかくぐり抜ければ、博物館を否応なく連想させるメインホールが視界いっぱいに広がった。
「お帰りなさいませ、月彦様」
現代日本においてはいっそ異世界めいているメイドが、恭しく腰を折り曲げる。
「あっ……ああ」
気さくに「ただいま」と口を突きそうになったのを堪えて、クールに努める。ここでバレれれば元も子もない。
「この後七時よりご夕食のお時間ですので、お忘れなきようお願いします」
「分かった」
平静を装って自室へ戻り、今回のことは夕食時にでも考えよう……としていたのだったが。
「…………はぁ」
風船がしぼむように、力なくベッドに倒れ込む。質のいい寝具が優しく体を受け止めてくれるのが、なんとも憎らしかった。
……この世界を意識して二度目の食事が(実際は三度目だが)、ここまで重苦しいものだとは、月彦も予想だにしていなかった。
パーティでも開かれそうな大きなテーブルには、肉汁滴る鶏肉のソテー、付け合わせの野菜は惜しみなく様々な種類が添えられ、具沢山のチャウダーからは大ぶりの二枚貝が顔を覗かせ、やわらかなバターロールは好きなだけ食べられるようバスケットに盛りつけられている。
見た目だけならば、豪勢な夕食だと諸手を挙げて喜んでいただろう……それらがすべて、フードデリバリーからもたらされたものでなければ、だが。
「味、全然分からなかったな……」
自分以外、誰もいない食卓。控えた給仕係のメイドは終始無言で、耳を楽しませるBGMもない。無味乾燥な食事風景。
張り詰めた空気に音を上げた月彦は、目の前の料理を素早く、しかし怪しまれない程度には丁寧に胃へとしまわなければと、全神経を研ぎ澄ませた。和気藹々と談笑に満ちていた皆本家の食卓が、雲の上の出来事のように思い浮かばれても仕方ないだろう。
資産が十分にあり、接待などで外食も多く、仕事の都合で食事の時間もまちまちとくれば、フードデリバリーも決して悪い手段ではない。とはいえ、育ち盛りの高校生すらもそれで済ませているとなると、純粋なショックの方が勝る。加地家の内情は、原作ゲームで既知の情報だと軽んじてしまっていたが、実際はその何倍も深刻なものだった。
「いや、そうじゃない!」
発破をかけるように飛び起きる。そうでなければ、このまま感傷に浸りながら寝落ちしてしまうところだった。時刻は既に日付を超え、存在感を露わにし始めた睡魔が甘え出したのも、思考停止しそうになった理由の一つである。
なにも食事を悲しむために、風呂も寝支度も整えたわけではない。本題は、月彦が巻き込まれかけた後の話だ。
「この魔法は、『呪詛』かもしれない」――そう、帰り際に暁奈は言っていた。
呪詛――平たく言えば『呪い』だ。日本でいえば、丑の刻参りでの藁人形に五寸釘を打ちつける方法が、一般にもよく知られている。
「色々あるけれどね。ケルト神話では『
暁奈が言うには、呪詛とは『魔法的なコンピューターウイルス』だと捉えれば分かりやすいらしい。病原体ではなくコンピューターウイルスと例えたのは、自然発生を含まない人工的なものだからだろう。現代の魔法使いはネットリテラシーにも精通している。
「本当は『まじない』……さっき言った『
そこまで説明されれば、魔法的な知識に疎い月彦でも理解できた。ウイルスによって個人情報を抜き取る場合もあるだろうが、此度はパソコンを破損せしめるのが目的だ。それと類似した魔法が呪詛なのだろう。
――なればこそ、感染経路がなければならない。
偽装されたリンクをクリックしてしまったり、怪しいファイルをダウンロードしてしまったり。それらに相当する出来事が、しかし月彦には、とんと見当もつかない。水が低いところへ流れるように命を損なう魔法は、やはりあの傷が毒牙の印だったのか……ただの傷にしか見えなかった、というのが正直な感想だ。
「…………はぁ」
再度こぼれた溜め息は、役立たずだった自分と途方もない魔法に向けられている。
このままフェードアウトして、異世界だの魔法だのという超常的な非現実から離れられれば、束の間の平穏に微睡めるだろう。しかし、加地月彦という人物が安寧を手に入れられるのは容易くない。暗躍する魔法使いの魔手は、刻一刻と迫っているかもしれないのだ。このまま尻尾を巻いて逃げ出すわけにはいかない。
けれど、どうやって立ち向かえば――。
「――月彦、いる!?」
「ギャアアアアアアアア!? ――むぐっ」
「うるさい! 声がデカいのよあんた!」
それはまごうことなきブーメランなのでは……と冷静に毒づく間もなく、口を手で封じたのは。
「今は一応雇い主の家族の立場なんだから、馴れ馴れしい口聞いてるのバレたら面倒なことになるのよ。分からない? ……あー、でも記憶ないんだっけ」
暁奈だった。
しかも、メイド服姿の。
「もがっ……?」
フリルが縁取る白いエプロンこそメイド服らしい特徴だが、それがなければ修道服かと見まごうほどに、シンプルで禁欲的なロングワンピースだった。黒と白のコントラストが、元より白磁の肌に艶やかな黒髪をしている暁奈に、とてもよく似合っていた。職務上、衛生面に配慮してか、腰まで届く長い黒髪はシニヨンキャップにしまわれている。
これで口調や声色までも楚々としていれば、さしもの月彦も他人だと勘違いしてしまっていただろう。しかし月彦しかいないと見当をつけて訪れたためか、口調も声音もそのままで、珍妙な印象を受けるだけに終わった。
「見たまんまよ。あんたの家で住み込みメイドやってんの」
「え、実質メインヒロインと一つ屋根の下?」と思わず口走りそうになったが、口を塞がれたことで踏み外すのを免れた。
そういえば原作ゲームであったな。暁奈が加地家にメイドとして暮らしているの……と知識が遅れて追いつく。
「でも別に、あんたと世間話しに来たわけじゃないわ――分かったのよ、あの呪詛の秘密が」
「!」
ホームの傷、あれが一体どんな呪詛を生んでいたのか……固唾を呑んで、月彦は聴き入る。
口を塞いでいた手が解かれて、暁奈は月彦と向き合う。
「見た目で人を不安に陥れる手法は、確かにあるわ。でも、あの傷はそんなものじゃなかった」
「は?」
思いがけず、口がポカンと開く。
「不安こそ与えても、そんなポンポン人を死に導くような負荷はかけられない。もし長期間に渡って負荷をかけ続けていたら、もっと多くの人が……それこそ、通学に使ってたうちの高校の生徒だって被害にあってたかもしれないわ。仮にそれだけの長期間やっていたら、もっと被害が拡大していたと思う。というか、あんたがそれに当てはまらない」
「この短時間の内に、よくそこまで調べられたな。夕方帰ってきて、その様子からしてメイドの仕事もあっただろうに……」
不意にこぼれた感嘆に、暁奈は「あ、いや……」と言葉を濁らせる。
「これは、あたしだけの成果じゃないっていうか……」
「?」
「ちょ、ちょっと知恵を借りたのよ。それ以上はあんまり詳しく話せないけど」
そこまで言われて、月彦も「ああ、そうか」と胸の内で得心がいく。……おおよそ、昼休みにたまたまスマホで見た、あの『しろいかみのおんなのこ』なのだろう。
原作ゲームの知識がなければ疑問符を浮かべて追及していただろうが、それ自体は今現在の本題に関わらない余談であり、暁奈も胸襟を開くつもりはないらしい。
「ちゃちゃっと調べられたのよ」の一言でもあれば適当にかわせたことを、それでも勝手な手柄の横取りはしたくなかった暁奈の素直さが透けて見える。
人の良さに掘り下げることもはばかられ、月彦は「じゃあ、別の手法だったのか?」と話題を転換させた。いつか聞くことになるだろうが、今はお預けだ。
「あの傷じゃないとしたら、時刻表や、ベンチや、点字ブロックや、自販機か? いやでも、俺は――」
「『呪詛という魔法的なコンピューターウイルスには間接的にでも接触が必要』……『駅のホームで起きてるから、原因は駅のホームにある』って、そう勝手に思い込んでたのよ、あたし達は」
なんらかの接触、それは事件現場の駅のホームで起こっているものではなく、長期間かけて効果を発揮するものでもない。あくまであのホームについた段階だけで効果を発揮し、対象者に死を促す。
「呪詛のスイッチは、改札機よ」
「――――!!」
改札機。
普段駅を利用せず、時刻表を見ず、点字ブロックも歩かず、自販機は素通りで、ベンチは被害が及んでから利用した。
だが、改札機となれば話は別だ。駅を利用する人、誰しもがあそこを通る――そして、ICカードをタッチする。
信用しきったリンクが偽装されたものとも知らずクリックするように、月彦も当然行った。
「スイッチのための、接触……」
「あんたが呪詛に引っかかった、そのおかげで呪詛が蓄積型じゃない単発的なもので、改札機が発生源だと分かった――けど、ここからが急いで来た理由よ」
暁奈の眼差しが、より鋭さを帯びる。
「あんたに呪詛は発動し、あわや死ぬところを天道に助けられた」
「…………」
「蓄積型で発動する呪詛だったら、あたしもここまで焦ってないわ。でも呪詛のプログラム的に、発動して餌食になったはずのあんたは死んでなくて、しかも改札機を再び通ることなく外に出てしまった。言ってみれば、死んでるはずの人間が元気に出歩いてるってわけ」
月彦は眉をひそめる。当人としてはただ巻き込まれて、正式な手順を踏んで駅を出たはずだったが……それが想定外のバグを生むに等しい所業だったとは。
「人を呪わば穴二つって言うでしょ。人を呪うような外道を行えば、報いを受けるのは必至ってことわざ。それでなくても、呪いなんていうハイリスクハイリターンな魔法のバランスが崩れたら……なにが起こるか分からない」
「!」
「魔法使い本人に返ってるだけならいいわ。でも、わざわざ呪詛なんて危険な代物を扱う魔法使いが、火の粉が降りかかるのを備えていないはずがない」
月彦の喉がつっかえる。
「じゃ、じゃあ……あの傷は?」
行き場を失って暴走した呪詛は? 一体どうなるのか?
……恐ろしくて訊けるはずもなく。
「経年でついた、ただの傷よ」
毅然と言い放つと、暁奈は窓を開け放った。嫌に大きな窓は、まだ遅い時間ではないにもかかわらず人気の少なくなった裏門側へと通じている。月彦の部屋は邸宅の端に位置しており、気づかれずに抜け出すことも容易く行える立地となっていた。
ダンスを彷彿とさせる軽やかなステップを踏んで、「すぐ支度して」と高飛車な声がかかる。秘密裏に確保してきたと思しき月彦の靴が、さながらシンデレラのごとく落とされた。
「このままだとあんたの身も危ないわ。放逐された呪詛が一斉に襲い掛かってきたっておかしくない」
秋も深まりつつある夜は、風も冷える。凛とした空気を孕んで、メイド服のスカートがふんわりと裾をはためかせて膨らんだ。
「――行くわよ、あの駅へ」
高飛車なまでの強引さに、意図したわけではない苦笑いが漏れ出る。ここからが異世界と魔法の境界線を踏み越えた月彦が、初めて迎える本番だ。
覚悟の時だと、秋月は同胞の決心を見守るように輝いていた。
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