第457話 未来ある若者のために
「どうだ、緊張しているか?」
僕はベンチで、鈴鳴投手に声をかけた。
鈴鳴投手は身長は170cmそこそことあまり高くはないが、体重は90㎏くらいあり、重いストレートが武器の右腕である。
変化球もスプリット、シュート、カットボールを投げ分ける。
「めっちゃ、緊張してますよ。
ところで知っていますか?
今日の始球式、女優の〇〇さんなんですよね。
俺、大ファンなんですよね。
高橋さん、何とかサイン貰えないもんすかね」
これくらいふてぶてしくないと、プロの世界では生き残れないかもしれない。
「サインか?
広報の新川さんに言って、貰っておいてやるよ」
「マジっすか?、鈴鳴投手へって入れてもらってくださいね」
「ああ、わかった。
勝ち投手になったらな。
もし負け投手になったら燃やすからな」
「勝ち負けがつかなかったら?」
「チームが勝てばやるよ。
負けたら燃やす」
「そんな殺生な…」
「だったら勝つんだな」
「わかりました。
全力を尽くします」
鈴鳴投手はより一層、気合が入ったようだ。
動機はともあれ気合が入ることは良いことだ。
プロの世界では、ドラフト指名を受けるくらいだから、誰もが実力を持っており、それを一軍の舞台で活かせるかが勝負なのだ。
多くの場合は、与えられるチャンスは多くない。
例え2軍でタイトルを取るほどの活躍をしても、先発ピッチャーならせいぜい一度や二度しかチャンスは与えられない。
その少ないチャンスを活かせるかどうかが、プロで生き残るための鍵なのだ。
「ということで新川さん、鈴鳴のためにサインをもらって頂けますか?」
「しょうがないな、頼んでみる。
1枚でいいんだな」
広報の新川さんは手帳にメモしながら言った。
「いえ、2枚お願いします。
もう一枚には、高橋隆介選手へ、と入れてもらってください」
「何だ、お前も欲しいのか」
「はい」
実は僕も〇〇さんのファンなのだ。
首位攻防3戦目、今日勝てば首位に並ぶし、負ければ2ゲーム差に開く。
この大事な試合のスタメンは以下の通り。
1 高橋(ショート)
2 谷口(レフト)
3 道岡(サード)
4 ダンカン(ファースト)
5 下山(センター)
6 湯川(セカンド)
7 岡谷(ライト)
8 武田(キャッチャー)
9 鈴鳴(ピッチャー)
1回表、鈴鳴投手はやはり緊張しているのか、1番の中道選手、2番の木崎選手に連続でフォアボールを与えてしまった。
僕ら内野陣は早くもマウンドに集まった。
「やはりお前でも緊張しているのか?」
武田捕手が言った。
「そりゃそうですよ。
こんなに大観衆の中、投げるのは初めてですから」
「まあ、打たれることも勉強だ。
思い切ってストライクゾーンに投げ込め」と道岡選手。
「ところでサイン色紙は貰えましたか?」
「おう、お前の分は新川さんが持っているよ。
ヒーローインタビュー後に渡すってさ」
少しハードルを上げた。
例え勝ち投手になっても、ヒーローインタビューを受けられるとは限らない。
このような若者には高い目標を掲げてやった方が、良い結果を残すと思う。
「ヒーローインタビューを受けれなかったらどうなるんですか?」
「その時はその時だ。
燃やすかシュレッダーか。
まあ、新川さんの気分次第だな」
「死んでも抑えます」
「そうだ、その意気だ」
動機は何であれ、気合が入るのは良いことに違いない。
僕らは定位置に戻り、試合が再開した。
3番は京阪ジャガーズ屈指のクラッチヒッター、弓田選手。
チャンスにはとても強い選手だ。
だが鈴鳴投手は臆せずにストライクゾーンで勝負した。
そしてワンストライクからの2球目。
捉えた打球が三遊間の頭上に飛んできた。
僕はジャンプし、必死に手を伸ばした。
打球はグラブの先に収まり、僕は着地するやいやな、二塁に送球した。
二塁ランナーは戻れず、ダブルプレー。
一塁は辛うじてセーフ。
ノーアウト一、二塁のピンチがツーアウト一塁に変わった。
鈴鳴投手は両手を挙げて、頭の上で拍手している。
我ながら良いプレーだった。
ジャンプしたタイミングもバッチリ。
一か八かではあったが、最高の結果となった。
そして息を吹き替えした鈴鳴投手は続く、下條選手にもストライクゾーンで大胆に勝負を挑んだ。
そして…。
完璧に捉えた打球がセンターのバックスクリーン右横に飛び込んだ。
貴様…。
後続は何とか抑えたものの、初回にいきなり2点のビハインドだ。
さすがの鈴鳴投手も少し落ち込んだ様子を見せている。
「鈴鳴、ドンマイ」
僕はバッターボックスに向かう前に、鈴鳴投手に声をかけた。
「折角のサインが…。
高橋さん、お願いします。
取り返して下さい」
「まあ全力は尽くす」
僕はそう言い残して、バッターボックスに向かった。
サインのために頑張るわけではもちろん無いが、未来ある若い者のために、ここは何とか塁に出てやろうか。
そんな事を思った。
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