第429話 スランプ脱出なるか?

 湯川選手は開幕から不動のレギュラーだったが、最近は調子を落とし、スタメン落ちも増えている。


 それでも.270の打率を残しており、僕が絶賛スランプ中なので、次のカードからはスタメン復帰となるかもしれない。

 ポジション争いのライバルだが、チームの勝利のためにはここは塁に出てほしい。


 そう願っていたら、見事にツーボール、ワンストライクから三遊間をゴロで破り、出塁した。

 ノーアウト一塁だ。


 僕はネクストバッターズサークルからベンチの様子を伺った。

 代打か?


 だが大平監督は動かない。

 麻生バッティングコーチと目が合うと、ゆっくり頷いた。

 ここは代打は無いようだ。


 僕は打席に入り、ベンチのサインを見た。

 十中八九、送りバントだろう。

 だが、サインは「打て」。

 僕は目を疑った。

 サインを見間違えているわけではないだろうな。


 三塁コーチャーに確認したが、やはりサインは「打て」。

 良いのか?

 ここで内野ゴロを打ったら、ダブルプレーでチャンスが潰えてしまうが…。


 マウンドの浜田投手は、落差のあるフォークが得意球である。

 その鋭い切れ味は、フォークが来るとわかっていても打てないと言われている。


 だからあえてバントのサインを出さなかったのかもしれない。

 ここは最低でも進塁打が求められる。

 つまり右打ちだ。


 初球。

 外角低目へのストレート。

 バントをするには難しい球だ。

 僕はバントの構えをせず、

 見送った。

 ボールワン。


 もう一度ベンチを見た。

 サインは変わらず「打て」。


 静岡オーシャンズバッテリーは、ここはバントをしてくると考えているだろう。

 初球、バントのそぶりをしなかったことに戸惑っているかもしれない。


 2球目。

 またしても外角へのストレート。

 バッティングの構えから、バントの仕草をしたがすぐにバットを引いた。

 これでツーボール。

 バッティングカウントだ。


 3球目。

 次は内角に来ることを予想した。

 静岡オーシャンズバッテリーとしても、カウントを悪くしたのでここはバントをさせても仕方がないと考えるのでは無いだろうか。

 

 僕はベンチを見た。

 サインは変わらず「打て」。

 よし次の球は勝負だ。

 僕はバットを強く握りしめた。


 そして投球はやはり内角へのストレート。

 読み通りだ。

 僕は思い切り球をしばいた。

 腰がうまく回転した感覚があった。


 はてな?

 手に良い感触が残っている。

 打球はレフトに上がっている。


 僕は打球の行方を見ながら、一塁に走り出した。

 切れるな。


 一瞬の静寂。

 そして大歓声が球場内を包んだ。

 どうなったんだ?

 

 三塁球審が腕を回している。

 札幌ホワイトベアーズベンチからは選手が飛び出してきた。


 僕は夢心地のまま、一塁を回って二塁に向かった。

 浜田投手が項垂れながら、ゆっくりと静岡オーシャンズのベンチに戻っていくのが横目に見えた。

 原谷捕手はホームベース付近で立ったまま呆然としている。


 僕は大歓声を背中に受けながら、三塁を周った。

 ホームベース付近ではチームメートが待ち構えている。

 今季第2号がまさかのサヨナラホームランだ。

 しかも10打席振りのヒット。


 ホームインすると、チームメートに殴る蹴るの暴行を受けた。

 少し痛いが心地よい痛みではある。


 僕は逃げるようにベンチに戻りながら、帽子を取ってファンからの歓声に応えた。


 ベンチに戻り、麻生バッティングコーチとも固く握手した。

「なっ、俺の言う通りだっただろう」

「はい、ありがとうございました」

 

 麻生バッティングコーチのアドバイスのどの部分が効いたのかは良くわからないが、まあ麻生バッティングコーチのおかげということにしておこう。

 それが人間関係を円滑にする秘訣でもある。


 ベンチに戻り、色々な方と握手し、僕は興奮冷めやらぬまま、席に座った。

 間違いなく今日のヒーローインタビューは僕だろう。

 久しぶりだ。何を話そうかな。

 


 


 

 

 

 


 

 

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