第290話 まるで出来の悪い野球小説みたい
フルカウントからの6球目。
真ん中低めへのスプリット。
谷口は辛うじて、バットに当てた。
この場面で低めへの球はリスキーだが、敵もさるものひっかくもの。
素晴らしいコントロールだ。
そして7球目。
内角高めへのストレート。
辛うじて当てた。ファール。
8球目。
外角へのスライダー。
これも体制を崩されながら、何とかバットに当てた。
そして9球目。
真ん中低めへのスプリットを右方向へ打った。
打球はライト線にライナーで飛んでいる。
ファールか、フェアか。
切れるか?
打球はそのまま、ライトのポールに当たった。
あれ?
ということは?
満塁ホームランだ…。
あの難しい球を…。
谷口の進化を感じさせる打席だった。
球場内が大きく湧いている。
僕はゆっくりとホームインし、道岡選手、下山選手も続き、谷口を出迎えた。
2年ぶりのホームラン。
しかも開幕戦でのシーズン初打席。
出来の悪い野球小説でしか、こんな事は起こらないだろう。
谷口はいつもどおり無表情を装いながら、ホームに帰ってきたが、僕はその目が笑っているのを認めた。
嬉しくないわけは無いだろう。
昨シーズン、二軍でいくら打っても、一軍に上げてもらえず、悔しい思いをいっぱいしただろう。
もちろん、一昨シーズンに多くのチャンスを与えられながら、ものにできなかった、という点で谷口に責がある。
谷口もそれがわかっていたからこそ、ずっと腐らずに努力を続け、それが今日の結果に繋がったのだろう。
チームメイトから派手な出迎えを受け、さすがに谷口は嬉しそうだった。
そしてベンチに戻り、僕の横に座った。
「ナイスホームラン」と僕は声をかけた。
谷口は僕の方を見て、ニヤリと笑った。
その目は潤んでいた。
続く7番の北田選手は三振に倒れたが、初回、いきなり4点をリードした。
2回表は青村投手が三者凡退に抑え、その裏を迎えた。
この回は8番の武田捕手からの打順であり、僕に打順が回る。
そして簡単にツーアウトとなり、ランナー無しの場面で僕の打順を迎えた。
フルカウントまで粘り、6球目のスプリットを見極めた…、つもりで一塁に歩こうとしたら、やや間を置いて球審はストライクを宣告した。
えー、低くないですか。
思わず球審の顔を見たが、澄ました顔をしている。
仕方がない。
すごすごとベンチに戻った。
3回表。
いきなり鋭いハーフライナーが三遊間に飛んできた。
僕は落ち着いて、滑り込むようにしてグラブに収め、すぐに体勢を立て直して、一塁に送球した。
「アウト」
観客席が湧いている。
我ながら素晴らしいプレーだ。
僕は左を上げて、歓声に答えた。
次の打者の打球は高いバウンドとなり、ピッチャーの頭を越えて、センターに抜けそうだったが、これもうまく回り込んで捕球し、一塁に送球した。
これもアウト。
今年はゴールデングラブ賞も密かに狙っている。
賞金以上にあの金色のグラブ型のトロフィーが欲しい。
ユーチューブにそのトロフィーの制作風景の動画があるが、本物のグラブと同じ工程で作っているそうだ。
僕は暇な時、その動画を何度も見る。
いつかは自分もそのトロフィーを手にすることを夢見ている。
そのためには、まずは試合に出続けること。
確実に打球を処理すること。
凡ミスのようなエラーをしないこと。
それが大事だろう。
青村投手は3回表も三者凡退に抑えた。
ここまでパーフェクトだ。
点差も4対0。
ここまでは会心のゲーム運びで来ている。
このまま開幕戦を勝利で飾りたいものだ。
大歓声の中、ベンチに戻りながら、そう思った。
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