第177話 雨足が強くなる前に

 初球、低めへのカットボール。

 負担なら見逃すが、サインはヒットエンドラン。

 是が非でもバットに当てる必要がある。

 僕は右打ちを意識して、バットを当てた。


 打球はゴロとなってセカンドに飛んでいる。岸選手は俊足の上にスタートを切っているため、既にセカンド近くまで行っている。


 セカンドが回り込もうとして、グラブを出した。

 だが打球はそのわずか横を抜けていった。

 ラッキー!!


 岸選手はそれを見て、二塁を蹴って三塁に向かっている。

 ヒットエンドラン成功だ。

 ノーアウト一、三塁の大チャンスだ。

 観客席が大いに湧いているし、ベンチも大盛りあがりだ。

 僕は一塁ベース上で軽く右手を上げた。


 さてサインは。

 盗塁。

 やっぱりね。

 ここはノーアウト二、三塁にしておきたいところだ。

 そしてこの場面は盗塁をしやすい。

 なぜならば、三塁ランナーは俊足の岸選手なのでもし僕を刺そうと二塁に投げたら、恐らくホームに突っ込むだろうし、ピッチャーがカットしたら、コケない限り二塁はセーフだ。


 そして滝田投手もそれを警戒しているのだろう。

 4球連続で牽制球を投げてきた。

 僕はプロ2試合目に牽制死でチームのシーズンを終わらせるという、手痛い失敗をした。(第28話)

 だから牽制球には最新の注意を払っている。

 また牽制球を投げてくるからといって、リードを小さく取るということもしない。

 相手投手に牽制球を投げても意味がない、と思わせることも重要なのだ。


 初球、僕はスタートを切った。

 キャッチャーの一条選手はセカンドに送球してこなかった。

 よって悠々セーフ。


 さあチャンスが広がってノーアウト二塁、三塁。

 ここで迎えるバッターは3番の水谷選手。

 ツーボール、ワンストライクからの4球目をきっちりとライトに打ち上げた。


 ライトの浮田選手はバックホームしてきたが、もちろんホームは間に合わない。

 そして僕も3塁に進んだ。

 これで1点返した。


 更にワンアウト3塁とチャンスは続き、バッターは4番の岡村選手。

 ワンボール、ツーストライクと追い込まれた後、カットボールを打たされた。

 平凡なセカンドゴロ。

 僕は迷わずホームに突っ込んだ。

 セカンドの高井戸選手が打球を掴み、バックホームする。

 タイミングは微妙だ。

 僕はキャッチャーのタッチをかいくぐり、ホームベースを足で触れた。

 判定は?

 

「セーフ」

 僕は小さくガッツポーズをしながら、ホームに帰った。

 これで3対2、一点差に迫った。

 なお、相手ベンチはリクエストをしなかった。


 試合はこのまま3対2で3回裏を迎えた。

 3回表から小雨が振り始めた。また風も強くなってきた。

 試合の続行には支障はないが、雨足が強くなってのコールドゲームがありうるので、早く同点に追いついておきたい場面だ。

 この回は、9番の山形選手からの打順だ。

 山形選手はきっちりと10球粘り、フォアボールを選んだ。

 きっちりと自分のやるべき役割を果たす。

 まさにいぶし銀のような選手だ。


 ノーアウト一塁で、1点のビハインドの場面。

 セオリーでは送りバントだが、さすが泉州ブラックス。

 岸選手にもヒットエンドランのサインが出た。

 二匹目のドジョウを狙うということか。


 岸選手はバッターボックスに入り、バントの構えをした。

 3球の牽制球の後、初球が投じられた。

 外へ逃げる低めへのスライダー。

 一塁ランナーの山形選手はスタートを切っている。

 岸選手は見事な空振りをした。

 一条捕手からの送球が二塁に送られる。

 判定は?

 

「セーフ」

 送球が高めに行ったのが幸いした。

 岸選手は何事もなかったかのように、再びバットを横に構えた。

 サインはヒットエンドランだが、送りバントを相手バッテリーに意識させたいということか。


 ワンストライクからの2球目、内角低めへのカットボール。

 バントも難しい球だが、岸選手はきっちりとショートにゴロを打った。

 山形選手は悠々三塁に到達し、ワンアウト三塁と同点のチャンスで僕の打順を迎えた。

 打点を上げるのに絶好の場面だ。


 ツーボールからの3球目の高めへのストレート。

 僕はきっちりとレフトに打ち上げた。

 結構大きな当たりだ。

 犠牲フライには充分だ。

 だが風がある。

 なかなかボールが落ちてこないな、と思いながらボールの行方を見ていた。

 

 レフトの岡谷選手が捕球体制をとりながら、まだ下がっている。

 やがてフェンス際に到達し、グラブを伸ばした。

 そして打球はそのままフェンスを越えた。


「え?」

 僕は一塁を回ったところで、それを見た。

 審判が腕を回している。

 球場中から大きな歓声が湧いた。

 逆転のホームランだ。

 嘘だろう。

 僕は半ば呆然としながら、ダイヤモンドを一周した。

 ホームベースを踏み、ベンチに戻り、チームメートとグータッチをした。

 

 ベンチに座り、気持ちよくタオルで汗を拭っていると、横にいたトーマスに声をかけられた。

「タカハシ、イタチノサイゴッペネ」

 良くそんな慣用句を知っているものだ。

 トーマスの日本語の上達ぶりには舌を巻く。

 でもね、きっと使い方を間違えているよ。

 言葉の意味はよくわからないが、とりあえずお礼を言っておいた。

 横にいた山形選手がなぜか吹き出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

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