第171話 ベテラン対ベテラン
ふと、釜谷バッティングコーチが僕の方に振り向いた。
「高橋。お前なら、大須投手の何の球を狙う?」
「僕ならカーブを狙います」
「それは何故だ?」
「これまでのところ、打者2人の間に1球はカーブが来ているからです」
「でもそれを悟られたら、カーブは投げてこないぞ。
何しろ相手は経験豊富だからな」
「はい、だからカーブのタイミングで待って、ストレートやチェンジアップはファールにします。
大須投手のストレートはそれ程速くないので、カーブ狙いでもストレートに対応できると思います」
「そうか」
そう言うなり、釜谷バッティングコーチが朝比奈監督の所に行き、何かを話していた。
やがて釜谷バッティングコーチは僕の方を振り向いた。
「よし高橋。額賀の所で代打で行け。今、言ったことを実践してみろ」
「はい、合点承知の助」
「の助、は余計だ」
合点承知までは余計ではないのか。
僕はバットを掴み、バッターボックスに向かった。
この回も大須投手は続投だ。
恐らくこの回を投げ終えて、降板だろう。
次の回からは中京パールスの盤石のリリーフ陣が登板してくるので、チャンスがあるとすればこの回だろう。
初球、内角高めへのストレート。
これで仰け反らして、次は外角へのカーブが今日のパターンだ。
僕はバッティングの構えから、とっさにバットを横にした。
打球はピッチャーの左側、つまりサード方向に転がっている。
まさかここで代打の僕がセーフティバントをしてくるとは思っていなかったようだ。
サードの長島選手が突っ込んできて、ジャンピングスローで一塁に投げてきた。
僕は懸命に一塁を駆け抜けた。
どうだ?
「セーフ」
やったぜ。
ノーアウトのランナーだ。
大須投手の球は球速が速くない分、バントはやりやすい。
ところでカーブを狙い打ちしようとしていた僕が、なぜバントをしたか。
それはベンチからセーフティバントのサインが出たからだ。
裏をかいたのか、かいていないのかよく分からないが、結果オーライだ。
「5回表に続き、ノーアウト一塁のランナーがでました。
しかもランナーは球界屈指の俊足、高橋隆介。
そしてバッターは1番の岸選手。
さあ、ここは追い上げのチャンスです」
僕は今日も一塁上で、プロ野球の実況中継を脳内放送していた。
大須投手は百戦錬磨。
ここは以前みたいに牽制球に引っかからないようにしないと。あの時は今井投手だったが。
(作者注:第28話)
ベンチのサインは初球、ヒットエンドラン。
さすがイケイケの泉州ブラックス。
大須投手は僕の足を警戒しており、牽制球を3球連続で投げてきた。
そして初球。
投げると同時に僕はスタートを切った。
投球は外角へのストレート。
岸選手はセカンド方向にゴロを打った。
セカンドの熊野選手が飛びついたが、打球はそのわずか左を抜けていった。
僕はそれを横目で見ながら、二塁を蹴って、三塁に到達した。
これでノーアウト一、三塁。
そしてバッターは2番の山形選手。
大チャンスだ。
2点あるので、ここはスクイズは無いだろう。
そして1番の岸選手も俊足なので、ここはノーアウト二、三塁にしたいところだ。
この大ピンチでも大須投手は表情一つ変えない。さすがだ。
大須投手は岸選手に牽制球を4球投げた。
相当警戒している。
初球を投げた。
山形選手はバントの構えを一瞬してバットをひいた。
山形選手は今年30歳になったが、プロ12年目とベテランの域に差し掛かっている。
判定はストライク。
好守と俊足、そして粘り強いバッティングでプロの荒波を生き抜いてきた選手だ。
外野手のポジションは打撃が優先されることが多い。
だから開幕当初は新外国人選手や新入団選手が起用される。
しかしシーズンが進むにつれ、1点を争うようなゲームで実力を発揮するのが、山形選手のような選手なのだ。
やはり岸選手の盗塁を警戒している。
2球目を投じる前に、またしても牽制球を4球投げてきた。
これはバッターのペースを狂わすという目的もある。
だが山形選手は眉ひとつ動かさない。
相手の大須投手もさすがだが、山形選手もさすがだ。
2球目。
真ん中低目へのチェンジアップ。
打っても内野ゴロだろう。
山形選手は悠々と見送った。
これも判定はストライク。
追い込まれた。
3球目。
牽制球を投げずに、大須投手はクイックモーションで投げてきた。
そして岸選手はスタートを切った。
山形選手は軽くバットに当てた。
ファール。
岸選手は一塁に戻った。
そしてノーボール、ツーストライクからの4球目。
外角へのチェンジアップを見送ってボール。
岸選手はスタートは切らなかった。
ちなみにさっきから僕は三塁ベースで塩漬けである。
5球目は、真ん中低目へのストライク。
先ほどの球との急速差でかなり速く見える。
ストライクを取られてもおかしくない球に見えたが、判定はボール。
これでツーボール、ツーストライクの平衡カウントになった。
そして牽制球を2球挟んでの6球目。
岸選手はスタートを切った。
投球は外角へのカーブ。
見逃しの三振狙いか。
だが、これを山形選手は待っていたのか、フルスイングした。
打球はセンターに飛んでいる。
僕はタッチアップに備えて、三塁ベースに片足をつけた。
だが打球はまだ伸びている。
そしてボールはセンターの小田選手の頭上を越え、フェンスにダイレクトに当たった。
僕は悠々とホームインし、スタートを切っていた岸選手も三塁を回ってホームインした。
打った山形選手は二塁に到達し、2対2の同点となった。
これがベテランの味。
内野と外野で守備位置は違うが、僕にとっては山形選手もお手本になる。
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