12発目 衝突

 ――少し過去の話。


 高校生活1年目の秋、俺には惚れた女がいた。その女はツラが良く、スタイルが良く、ノリもいい。


 美しい花と書いてミカ。名前すらも綺麗なその女はみんなから人気だった。


 例にも漏れずそんな超人のような美人が好きで、しかも割といい感触で向こうも絶対俺が好きな感じだった。


「おーい澪! 見てくれ、クソかっこいい石拾った!」

「……だからなんだよ」


 不良生徒をまるで赤子の手をひねるかのようなお手軽感覚で地面にひれ伏させる目付きの悪い男に些細なことで絡む。


 それが俺の日課だった。


「てか聞いてくれよ、今日もミカが俺に微笑んでくれたんだぜ?」

「あいつ誰にでも笑顔振り撒いてるだろ、冷静になれよ」


 這いあがろうとする不良の頭を踏みつけにしながらも、澪はちゃんと俺の話は聞いてくれているようだ。


「いやいや! あの慈愛に溢れる微笑みは俺だけだな」


 俺は確信していた、あの笑顔だけは俺だけに向けられたものだと。


「でも俺がいるのに他の男にも愛想良くするんだ? 俺だけがいれば良くない?」

「シンプルにキモいなお前」


 俺は心の底から愛を注ぐってのに、ミカの優しさは全方位に存在している。少しモヤモヤする。


「優しさも愛情も全部俺だけに注いで欲しい」

「ガチでキモいからそれ絶対本人に言うなよ」

「告白したら多分付き合えると思うんよ」


 ミカは超絶優しい。こんな俺にも愛を持って接してくれる。


「振られても知らないから」

「俺が振られる? いやいやないない、知ってるか? 俺たちたまに付き合ってる? って噂が出るんだぜ」

「2組の佐藤、3組の鈴木、5組の高橋。噂されてる人間上げ出したらキリないけど続ける?」


 ……。


 いや、確かに色んな人との噂は出てるけどさ!? 多分本命は俺じゃんか!


「澪くん! また喧嘩してるの!? ダメってこの前言ったよね」


 きっと俺のことが好きなミカが、駆け寄ってくるやいなや俺ではなく澪に話しかけた。なぜ本命の俺をスルーで澪に話しかけたんだ?


「……お前には関係ないだろ」


 話しかけられても澪は特に気にする素振りすら見せず、力尽きる不良を放置して歩き去っていく。


「ミカ、あいつは理由があって喧嘩してると思うし、静観しといて――」

「ごめん唯我くん! 今忙しいから」


 俺の言葉を遮って、ミカは澪が歩いて行った方へ走って追いかけた。


 なんでだよ……それじゃあまるで本命は俺じゃなくて、澪みたいじゃんか。

   

 絶望感をひしひしと味わいながら、俺はなんとか放課後まで粘った。今にも叫びそうなくらい不安で、気が動転している。


「なぁ澪、本命はお前なんじゃないかって思うんだ。どう思う?」

「興味ない」


 冷めてんな……。俺はこんなにももどかしいのに。


「ちょっと本人に聞いてくる!」

「正気か? やめとけよ」


 分からないことは直接聞く。これは社会の常識だと思うんだよな。

 澪に止められるがそれを無視して、とりあえず下足室へと走る。


 まだ帰ってないことを祈って下足室へ辿り着くと、そこにはミカの声が響いていた。


「ねぇ、そろそろ本命絞れば? 色々な男に匂わせるの良くないと思うよ? 好きな子取られたって言う子もいるし、女の子たちに嫌われてるし心配だよ」


 どうやらミカは今、クラスの女子――佐々木となにやら話をしているようだ。

 心細そうな声で話す佐々木を見て、なにかが起きていることは用意想像できた。


「別にいいじゃん、私より不細工なやつが僻んでるだけでしょ? 悔しいなら既成事でも作って引き止めればいいんだよ」


 は……?


「大原くんはどうなの? 1番仲良いでしょ?」

「ああ、大原唯我? 無理無理、私があんなの好きになるわけないでしょ。澪くんが一番仲良いから近付いてるだけ」


 うそ……だろ?


 今目の前で、悪夢が繰り広げられている。


 誰よりも優しいはずのミカの口から、とんでもないことが聞こえた。

 俺に近付いてるのは澪の友達だから……? そんなのあんまりだろ。


「そんな考えだといつか本当に後悔するからね! 私は忠告したよ!」


 あまりにもな態度でもう収拾がつかないと思ったのか、佐々木は呆れながら下足室を後にした。


 反省する態度すら見せず、ミカも少し気だるげに下作室を出て、夢を砕かれた俺だけが残る。


「嘘だろ……立ち直れねー」


 今すぐ泣き喚きたい。でも、まだ学校だし、誰かに見られるかもしれない。


「おい、なに突っ立ってるんだよ。帰らないのか?」

「……なんだ、澪か。ほっといてくれ」


 今1番会いたくない人物に遭遇してしまった。

 分かってる、澪はなにも悪くない。ただ、まだ心の整理がつかないんだ。


「あ? まぁ……なんでもいいけど、涙くらい拭いとけよ」


 そう言って澪は、特に詮索もせずだるそうに歩きながら下足室から去った。


「別に泣いてねぇし……」


 しっとりと湿る袖口を隠すように握り、俺も下足室を後にする。

   

 妙に力の入らない日々がしばらく続き、ミカが笑顔で微笑みかけてくれても、もう喜べなくなっていた。


 澪とも前みたいに気さくに話すことは減っている。俺の勝手な罪悪感の都合だ。


 そんな日々の中で、ある事件が起こる。


「どうして……そんなこと言うの、ひどいよ澪くん……!」


 放課後、まだ人のたくさんいる教室で、ミカが苦しそうに涙を流して周りに訴えかけるように声を大にした。


 だがどこか演技じみたものを感じる。


 その訴えは、自分の席でめんどくさそうにスマホを触っている澪に向けられたものだ。


「おい謝れよ獅童! ミカちゃん泣いてるだろうが!」

「そうだそうだ! 今すぐ謝罪しろ!」


 状況は理解できないが、澪がみんなに責め立てられている。


「ねぇ澪くん! なんで私に冷たくするの? なんとか言ってよ!」

「……はぁ」


 あくまで俺の憶測でしかないが、多分澪は面倒ごとに巻き込まれている。


 おそらくミカが澪にとって面倒なことを言って、澪がそっけなく対応したのが原因だろうな。あいつオブラートに包むってことを出来ないからな。


「さっきも言っただろ、癇に障るから話しかけないでくれ」


 額にメキメキと血管が浮き上がる澪。


 相当きてるなあいつ。


 今教室では、澪を捲し立てるミカと男子生徒の軍勢。それを、佐々木が筆頭で止めに入る女子の軍勢に二分されていた。


「なに怒ってるの!? 言ってくれなきゃ分からないって!」

「お前みたいな性格悪い女を見てると虫唾が走る、かわい子ぶって近付いてくるはやめてくれ。ストレスが溜まる」


 全てを聞き出そうと直球で詮索するミカに対して、真正面から火の玉ストレートを澪はぶちかました。


 周りの野次馬男子生徒どもは唖然として、声と勢いを無くしている。

 逆に、女子生徒はなぜか澪の言葉に共感できる部分があったらしく、頷いている者もちらほらと目にする。


「どうして、そんなこと……」


 細々と、折れそうな声で絞り出したミカの言葉。

 惚れた相手に、心を砕かれた音が聞こえる。


 ポロポロと落ちていく大粒の涙が、偽りのない感情だってことはすぐに分かった。


 自分が今までしてきたことへの報いだ。ザマァ見ろ。


 なんて思えたら、どんだけ楽だったんだろうな。


「澪ぉ! 見損なったぞ!」

「あ? 急にな――ッ!」


 まだ俺の心は、ミカに囚われたままらしい。

 おそらく悪いのはミカだ、澪は絶対に悪くない。だが俺の感情は、拳に乗って激しく澪を打ち付ける。


 澪はミカに好意を寄せられてるのに、なんでそこまで心無い言葉を吐けるんだ? そんな感情も混ざってた思う。


「ちょっと大原くん!? 獅童くんは……」

「それ以上言う必要はない佐々木、離れてて」


 佐々木は、体勢を崩した澪の体を支えて俺に何かを伝えようとしていた。だが、澪はそんな佐々木を引き剥がした。


「お前、自分に好意寄せてる人間を見分けられねぇのか!?」


 周りの空気が一気に変わった。

 周りの男どもが応援する対象が俺に変わり、女どものミカに集まるヘイトが俺にやってくる。


「女を無碍に扱うやつだとは思わなかったぞ! 澪のクソッタレ!」

「そーだそーだ! クソッタレ!」

「女の行為に気付けないとか男の風上にも置けないぞクソッタレ!」


 俺の言葉を加速させるように背後から罵声を浴びせている。


「意見があるなら目の前に来て言ってこい。集団に紛れてしか意見が言えないなら大人しくしてろ」


 ギロリと睨みを聞かせてオーディエンスを黙らせた。


「おい唯我、歯を食い縛れよ。拳を振り上げたんだ、覚悟は出来てるよな?」


 俺は死を覚悟する。

 澪と喧嘩するのは初めてだからだ。それに俺は知っている、澪は小柄ゆえに舐められるがクソ強い。


 勝ち目なんてはなから存在しないこの不毛な喧嘩だが、男には挑まないといけない時がある。


 それは、惚れた女が泣かされた時だ。


「俺が勝ったらミカに謝ってもらうからな」

「そうか」


 俺は学ランを脱ぎ捨て、腰を落とす。重心を下にした状態で勢いよく澪に突撃する。


 純粋な拳や蹴りで太刀打ちは出来ないが、体格差を活かせば俺にだって勝機はあるはずだろ。


「うぉぉぉおおお!!!」


 勢いに任せ近付き、もう少しで澪を捉えられるところで、俺の脳みそが大きく揺れる。


 視界が酷くブレて、気付けば俺の体は並べられた机に衝突していた。


 あぁ、俺は負けたんだな。そりゃそうだ。でもまさか、蹴り1発で立てなくなるほど俺の体が脆いとは思ってなかった――

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