私とリリィの最後の日。私とミリアの別れの日。

別れの日の朝

 近くて遠い夢を見た。

 また、声が聞こえてきた。

 母さんの声だった。

 三年ほど前の、少し幼い私が、ベッドで母さんと会話していた。

 それを今の私が、遠くから眺めていた。



     ※



 ミリア。これから先、私が凄く悲しいことになっても。

 ミリアの前からいなくなっても、どうか真っ直ぐと生き続けて。

 これは母さんとの約束。この約束を守れる?


 ──ふふ。ミリアは偉い子ね。

 あの人は嫌だ嫌だと泣き付いてきたわ。

 もういい年だっていうのに、現実に向き合えないだなんて。

 あの人のことは少し心配だけど、きっと大丈夫でしょう。

 何せ私の夫ですものね。


 ──あ。この話つまらない?

 あはは、というか凄く眠そう。

 今日はもう寝ましょうか。


 眠りの歌を、歌いましょう。ミリア。

 おやすみ。おやすみ──。



     ※



 見たその夢は、間違いなく私の過去の記憶のものだった。

 ぼんやりと、当時のその状況が思い出せる。

 母さんが病死したのは、この日から間もない頃だったかな。

 病気だと言うことは、知らされていなかった。

 当時は、咳が激しくなったから大丈夫かな? って、そう思ってたくらい。

 病気を隠されていたのは、最初は驚き、そして酷く悲しんだ。

 だけど。母さんの心配させたくないという気持ちも理解できた。

 残り僅かな時間を、私たち家族で楽しく過ごしたかったんだなって。

 だから私は、それ以上、病気を隠されていたことを責めたりしなかった。


 私は母さんに言われた通り、真っ直ぐとここまで生きたつもりだ。

 だけど。残念なことに、父さんは──。



 ──私の目の前が、ぼんやりと淡い光を帯びた。

 その光を追いかけようと、私は目を開いた。

 見えるのは部屋の天井。飛び込んでくる朝の日差し。


「…………はぁ」


 こんな夢を見てしまったのは、今日が母さんの命日だからだろうか。

 ……いや、二日前も、森の中で母さんの声が聞こえた夢を見たっけ。

 けど。その頃よりも、夢の内容と景色は鮮明だった。


 ゆっくりと上半身を起こし目を擦ると、手の甲に涙が付着した。

 そりゃ泣くよ。懐かしさと悲しさが混同して。

 よりにもよって、今日だ。

 母さんの命日と、リリィとの別れが重なっている。

 だからより一層。母さんのことが悲しくなるし。

 だけどそれ以上に、リリィとの別れが悲しい。

 今日のお祭りを楽しめるのかが、少し不安だった。


 もう一度ため息を吐きながら、隣で柔らかな寝息を立てているリリィを見る。

 目元を少しだけ髪が覆っていたので除けてあげた。柔らかい質感の茶髪。

 リリィの顔が綺麗すぎて見えていなかったけど、リリィって全部が綺麗。

 全てが完璧に造形された神の子の様な……ってのはちょっと盛った表現だけど。

 私から見たら、もう、本当に。そういう感じなんだ。

 私のことを好きな、私が好きな人で。

 そんなリリィと、お別れ……。それが今日だけど。

 母さんと違って、この世からいなくなるわけじゃない。

 だとしたら、以降も。何年後とかでもいい。

 いつかまた会える日が来るんじゃないかな。

 ……とか、淡い希望を抱いてしまう。

 実際どうなんだろう。

 またいつか、会える日が来るのかな。

 そしたら、リリィとお別れした後。私の心は、少しは和らいでくれるのかな。


 思案しながらも、私はベッドから降りる。

 時計を見やると、時針は十の数字を指していた。

 昨日寝た時刻のことを考えると、かなり寝ていたことになる。

 けど。墓参りの時間──十一時二十三分には間に合いそうだし大丈夫かな。

 私はその時間にいつも、墓参りに行っている。

 それは、母さんの意識が消えた時刻だから。

 実を言えば夜の十一時二十三分なのだけど。

 その時間帯はなんだか怖いから、午前中にしている。


 私はパジャマからクローゼットから適当な服を取り出し、身に纏う。

 部屋のドアノブに手をかけ、そこで動きを一旦止める。

 なんと無しに、リリィの方を見た。

 まだスヤスヤと、気持ちよさそうに眠っている。

 しばらくは起きそうには無かった。

 そんなリリィを見て、なぜだか頬が緩む。

 ほぼ無意識に動いた私の足は、リリィの元まで私を運んでくれた。

 起きなさそうであるのをいいことに、私はリリィの頬に口付けをした。

 私からしたのに、なぜだか包み込まれるような暖かい気持ちになる。

 さっきまでの悲しい気持ちが、少しだけ飛んでくれた。

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