第24話 それぞれの思い

 僕は父さんを思いっきり睨みつけた。

 ここで怯んではいけない。ちゃんと父さんの口から本音を話してもらうんだ。そのために、僕たちはこの劇を練習したのだから。僕は一層目力を強めた。

「それは、その……」

 父さんはかなり言葉に詰まっている。ここまで狼狽するのは初めて見た。

 もう少しだ、と僕は更に睨みつけた。

「なるほどのう」

 舞台の向こう側からドスの効いた声が聞こえてきた。この声は、もしかして……。

「寮母、さん?」

 エプロン姿の寮母さんがこちらに近付いてきた。何故ここにいるのかは分からない。劇のことは寮母さんには話していないはずだ

「ったく、こないだけぇコソコソと何を企んどるか思うたら」

 どうやら僕たちの動向は寮母さんにバレていたみたいだ。具体的に何をしていたのかは分かっていなかったみたいだけど。

「……すみません、黙っていて」

「構わんよ。それよりも豪、お主はどう思うた?」

「……どう、と言われても」

「お主にとって思うところあったんとちゃうか?」

 父さんは黙り込んだ。やはり寮母さんの圧は一味違う。

「寮母さん……。もしかして、父さんについて何か知っていることがあるんじゃないんですか? もしそうだとしたら、僕たちにも教えてください」

 そう僕が尋ねると、寮母さんは「はぁ」と深いため息を吐いた。

「どうやらホンマに知らんかったようじゃの」

「知らんかったって、何が……」


「こ奴……、氷渡豪も昔、冬の姫だったってことじゃ」


 ……。


 …………。


 ……………………。


 ――えっ?


「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!?」


 その場にいた者が揃って大声で驚いた。

 そんなの僕だって初耳だ。大体、父さんがそんな女装をするようなイメージはないし、冬の姫だったということはそもそもこの学校に通っていたってことだよね?

「えっと、雪くんのお父さんが、姫だったって、えっ……」

 ていうか、先生も驚いているし。知らなかったのか……。

 で、当の父さんはといえば、腕を組みながら眉間に皺を寄せている。

「本当なの? 父さん……」

「あ、あぁ……」

 本当らしい。まぁ、寮母さんが嘘を吐くとは思えないけど。

「というよりも、こ奴はこの村の生まれだったんじゃ。当然、男女を入れ替える風習も知っておる。昔は女子の恰好もようしとったけんの。じゃが……」

「まさか、てめぇ! それを知られるのが恥ずかしかったから、雪や涼さんをこの学校に通わせるのを反対していたとか言うんじゃねぇだろうなッ⁉」

 火糸くんが恫喝した。

 確かに、これだけ聞いたらそう思われるのも仕方ないよな。

 けど、多分……、父さんは決してそんな理由で反対するような人ではない。頭は固いけど、正々堂々と筋は通す人だ。そんな父さんがあそこまで頭ごなしに反対していた理由って……。

「……それは違う」

 父さんの口から否定の言葉が出た。

「だったら何で……」

 父さんは観念したかのように、ふぅ、とため息を吐いた。

「あぁ、そうだ。俺は昔、この村で生まれ育ち、この学校で冬の姫として選ばれた」

「ワシもその当時から寮母やっとったけん、こ奴のことはよう知っとった」

 寮母さん……、アンタ一体何歳なんだ?

 という疑問が出そうになったけど、それは抑えて僕は続きを聞くことにした。

「雪……、あのジンクスは知っているな?」

「ジンクスって……」

 ふと、こないだ一葉さんから聞いた話を思い出した。


「姫と若の恋愛は、哀しい結末にしかならない」

 ――やはりそれか。

 ただの噂程度にしか思っていなかったけど、まさかそれを父さんの口から聞くことになるとは思いもよらなかった。もしかして……。

「姫と若の恋愛の結末……。まさか、父さん……」

「あぁ、そうだ。俺は中二の頃、同じ冬の若に恋をした。その恋は成就したけどな……、長くは続かなかったよ」

 ――そんな。

「だって、そんなジンクス……」

「俺も信じたくはなかった。だが、その相手の若は翌年病気に掛かってな……。帰らぬ人となってしまった……」


 ――そんな。


 ただのジンクスだと思っていたのに、本当にそんなことがあるなんて――。

「じゃあ、姉さんの転校にあそこまで反対したのって……」

「目の当たりにしてしまった現実がずっと忘れられなくてな……。本当は涼ともっとしっかり話し合うべきだったのかも知れない。だが、俺の中でその記憶をなんとか封じ込めたい、涼をあんな目に遭わせたくない、そんな気持ちに苛まれてしまって……」

「涼さんのために、反対していたの……?」

「あぁ、それに、だ……」父さんは璃々先生の方を見た。「知っていたよ。君が、涼のことを好きだったことを……」

「えっ……」

 先生が顔を赤く染めた。ていうか、そうだったの……?

「もし二人が結ばれたら、とも考えてしまった。最悪の結末になってしまうのではないか、とね。涼のことだ、若に選ばれる素質は充分に持ち合わせていたし、君の気持ちも受け入れる心も持ち合わせている。親馬鹿だがね。だからこそ、あそこまで反対したんだ……」

 僕は目を見開いて驚いた。先生が姉さんのことを好きだったのは薄々感じ取れてはいたけど、本当だったんだ。

 それに、父さんのことを誤解していた。姉さんのことをずっと心配して、見守っていたんだ。だからこそ、あの冬宴にこっそり来て動画を撮ったんだ。もし姉さんが家に帰ってきたときに、一緒に観るために――その願いは叶うことはなかったけど。

「そうだったんですね……。私、ずっとあなたのことを誤解していました。私たちのことをずっと憎んでいると、許していないと……」

 先生が涙ぐみながら、俯いている。

「憎んでいなかった、と言えば嘘にはなるがな。結局、涼は若に選ばれ、そして同じ若である君と恋をした。そのせいで短い人生となってしまった。ずっとそう考えていたからな……。馬鹿だな、あんなジンクスを信じていたせいで……」

「あの、それなんですけど……」先生が顔を挙げた。「ひとつだけ、誤解を解いておきたいことがあるんです」

「誤解、だと?」

 父さんが振り向いた。

「私、結局、涼とは……恋仲になることは出来なかったんです。フラれちゃったんです、私」

 先生が涙を拭いながら訴えた。

「何だって……」

 父さんは目を丸くして驚いた。僕もそうだ。てっきり、二人はあのままくっついたものだと……。

「涼に気持ちを告げた後、こう言われたんです。『あなたの気持ちは嬉しいけど、私は自分の気持ちに嘘を吐きたくない。私は、他に、好きな人がいる』って……」

 ――他に、好きな人?

「その、好きな人って?」

「結局誰なのか分からずじまいだったけどね……。私が思うに、多分当時の冬の姫だった人かな? 涼ったら、あの人と一緒にいる時は本当に嬉しそうだったから」

 ――そうだったのか。

 あの冬宴の映像に出てきた、姫の人の顔を思い出す。綺麗な顔立ちだった。男の僕から見ても、艶やかさと優しさが滲み出ていると感じた。姉さんの凛々しさとしっかり肩を並べられるほどだ。

 あの人なら、納得してしまいそうになる自分がいる。

「……そうだったのか。俺はずっと、一人で誤解して、一人で葛藤して……、馬鹿だな。親として失格だ……」

 父さんは泣きながら俯いた。

「そんなことはありません。お父さんは……、ずっと涼のことを心配してくれていたんですよね? 元はといえば私の勝手な我儘でこの学校に転校させてしまったのに……。本当に、本当に、ごめんなさい!」

「璃々くん」

 父さんは低い声で先生に呼び掛けた。

「は、はい……」


「娘のことを、愛してくれて、ありがとう――」


 そう呟き、しっかり先生の顔を見据えた。僕も父さんの顔をしっかり見た。今までの厳格で訝し気な表情が、優しく綻んでいた。父さんって、こんな顔もするんだ――。

 先生の顔に涙が溜まる。そして、溢れ出すかのように、滴り落ちていく。

「うっ、ううううぅうぅうぅぅ……」

 先生はその場に蹲ってしまった。十年もの間溜め込んでいた不安と寂しさが一気に解放されたのだろうか。大声を挙げて泣き叫んだ。

 僕はしばらく、その場に佇んでしまっていた。

「……あの」

 後ろから突然、亜玖亜くんが声を掛けてきた。

「君は……」

「……雪くんのお父さんに、これだけは言っておきたくて」


 ――亜玖亜くん?


「何だい?」

「あの……、娘さん――涼さんは、本当に素晴らしい人、でした。ボクは昔、あの人に救われたんです。今のボクがこうして生きていられるのも、あの人のおかげなんです……。ありがとう、ございました……」

 亜玖亜くんが、いつになく高らかな声で深々と頭を下げた。

「……そうか。そう言ってもらえて親として誇りに思うよ」

「いえ、そんな……」

「これからも、雪のことをよろしくな」

「は……、はい!」

 それだけ言うと、父さんは踵を返した。

 いつものように、広い背中が見える。だけどそこには、どこか憑き物が落ちたかのような、暖かい優しさも垣間見えた。

「雪……」

「な、何……」

「ゴールデンウィークには帰ってこい。そのときに、一緒に、涼の墓参りに行こう――」


 ――父さん。


 その言葉に僕は「うん!」と力強く返事をした。

 そしてそのまま、父さんは去っていってしまった。舞い散る桜吹雪が、気のせいか父さんを見送っていくかのように見えた。


「さて、皆言いたいことは言えたようじゃの」

 寮母さんがふっ、と息を漏らしながら声を掛けてきた。

「それじゃあ、雪も無事この学校に留まることになったし、そろそろやりますか!」

「そうデスネ!」

 ――えっ?

「やるって、何を?」

 僕は首を傾げながら尋ねた。

「決まっておるじゃろ! 花見じゃけん!」


 ――あっ。


「お前らがやりたいって言い出したんだろ! 忘れんなよ!」

「せやで! もうウチと寮母はんでたくさんお弁当も作りましたえ」

「ジュースもたくさんありマス!」

「全く、やっと問題が解決してほっとしましたわ!」

「お前は自分の春宴の心配しろ」

「なっ、あなたもですわ、乱堂さん!」


 ――みんな。


 僕は寮の皆の顔をじっと見つめた。もしかして皆、最初からこのつもりで……? 父さんのことを説得できるって、信じてくれて……?

 僕はふと、亜玖亜くんの顔を見つめた。案の定、口をぽかんと開けてその場に立ち尽くしている。

「ふふっ……」

 なんだか笑ってしまった。こんな亜玖亜くんは見たことがないというか、なんだか可笑しくなってしまう。

「……ふふふ」

 亜玖亜くんも口元を緩めて微笑んだ。なんだろう、恰好良いと思っていた亜玖亜くんが、可愛いと思えてしまう。

 ――さて。

 それじゃあ、行きますか!


「うん!」


 僕は高らかに声を挙げて、桜並木の中にいる皆のところへ駆け出していった。

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