第180話 ナナリーの兆し

その日、僕とメル、父上の三人は母上の部屋に集まりサンドラが行う母上の診察を、固唾を飲んで見守っていた。


診察中の母上はベッドの上で、上半身だけ起こしている。


一通りの診察が終わると、サンドラは母上と僕達を見回すと優しく微笑んだ。


「以前と比べてみても、魔力量や体調などが確実に良くなっています。これは、薬の効果が出ているとみて間違いなでしょう。このまま治療を継続すれば『完治』出来ると思います」


「……‼ 本当ですか……本当に、この病に打ち勝つことができるのですね……?」


僕達が彼女の言葉に驚きの表情を浮かべている中、母上が声を震わせながら確認するようにサンドラに聞き直した。


サンドラは静かに首を縦に振り、笑みを浮かべる。


「はい、ナナリー様。油断は出来ませんが、確実に少しずつ回復しております。このまま、頑張れば近い将来、必ず打ち勝つことができます」


「……‼」


返事を聞いた母上は、目を瞑り少し俯くと、両手を口元に手を充てながら静かに嗚咽を漏らし始める。


その様子を見た父上は静かに母上に近寄り、優しく抱きしめた。


「良かった……本当に良かった。あと少しだ、一緒に頑張ろう……」


「はい、あなた……」


僕は、母上と父上の様子を見ていると目頭が熱くなり、自然と涙が頬を伝っていた。


前世の記憶を取り戻した時に母上を必ず救うと、僕は決意している。


でも、心の中では間に合わないのでは? という恐怖が心のどこかにあった。


実際に作った薬が効くかどうかはやってみなければわからない部分もあり、不安が無かったと言えば嘘になる。


ようやく『完治』の兆しが徐々にではあるけど、母上に見え始めたということだ。


僕がそのことに感動していると、服の袖が隣にいたメルに引っ張られた。


「うん……? どうしたの、メル?」


「にーさま、ははうえがげんきになるってこと?」


メルは少し首を横に傾げながら、期待に満ちた目を僕に向けている。


母上の容態に対して、メルも感じているものがあったのだろう。


僕は、服の袖で涙を拭うと、笑みを浮かべた。


「そうだよ。今すぐではないけれど、いまの治療を続ければ『元気』になるってことだよ」


「……ほんとう? ほんとうのほんとう?」


メルはとても嬉しそうな表情を浮かべるが、目には不安の色がまだある。


僕はメルに再度、笑いかけた。


「うん、本当の本当だよ」


僕の言葉の意図を理解したメルは屈託のない笑顔を浮かべて、涙を流しながら母上と父上におもいっきり抱きついた。


「ははうえ‼ ちちうえ‼」


二人は急に抱きついて来たメルに一瞬驚くが、すぐに笑顔を浮かべてメルを二人で優しく抱きしめている。


その様子に僕はまた目頭が熱くなり、再度、服の袖で涙を拭った。


すると、僕の様子に気付いた母上がニコリと微笑んだ。


「リッド……あなたもいらっしゃい」


「え……? でも、その……」


僕は何となく、気恥ずかしさで躊躇してしまう。


でも、その様子に気付いたメルが僕に駆け寄ると手を引っ張り、強引に引き寄せた。


「にーさまのいじっぱり‼ こういうときは、あまえてもいいんだよ?」


「そうか……そうだね……母上、よろしいでしょうか?」


少し照れながら尋ねると、母上は慈愛に満ちた笑顔で僕を胸の中に抱きしめてくれた。


「ありがとう、リッド。ライナーから色々と聞いています。あなたのおかげです……」


「い、いえ……その……でも……ぼ、ぼくは……」


この後、僕は人目も憚らずに母上の胸の中で涙が止まらなくなってしまう。


母上は、僕が泣き止み、落ち着くまで優しい抱擁を続けてくれていた……。



しばらくして、母上は胸の中にいる僕に優しく呟いた。


「ふふ……こうしていると、リッドがもっと小さかった頃を思い出します。少し、落ち着きましたか?」


「……はい。母上、ありがとうございます」


僕は少し鼻を啜り、顔を服の袖で拭うと母上の胸の中から顔を上げる。


僕の表情を見た父上が、楽しそうに笑みを浮かべた。


「ふふ……お前のそんな姿を見たのは久しぶりだな」


父上が言い終えると、隣にいたメルも僕の顔を覗きこんでから楽しげな笑みを浮かべている。


「にーさま……なきすぎて、めがまっかだよ? わたしよりなきむしだね‼」


「ふふ……そうだね。僕って思ったより泣き虫みたいだ」


僕は父上とメルに笑みを浮かべながら返事をしていた。


母上も僕達のやり取りを見て、うれしそうに微笑んでいる。


その時、僕はハッとして母上の顔を見ると言った。


「母上、忘れておりました。実は今日はお見せしたい物があるんです。ちょっと、お待ちください」


「あら、何かしら?」


僕は、部屋の外に用意していた『車椅子』を室内に持ち込むと、きょとんとした顔をしている母上に説明を始めた。


「これは、エレンとアレックスというドワーフの職人に作ってもらった『車椅子』です。新しい素材なども使われているので、従来の車椅子より格段に乗り心地も良いと思います。母上の体調が少しずつ良くなってきていたのでいずれ必要になると思い、用意しました」


そう、この『車椅子』は先日、エレンとアレックスの工房に行った際に引き取ってきたものだ。


新しい素材というのは『ゴムタイヤ』や使われている『鉄』のことになる。


この世界にある、車椅子は基本的に『木』で作られているため、移動性や乗り心地はあまり良くない。


そこで、木炭車を作る過程のゴムタイヤの試作なども兼ねて、エレン達に『車椅子』の作製をお願いしていたというわけだ。


僕の母上に使ってもらう事を説明した時、エレンとアレックスは『腕によりをかけて作ります‼』と凄くやる気に満ちていた。


完成した車椅子は僕の意見なども取り入れた結果、前世の記憶にある車椅子と形がほとんど変わらない物になっている。


実際に僕も乗ってみたけど、かなり良いと思う。


母上は驚きと、少し困惑した表情を浮かべている。


でも、そんな中、車椅子を見て目を輝かせたのはメルだった。


メルは興味津々と言った様子で車椅子に近寄り、目を輝かせてあちこち見たり、触ったりしている。


「うわぁ⁉ これすごいね‼ これにのれば、ははうえもおそとにでられるの?」


メルの言葉に対してサンドラは、少し俯いて考える仕草を見せた後、顔を上げるとニコリと笑った。


「……そうですね。ナナリー様は体調も良くなっておりますから、リハビリや気分転換を兼ねて屋敷内でのご使用でしたら『車椅子』も問題ないと存じます」


「ほんとう⁉ やったぁ‼ ははうえ、よかったね‼」


満面の笑みを浮かべながら歓喜の言葉を出すメルに、母上は嬉しそうに頷くと僕に視線を移した。


「ええ、私も嬉しいわ。ありがとう、リッド」


「いえ、母上に喜んでもらえて僕も嬉しいです」


その時、僕達のやりとりを横で見ていた父上が、何やら思いついたようでニヤリと笑うと母上の側に近づいてスッとお姫様抱っこで母上を抱きかかえた。


母上は突然の事で、驚きながら顔を真っ赤にしている。


「あ、あなた、突然どうしたんですか⁉」


「ふふ……主治医の許可も出たのでな。善は急げという奴だ」


父上はそのまま母上を丁寧に車椅子まで、運ぶとゆっくりと座らせた。


母上は短時間とはいえ、僕達の前でお姫様抱っこされた事が恥ずかしかったようで、顔を両手で覆っている。


でも、耳まで真っ赤なのは隠せていない。


僕はそんな母上と父上のやりとりに笑みを浮かべていた。


「ふふ……母上、車椅子の乗り心地はどうですか?」


「え……? あ、そうですね……良いと思います」


取り繕うように母上は、車椅子の触れる範囲の確認や座り心地を確認している。


母上が慌てている様子を見て微笑んでいる父上は、さりげなく母上の後ろに移動して車椅子を押す為のグリップを握る。


そして、父上はニコリと笑うと母上の耳元に顔を近づけ囁いた。


「では、ナナリー様、参りましょうか?」


「え……⁉ ど、どこに参るのでしょうか⁉」


照れと驚きで珍しく困惑している母上に、僕とメルは明るい笑みを浮かべていた。


僕達と父上は、そのまま母上が乗った車椅子を押しながら家族揃ってバルディア家の屋敷の中を散策する。


母上は屋敷の中を移動する時、最初は少し恥ずかしそうにしていたけど、久しぶりに屋敷の中をあちこち見られて、最後は嬉しそうな表情を浮かべていた。


屋敷の皆も母上の姿を見ると一様に笑みを浮かべて喜んでくれた様子だ。


この日以降、屋敷の中の雰囲気が以前よりも明るくなったのは言うまでもないね。

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