正体
人気の無い場所なのか、昨日と同じく人の姿は皆無。
けれど風がないからか、それとも見える限り散ってしまっているからか。
とにかく昨日とは違い、桃色の花弁は空ではなく地面を彩っている。たったそれだけで、昨日と同じはずなのに、どこか違う場所ではないかと思えてしまった。
……っていうか、二人になれる場所ってここなのかよ。
言葉の響き的に、なんかもうちょっと違うところかと思ったりしちゃったよ。
「ここなら平気でしょー。私の家って選択肢もあったけど、流石にちょっと遠いしね?」
たった一言でふしだらな想像をしてしまった、思春期の男である俺よりも残念がる目の前の少女。
その様子が可愛さよりも不気味さを過ぎらせて仕方ない。
俺にとって
それなのに気さくに話しかけ、人よりも俺を優先するほどの好意が彼女は持っている。
世界に彩りを与え、他とは違う感情で愉悦に浸らせてくれる。何とも都合の良い存在。
嗚呼、実に結構。苦労のないラブコメの主人公になったような気分だ。
だからこそ、気味が悪い。
自分は何もしていない。だからこそ、その笑みと媚びがもたらす快楽に浸りきることができない。
──日常に紛れ込んだ異物。妄想から溢れてきた妖怪の類だと、そうとしか思えないのだ。
「よっこいしょっと。うーん、やっぱ落ち着くなー」
天使か悪魔か。密と毒の両方を知ってもなお、芯の一端すら掴める彼女。
昨日と同じように美しい指は、ただ彼女を見ることしか出来ない俺に、隣へ座れと手招きしてくる。
行きたくない。昨日と同じように絡め取られるに違いない。
けれど行かない選択肢は昨日で既にへし折られてしまっている。昨日拒否できなかったものを、今日の俺に覆せる道理はどこにもなかった。
「し、失礼します……」
「どうぞー?」
ごくりと唾を飲み込んだ後、意を決して彼女の隣へ腰を降ろす。
横から感じる甘い匂い。
ここまでのほとんどが昨日の再現に他ならないと、過ぎった記憶と今がぴたりと重なってくる。
「何か食べよっか……って、今日は何も買ってないんだったね」
えへへと、照れくさそうに頬を緩ませた
けれど、俺としてはぁ話の
欲しいのは納得。例え嫌われるかもしれない質問をしなければならないとしても、この少女の正体を突き止め心の平穏を取り戻すことだ。
「それで葵くん、私のことは思い出せたかな?」
なんのことだと、そう惚けられるほどに肝は据わっていない。だから彼女の問いに対して、俺は首を横に振ることで答えを示す他なかった。
「……そっか。結構ヒントを上げたつもりだったんだけどなぁ……」
彼女は露骨に落ち込むこともなく、一息だけ吐いて空へと溶かすのみ。
その姿を見て、感じなくても良いはずの申し訳なさを抱いてしまう。
どんな気持ちなのかは分からない。けれどそのため息には、心の底からの憂いが込められているようだと、そう聞こえてしまった。
……確かに悪いとは思うが、それでも出てこないものはどうしようもない。
出身中学、
いずれも彼女を構成する重要な要素ではある。だが僅かにでも心当たりがなければ、そのどれもが単一であり結びつくことのないものばかりだ。
……こんなことなら、姉にあげた卒アルでも見てみれば良かったか。
ちょっと手間だったからと、大事なことを後回しにしたことへ、今になって後悔が募る。
「……んー、なら大ヒントを二つあげましょう!」
「……大ヒント?」
「いえす! まあ実質これが答えだし、もし駄目ならプランBに切り替えることにするよ!」
彼女は先ほどの悲しげな表情を一転させながら、右の手で二本の指を立て見せてくる。
割り切りが良いのか、それとも隠すのが上手いのか。……どっちもか、複雑なものを持ち合わせられるのが器用に生きる人間だしな。
「まず一つ目! なんと私はいじめられていました! はくしゅー!」
「……えっ?」
重すぎるヒントを、彼女は嗤いながらはっきりと言ってのける。
心底楽しそうな声色なのに、仮面を付けたみたいに張り付いた表情の彼女。
耳を疑いたくなるが、その言葉が嘘ではないのは直感で分かる。かつて流れていた噂も相まって、彼女の言葉を嘘と断ずることは不可能だからだ。
「あっちにとってはただのストレス発散だったんだろうけどねー。いやー、あの頃は真面目に死のうとすら思っていたんだよ?」
彼女はあっけらかんと語るが、だからといって軽々しく頷ける話でない。
死。それは老若男女問わず軽々しく吐かれる重い言葉。
部屋に一人でいれば自虐として出てくるが、外で聞く際のほとんどが、他人への中傷か悪ふざけでしかない軽はずみ。
けれど彼女の言は違う、そのどれもに当てはまるものではない。
言葉に偽りも誇張もなく、消化された過去としてただ吐き出すだけ。普通の高校生が持つべき冗談の気配など、彼女には微塵もなかった。
──怖い。どうしてか、この少女がたまらなく怖くて仕方ない。
「ん? 苦い顔してどうしたの? こんなのもう終わったことだよ?」
「……んな軽く受け止められるかよ」
「──そっか、そうなんだ。……ふふっ、やっぱり君は変に真面目。変わらないね」
変わらない。中学の頃と何も変わっていない。──あの頃のまま、弱虫な人でなし。
脳の底に潜んでいた壺。考えないようにして遠くに避けていた記憶の蓋へ、その一言が罅を入れる。
──
そこでようやく、思い当たりが一つ。忘れたくて捨てていた後悔が、再び糾弾するかのように浮き出てくる。
「そして二つ目。君と会ったのは屋上前の階段、君は校則違反をしていた。ここまで言えば、もうわかるかな?」
彼女は二つの目で俺を見つめながら、祈るように問いかけてくる。
校則違反。……嗚呼、それだけ言われれば嫌でも思い出す。
あの日。いつもの手癖が運悪くばれた唯一の日。……それを知っているのは、俺の他にただ一人だけのはず。
──そうか、そういうことだったのか。
中学、ココア、噂、俺の秘密。
そこにあるだけだった無数の点は結びつき、真実という名の一本の線へと変化する。
「……思い出した。階段の子、あのとき泣いていた人なのか?」
「──そう。そうそうそう!! ああ葵くん、ようやく思い出してくれたんだね!」
翡翠の目に浮かぶハート型を輝かせながら、満面の笑顔で喜ぶ彼女。
だけど俺は喜ぶことなど出来ない。どうでもいい苦い過去と忘れたかった後悔、繋げてはいけなかった二つの答えが一人の少女なのだと気付いてしまったからだ。
──かつて見捨てたいじめの被害者。誰も来ないぼっちに優しい隠れ家で、声を殺しながら呻いていた一人の少女こそが、彼女の正体なのだから。
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