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あ、いつもの講釈がはじまった。
「豊かな自然がもたらす多様で新鮮な食材。日本人は自然を尊び、敬い、その恵みに深く感謝していたがゆえ、素材の持ち味を最大限生かすための調理技術を磨いてきた。そしてその食材を決して無駄にせぬよう、さまざまな保存方法を編み出してきた」
熱く語る一陽さんを無視して、出汁巻き玉子を味わう。
関東のそれとは違う――甘くなくて、食感がしっかりした出汁巻き玉子。ああ、もう、美味しい! 美味しいがすぎる! ごはんにはやっぱりこれだよな。
「そしてだ。米という完全食を中心に据え、『一汁三菜』という――栄養バランス面では理想的とされる食事スタイルを確立し、それは長くこの国の者たちの健康を支えてきた」
一陽さんは拳を握り固めると、高らかに叫んだ。
「繰り返すが、素晴らしいのだ! 日本の食文化は! 日本の米は! 聞いているか!?」
「……聞いてます」
一応は。
でも、聞かなくても、もう一言一句覚えてますけどね? 耳タコで聞かされ続けていることなので。
「それなのに、その生産量は減少の一途をたどっている。少子化が叫ばれておる昨今だ。米農家が数を減らすのは、いわゆる時代というもので、仕方ないことなのかもしれない。だが、それだけではない。食の欧米化が進み、『若者の米離れ』などというとんでもない現象まで起きてしまっている。米が嫌いなどと言う者も少なくない。日本文化の神髄たる米をだ! これを許しておいていいのか? 否!」
「だから、日本が世界に誇る米文化を、余すところなく味わえる店を作ったんですよね? わかってますよ」
「そうだ。正確には『日本の食文化の素晴らしさと、その文化の根幹をなす米の偉大さを人々に知らしめるための店』だ」
――何度聞いても、店をやるために降臨あそばされたとか、神さまとしてどうなんだと思ってしまう。
はじめて聞いた時は、『……美味い米を食わす店を一つ作ったところで、それで若者の米離れがなんとかなるものですか? そりゃ、それをなんとかしようと立ち上がったのが人間なら、米の美味しさを伝える店を開くのは、手段の一つとしてすごくいいと思います。でも、一陽さんは神さまなわけで、だったらもっと神さまにしかできない効率的な方法があるのでは? こう、神さまの御加護的な。人智の及ばない力みたいなもので』と言って、ものすごく嫌な顔をされた。
一陽さん曰く、神を万能だと思うなとのことだった。
神は万能ではない。できることとできないことがある。それこそ、人々の認識を自在に操れてしまう神など存在しない。それは、神でもできない領域だと。
たしかに、それができてしまったら、世が混乱するどころの話じゃない。
神さまにもルールがあって、その力が及ぶ範囲がある。
それには納得したし、安心もしたのだけれど――そこで、『自然に任せる』ではなく、『米離れを少しでも食い止めるために、米の偉大さを知らしめる店を開く』選択をして、それを実現させただけではなく、自ら毎日毎日汗水たらして労働しちゃうってところば、やっぱり神さまとしてどうなんだと思わざるをえない。
まぁ、文句があるわけではないけれど。そのおかげで、僕は自身の愚かな考えを改めることができたし、毎日美味しいごはんにありつけているわけで。
四つ目のおむすびに手を伸ばすと、クロが足もとで「まだ食うのか。貴様」と言う。
ほぼ同時に、一陽さんがふと何かに気づいたように、僕を見つめた。
「そういえば――凛。
「は……?」
話の流れとはまったく関係ない――だからこそ、予想だにしていなかった言葉に、僕は思わず目を丸くした。あれ? 今、そんな話してたっけ?
「え? ――すみません。なんですか?」
「京都の夏といえば、祇園祭だ。しかも貴様の専攻は、日本文化や日本文化史。だったら、当然行ったのだろう?」
祇園祭――。京都は八坂神社の祭礼で、毎年七月一日から一ヶ月間に渡って行われる。
その起源は、古いなんてもんじゃない。千百年以上もむかしの貞観十一年(八六九)に、京の都をはじめ日本各地に疫病が流行した際に、平安京の大内裏に接して造営された禁苑(帝のための庭園)に、当時の国の数六十六ヶ国にちなみ、六十六本の鉾を立て、祇園の神を祀り、災厄の除去を祈ったのがはじまり。
以来続く、京都の夏の風物詩だ。
厳かな神事や、華やかな巡行だけではない。歴史的にも貴重な美術品が公開されたり、多くの古典芸能も披露される。中でも有名なのは、山鉾行事だ。重要無形民俗文化財にも指定されており、さまざまな美術工芸品で装飾された重要有形民俗文化財の山鉾が公道を巡る山鉾巡行は、『動く美術館』とも謳われる。
京都三大祭の一つで、日本三大祭の一つでもあり、日本三大曳山祭、日本三大美祭にも数えられる、日本人にはもちろんのこと、外国人観光客にも人気の、日本を代表する祭だ。
もちろん、見たくないわけはない。でも――。
僕は小さく肩をすくめて、きっぱりと言った。
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