第139話 温泉街

「なかなか色浴衣のサービス流行らないですね?」


「そうね。ここの温泉街は、歴史がある温泉宿ばっかりであんまり若者が来ないから。それでも、可愛い浴衣とかで集客できればと期待したんだけどねぇ」


「何組かは来てくれましたけど、なかなか火がつかないですね」


「もっと、モデルさんみたいな人達が着てくれたら、話題になるかもしれないわね」


「そうですけど、そんな人なかなかいませんよ。それより、今日はあと一組チェックインすれば揃いますね」


「そうね、じゃあフロントは任せたわね。私は奥で仕事してるから、何かあったらすぐに連絡してちょうだい」


「わかりました」


私は、フロントを従業員に任せて、他の従業員の仕事の様子を確認に向かいました。各部屋の状況と、スケジュールの確認など中居さん達に確認していきます。どうやら、不備ないように進んでいるようです。


安心した私は、一度自分の部屋へ戻り休憩することにしましたが、すぐにフロントから連絡が入りました。


「すみません、今お時間よろしいでしょうか?」


「どうしました?トラブルですか?」


私がフロントに向かった時には、従業員しかおらず、お客さまの姿はみられませんでした。どうやらトラブルではないようですね。だったら、何があったのかしら?


「あの、先ほど最後のお客さまがチェックインされたのですが」


「それがどうかしましたか?」


「あの人達に、色浴衣の宣伝をお願いしてはどうでしょうか?」


「どういうことです?」


全く話の方向が見えてこない私は、詳しく話を聞くことにしました。


どうやら、最後のお客さまが6人とも美男美女揃いだったんだとか。そこで、無料でも着てもらえれば、いい宣伝になるとの話でした。特に、男の子が今人気のHARUという人らしいのです。


芸能人に詳しくない私でさえ名前を聞いたことがあるのですから、相当有名なのでしょう。しかし、うちの色浴衣はどれも高級品で、無料で提供できる物でもなく困ってしまいましたね。


一度、この目で見てから判断しましょう。


そして、待つこと20分ほどで、噂のHARUさんがやって来ました。どうやらカップルのようで、とても可愛らしい女性と手を繋いで歩いて来ました。私は年甲斐も無く、その男の子に見惚れてしまいました。


ダメダメっ、私は既婚者なんだから、しっかりしないと。私は、判断の鈍った頭をなんとか起こして現実に戻って来ました。


「あの、お客さま」


「はい、なんでしょうか?」


『あぁ、かっこいい!』


振り返った男の子は、まだ高校生くらいかしら、あどけなさを残しながらも、男性としての色気を醸し出している。


『はっ!?だ、だめよ、しっかりしなさい私!』


「これからお出かけですか?」


「はい。ちょっと、辺りの散策にでもと」


「そうでしたか。それでしたら、こちらの浴衣をサービス致しますので、是非着ていって下さい。より雰囲気が出て、いい思い出になりますよ?」


私は、なんとか平常心を取り戻し、無料で色浴衣を提供することを決めた。隣に居た従業員に目配せすると、もうわかっていたかのように準備していたカタログをこちらに渡す。


「でも、これって有料でしたよね?」


どうやら彼女さんは色浴衣のことをご存知のようですね。この方達に着て頂けるなら、無料でも十分に元が取れる。私の直感がそう言っていました。


「はい、通常ですと一着ずつレンタル料を頂いております。ですが、今回はサービスにさせて頂きますので、是非お泊まりの間は着てみてください」


「いいんですかっ!?」


『えぇっ、なにこの子可愛い!?』


すごく目をキラキラさせてカタログを見る彼女は、小動物みたいでとても可愛かった。


「どうぞ、こちらで選んでください。お兄さんもサービスしますので、着替えてください」


カップルとはいえ、試着室が別々なので、それぞれの部屋へと案内をさせて、着付けのお手伝いをするよう従業員に命じて、私は一度裏に戻りました。そして、HARUさんについて、少しだけお勉強することにしました。


ーーーーーーーーーー


「お姉さんは、どの色でも合いそうですね。お好みの色などありますか?」


「そうですね、私は淡い色のものが好きなんですが」


「そうですねぇ、ではこちらはどうでしょうか?」


そう言って、私に持ってきてくれたのは、淡いピンクの浴衣だった。所々にアクセントとして散りばめられた桜が、また印象的で目が離せなかった。


「すごい綺麗」


「着てみますか?」


それから、私はされるがままに着付けをされていく。浴衣を着るのは夏祭り以来だ。


あの時は、世界的に有名な小湊椿さんのデザインで、緊張し過ぎてあんまり記憶にない。


今回の浴衣も本当に素晴らしい物だった。今回はしっかりと目に焼き付けて、楽しい時間を過ごしたい。


「ハルくん、褒めてくれるかなぁ」


「絶対、褒めてくれますよっ!」


「ありがとうございます」


私は、もっと時間がかかると思ったけど、意外にもすぐ決まった。早くハルくんに見せてあげないと。


ーーーーーーーーーー


「どちらの浴衣にしますか?」


「そうですね。じゃあこれでお願いします」


「こちらですか?」


「ダメでしたか?」


俺は気に入った物を選んだのだが、あんまり反応が良くない。これは人気がないのかな?


「あ、いえ。とてもお似合いだと思います。でも、なかなか目利きでいらっしゃいますね」


「あぁ、浴衣は以前見せてもらう機会がありましたから。その時、少し教えてもらったんです」


「そうだったんですね。そちらの浴衣は、有名なデザイナーさんがデザインした物で、お金があっても買えるかどうか」


「そうでしょうね。小湊さんは気分屋ですから」


「ご存知だったんですね」


どうやら合ってたみたいだな。小湊さんの浴衣はデザインもさることながら、機能性も素晴らしい。


「たまたまですよ。さて、どうやって着ればいいですか?」


「私がお手伝いしますね」


なるほど、それでずっとそばに居たのか。テキパキと着付けをしていくスタッフさん。


「ふぅ、我ながらいい仕事をしたわっ!」


腕で大袈裟に額を拭って見せるスタッフさん。そんな大袈裟なと思ったが、確かに着付けはバッチリだった。


「ありがとうございました」


「いえいえ、ではまたフロントの方へ」


俺はまだ時間がかかるであろう香織を待つためフロントへ向かったのだが、そこにはもう淡いピンクの浴衣に包まれた香織の姿があった。


「あっ、ハルくん」


「・・・」


小走りで駆け寄る香織は、不思議そうな表情をする。


「ハルくん?どうしたの?」


「いや、想像以上に可愛かったから」


「えへへ、本当??」


「うん、すっごく似合ってる」


「よかったぁ。ハルくんも、すっごくカッコいいよっ!」


「ありがとう」


お互いに褒め合っている俺達を、微笑ましく眺めていた女将さんは、そっと近づいてきた。


「お二人とも本当にお似合いですよ。もし良かったら、町を巡っているあいだ、SNSで宣伝してもらっても良いですか?」


「なるほど、そういうことでしたか。わかりました」


「ありがとうございます!」


俺達は、宿屋を出るとまずはお昼ご飯を食べることにした。ここに来たら絶対に食べたい言っていたやつだ。


「ハルくん、こっちだよ!」


「そんなに急ぐと危ないぞ?」


目的地に着くと、人気なお店だけあってかなりの行列が出来ていた。


「結構並びそうだね」


「そうだな。まぁそれも良い思い出だろ」


俺達が今並んでいるのは、この辺りで有名な釜飯屋さんだ。有名人もお忍びで来るとか来ないとか。


「そうだ、香織ちょっと」


俺は香織の腰に手を回しグッと抱き寄せる。


「あっ、ど、どうしたの?」


「こっち見て」


俺は並んでいる様子を写真に収めると、SNSに投稿した。色浴衣のことも一言付け加えて投稿した。


しばらくすると、俺達の順番になり念願の釜飯にありついた。


しっかりと、釜飯を食べる様子も投稿する。すると、一本の電話がかかってきた。


「もしもし?」


『あっ、晴翔くん?』


「恵美さん、どうしたんですか??」


『釜飯美味しそうだね。それより、良いところに居るね。一つ仕事を頼まれてくれないかな?』


「仕事ですか?」


『うん、温泉のリポートに行ったタレントさんがロケで怪我しちゃったみたいで、代役が必要なの。それで、晴翔くんに温泉のシーンだけ代役で撮ってきて欲しいの』


「でも、今プライベートだし」


『お願いっ!これはプライム帯のテレビで、うちの事務所にとって大事な仕事なの!お願い!』


俺は、お世話になっている事務所のお願いを断れるわけもなく。香織に訳を話して、少しだけ時間をもらうことにした。もちろん、香織が心配なので撮影現場に連れて行くことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る