実像の証明Ⅱ

「アサ、イグサから状況は聞いていますね。」

声と同時に僕たちの前に赤いロングドレスを着た女性が現れた。いつもは黒いロングヘアなのに金髪のショートカットにイメージチェンジしている。

「おおよその内容は。あなたは相変わらず、お洒落な人工知能ですね。」

 人工知能にしてはレディーは特異で、こういった気まぐれな要素がある。顔の造形はいつも同じでロシア系だ。瞳は大きな二重で鼻が高く、薄い唇をしている。この顔がお気に入りのようだった。確かに美しい顔立ちだと思う。イグサと負けず劣らずと言った感じだ。

「ありがとう。リップサービスではないようですね。」

レディーは微笑む。もちろん本心だ。僕は社交辞令やお世辞が苦手である。

「そういえば先程、非常階段でシロクマがいました。イグサには報告が遅れましたが。」

イグサの方へ視線を向けると彼女は予想通り僕を睨みつけていた。僕は小さく頭を下げる。謝っているつもりだ。

「そちらについては私も検知しておりました。」

「おそらくロボットだと思います。服を着ていたし、煙草を吸っていましたから。」僕は報告を続けた。

レディーの口角が上がった。イグサが横目で僕を見ながら、無表情で言う。

「アサと同じように仕事をサボっていたのかもな。レディー、第三層へのアクセスとの関連性は演算できるか?」

レディーは首を横に振る。

「現時点での情報量だとそこまでは判断できませんが、おそらく、そのシロクマがアクセスしてきたものと推測します。また、危険性はないものと判断します。アサと接触したタイミングで第三層からログオフしたのでしょう。」

レディーは無表情でイグサに答えると、微笑んだ。こういった表情のコントラストをイグサも見習うべきだと思う。

「アサ、イグサは仕事に対して真剣に向き合っているのですよ。責任感ある姿勢を私は信頼しています。あなたこそイグサに見習うべき点が多いはずですは?」

僕は苦笑いを浮かべる。イグサは僕を鋭く睨みつけているようだ。そちらに視線を向ける事はできない。

「思考を演算するのはやめてくださいよ。」

レディーは椅子から腰を上げると、僕とイグサの前に立った。微笑みは消えている。

「第三層ログイン時の処理能力から考えるに、万が一再びアクセスされた場合には、第二層で捕捉は可能です。仮にそのシロクマの仕業だとすれば、おそらくアクセスせずに、アサに接触してくる可能性が高いです。」

「アサに?」

イグサとレディーが僕を見る。

「私よりアサにコンタクトする方が工数がかからないというのが理由です。そうなった場合はシロクマを私の元に案内してください。」

シロクマをオフィス内に入れてもリスクがないということなのだろう。

「しかし、たまたま遭遇しただけで、意図的に僕と接触してきたようにも思えませんが。」

「喫煙者という点から演算しています。他の者よりも接触する可能性が高い、という程度ですよ。」

「なるほどな。」イグサが呟いた。

僕も妙に納得した。

 それにしても前例のない事態だ。問題やトラブルと向き合った時にしか、仕事のやり甲斐を感じられないほどに、平坦な日々を過ごしてきた僕からすれば、今回の件については少しばかり胸が躍っている。

 レディーは僕の肩に手を置く。もちろんホログラムなので感触はない。

「アサ。あなたはトラブルを楽しむ特性がありますよ、気をつけてください。」

演算するまでもなく、確かにそれは僕の特性だ。思わずくすっと笑いが漏れてしまった。

「接触があった際も十分に注意してください。危険性はゼロではありません。シロクマも肉食動物ですからね。噛みついてくるかもしれませんね。」

「え?」

「あのシロクマはリアルですよ。香水の香りがしたでしょう。」

 確かに香水の匂いはした。だからと言ってリアルである証明にはならない。ホログラムという可能性は消えたけれど、香水をつけるロボットだっているかもしれない。

けれど嗅覚がないロボットが香水をつけるだろうか。

 そんな事を考えているうちに、僕は一つの疑問を抱いた。なぜレディーはシロクマから香水の匂いがした事を知っているのだろう。人工知能にも嗅覚はないし、僕の目の前に存在しているレディーは、突き詰めれば女性のホログラムと球体上の物質に過ぎない。つまり、物理的に香水の匂いを認識する事は絶対に不可能だ。

 けれど、もしかしたら匂いを数値化する事が可能なのかもしれない。考えがまとまらなかったので、思案するのをやめた。

「冗談ですよね?」僕は聞いた。

「いいえ、冗談ではありませんよ。」

レディーは処刑台のギロチンみたいにきっぱり断言した。

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