第八話

「いいって、何の話っすか?」

「いやー、『こつん』がもう帰ったかなって」

 志朗は立ち上がり、話の間に充電器のところに戻っていたゆるぼの上を二、三回はたいた。ゆるぼが起動し、何かまだ吸い込むものがあるのか、リビングの出口へと向かっていく。

「こつんって、途中でしてた音ですか?」

 黒木が尋ねると、志朗は「うん」とこともなげに答えた。

「かまってもらえなかったから帰ったんでしょ。いやーよかった。ラジオが混線したとき正直ぎょっとしちゃった。何か音鳴ってた方がいいかと思ったんだけど、失敗だったね」

「あの……こつんってアレっすよね、あの、名前呼べないけど」

 二階堂が中腰で辺りを見回しながら言う。志朗は「うん」とうなずいた。

「かまってもらえないから帰るとか、あるんですか」

「あるよ。特にあれ、小さい子供じゃけえ」

 志朗はそう言うと、ゆっくりと息を吐いた。

「気を遣ったねぇ。やっぱりこういう話は、管理人室でやってもらった方がよかったのと違うかなぁ」

「すみません」と二階堂が頭を下げる。「でも、あそこに来ちゃったらオレが怖いじゃないすか。結構一人になったりするし」

「言うて、この部屋もからねぇ。どっちかっていうとこっちの方が来やすいよ、あれは」

 黒木にはふたりの話がよくわからない。

「あの、引っ張ってきてるって何ですか?」

 尋ねると、志朗が見えない目をこちらに向けてきた。

「さっきさ、『入ると死ぬ部屋がある』って二階堂くんが言ったでしょ? たぶん井戸家の誰かが何かしらタブーを冒して、祭壇の部屋がものすごい負の力を持つようになっちゃったんだと思うんだよね」

 志朗はそう言うと、一旦欠伸をした。「――ごめん、最近眠くて。でね、一度はその力をかなり厳しく抑えてたらしい。具体的に言うと、その問題の一間に全部の力を押し込んで、なるべく外に出さないようにしてたんだな。でもそれをやった術者が亡くなったもんで、封印が保たなくなっちゃったわけ。だからと相談しまして、今度は縛りを緩くして、その代わり上に引っ張ることにしたんだよ」

「はぁ……?」

「つまり104号室からこの904号室に向かって、DIY守り神の負のパワーが縦にギュイーンと伸びてる感じっす」

 二階堂があまりにカジュアルな説明を挟む。志朗が「そうそう」とうなずく。

「はい!?」

 黒木は思わず立ち上がった。「えっ、じゃあこの部屋にいるの、まずくないですか?」

「そんなにはまずくないよ。人形が埋まってる地下から距離とってるんで、かなり希釈されてる」

「ていうか志朗さん、この部屋に住んでて大丈夫なんですか……?」

「まぁ大丈夫だよ。ていうかさっき上に引っ張ってるって言ったけど、それやってるのがボクです」

「そうなんですか!?」

「うん。時々『よんで』、注意をこっちに向けてるんだよね。そうやって引っ張りながら、時間をかけてちょっとずつ弱体化させてる。なんていうかその、引っ張ってちょこっと出てきたところを、つまんでポイッてする感じで」

 そう言いながら、志朗は先程二階堂の肩から何か取り去ったときのような仕草をしてみせた。

「それはその――え、どういうことですか?」

「言うなれば、マンション九階分の大きさのある怪物を、ちょっとずつ千切って倒してるって感じかな」

「は!? 地道!」

 思わず大声でそう言った黒木に、志朗は「地道だよねー」と返して笑った。

「実際気の遠くなる話ですよ、黒木くん」

「あっ、じゃあまさか引越しもそれで……?」

「うん、1004号室はもう千切れるとこないから。千切りながらだんだん下に行く予定なんだよね。いや〜、一階分消すのに三年くらいかかっちゃった」

「やっぱり地道だ……それ、あと何年かかるんですか?」

「さぁ? たぶん近づくほど時間がかかると思うんだよね。ボクの寿命が来る方が早いのと違うかなぁ」

「困るんすよねぇ、それ」二階堂が資料を仕舞いながら言った。「長生きしてくださいよぉ、シロさん」

「そう言われてもなぁ。まぁ、その頃には二階堂くんもとっくに定年退職してるよ」

 そのとき、インターホンが鳴った。予定していた来客である。

「あっ、やべ。お客さんですよね。オレ帰るっすわ。じゃ!」

 二階堂はファイルを持つと、ふたりに軽く会釈をして部屋を出て行った。

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