第57話 特急対応の裏側

「オスカー様、妹君のクレア様からこのようなお手紙が」


 その日の午前中、オスカーはノストン国王宮の執務室にいた。特に急ぎの仕事はなく、クレアからの手紙にすぐに目を通す。


 内容は、パフィート国での従者が決まったことについてだった。その者は没落した名門伯爵家の跡取り息子であったこと、パフィート国第一王子ヴィーク殿下からも高い評価を受けている人物であることなどが書かれていた。


「なるほど。足元が固まったヴィーク殿下の寵愛を得るために、彼が優秀だと評価する者を側仕えとして置くということか。我が妹ながら、さすがだな」


 かなり大きな誤解を抱えつつ、オスカーはクレアからの依頼に超特急で対応することにした。


 手早く手紙に書かれている内容通りに契約書を作成し、マルティーノ公爵家の印章を押す。


「クレアの後ろ盾としてノストン国を意識してもらうためにも、アスベルト殿下の印章があればより良いな」


 オスカーは、ちょうどアスベルトに別件で用があった。駄目元で頼んでみようと今作成したばかりの書類も手に持ち、執務室を出た。



「……シャーロット。来ていたのか」


 アスベルトの執務室でのんびり過ごしているシャーロットを見て、オスカーは驚く。今日は王立貴族学院はお休みで、シャーロットは帰省して王宮にいるアンのところでお妃教育を受けているはずだった。


「……お、お兄様。今日のお勉強は午後からと先生から連絡がありまして」


 シャーロットは何かを取り繕うように笑顔を作る。


 アスベルトの後ろに控えているサロモンはオスカーに向けて生温かい笑顔を浮かべ、無言で首を振った。


「家にはそんな連絡はなかったぞ。……アスベルト殿下。どんなに妹を愛しておいででも、あまり甘やかすのは……。恥ずかしながら、家でも苦労しているところなのです」


 オスカーは遠慮がちに言う。実際、マルティーノ家ではシャーロットへの教育についてかなり難しさを感じているところだった。


 これまで、クレアというお手本を武器にいいとこどりをしてきたシャーロットは、隠れ蓑を失ってぼろが出まくりだった。


 洗礼式を待たずして期待を向ける先をシャーロットに切り替えたベンジャミンでさえ、『育て方を間違ったか……』と嘆いているほどだ。


「そうだったか。シャーロット、すぐに聖女アンのところへ」

「えー! アスベルト様、そんな……」


 誰も自分の言い分を信じてくれないことに頬を膨らませながら、シャーロットは退出した。


 シャーロットが執務室を出て教会の方向に向かったことを確認してから、オスカーは切り出す。


「過日よりご相談していた件ですが、このようにまとまっています」

「ご苦労であった。しかし、現在立て込んでいてな。ただ、急ぎで対応したいとは思っている。早ければ来週には決裁を下せるはずだ」


 普段、王立貴族学院の寄宿舎で暮らし、週末しか王宮に帰らないアスベルトの執務机の上には書類が山のように積み重なっていた。学業優先で仕事量を抑えているとはいえ、相当な忙しさを感じさせる。


(……やはり、クレアの書類はこちらだけで処理することにしよう)


 オスカーがそう思って退出しようとすると、アスベルトが声をかける。


「ほかにも決裁が必要な件があるのではないのか。その、手にしている書類はどうした」


「これは……お忙しいようですので、結構です。クレアからの依頼なのですが、こちらでも不足なく対応できます」

「寄こせ」


 クレアの名前が出た瞬間、アスベルトの顔色がサッと変わった。しかしそこには厳しさはなく、何となく桃色の空気が流れている気もする。


「……パフィート国でマルティーノ公爵家の名のもとに従者を雇いたいと。優秀だがパフィート国では好まれない訳ありの人物だから、後ろ盾が欲しいということか。……彼女のことだ、人選に問題はないのだろう。なるほど、これはクレアのためにマルティーノ公爵家だけではなくノストン国王家の後押しもあった方がいいな」


 そういうと、アスベルトはペンを取って何やら書類を作成し始めた。


「殿下、お忙しいのに何を……」

「私からも推薦状を書いているのだ。合わせて、クレアの扱いについてより丁重にするようにとの手紙も追加しておこう。5分でできる。そのまま待っていろ」

「……」


 オスカーは呆気にとられ、サロモンはため息をつく。


 こうして、ディオンとマルティーノ公爵家の契約書は異例の速さでクレアのところに送られたのだった。



 ―――――


 一方、アスベルトの執務室を追い出されたシャーロットは、真っ直ぐにアンのところには行かず、寄り道がてら中庭をふらついていた。


「お妃教育がなんなのよ。私に、あの完璧なお姉さまと同じことができるわけがないじゃない!」


 そう叫ぶと、人目を気にせずに傍らの木を蹴っ飛ばす。シャーロットは、人を蹴落とすためなら何でもできたが、普通の努力は嫌いだった。


 この春に王立貴族学院に入学したシャーロットは、第一王子・アスベルトという後ろ盾を武器に、思いのままに振る舞っていた。


 入学したばかりの彼女に用意されたのは、寄宿舎の中で最も上等なスイートルームだ。


 さらに、王立貴族学院に通う貴族子息・息女の中でも特に高貴なものにしか許されない生徒会への所属もトントン拍子に決まり、シャーロットは自尊心が満たされたのを感じていたはずだった……のだが。


 実際には、そのどれもがクレアのお下がりだった。シャーロットが小さなころから切望していた、羨望のお姫様のポジションを手にしたはずなのに、何だかしっくりこない。


 そこにあるのは、『お姉さまはよくお出来になったのに』という空気ばかり。自分が世界の中心と信じて疑わないシャーロットには、不愉快だった。


はなかったし……。レオお兄様も私の味方になってくれなかったわ。一体どういうことよ」


 さらに、アスベルトの婚約者に収まるという最大の目的をあっさり達成してしまったシャーロットは、底意地の悪さのぶつけ先を見失っていた。何せ、比較して下げる対象がない。


『厳しくも凛としたクレアと、繊細でか弱いシャーロット』という図式があってこそシャーロットの優位さが際立つことは、自分でもよく理解していた。


「私が魔力を目覚めさせれば状況は変わるはず。早く15歳の誕生日が来ればいいのに」


 地面に落ちた若葉を踏みしめながら、シャーロットは呟いた。

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