第13話 秘めた想い
冬祭りの最後の夜、何度も修理を重ねてもう原型もとどめていないオーディオから大昔の音楽がスタジアム中に流れ、焚き火の周りでは大勢のカップルが手を取り合って楽しげに踊っている。
ルーファスも当然あちこちの娘に声を掛けられて、何曲目か分からないダンスを、それでも楽しんでいるようだ。強く引き寄せた相手の娘を抱き止めたり、胸の高さに抱き上げたりと、踊りの輪の中でも一際目を引いていた。
そんなルーファスとどこか
「チェイス、もう踊らないの?」
チェイスは困ったような笑顔を浮かべて答える。
「僕は、あんまりダンスが上手くないからね。相手の子をがっかりさせちゃうみたいだ」
「そんな事ない、前に教えてくれた時だって、私はただチェイスの手を握ってるだけなのにクルクルと動き回って魔法をかけられたみたいに楽しかった」
「ふふ、そう言ってもらえるのは光栄だな。――じゃあ、ティア、女の子に振られたかわいそうな僕と一緒に踊ってくれる?」
「私? あそこで踊るの?」
驚いてそう言ったティアは、どう断ろうかと言葉を探したが、それよりもほんの一瞬早く、チェイスが立ち上がってティアに向かって手を差し伸べる。その顔は悪戯っぽく、楽しげな笑みを浮かべていた。ティアは吸い込んだ息を短く吐き出すと、遠慮がちに手を伸ばしチェイスのエスコートを受け入れた。
「恥ずかしいから隅の方で」
そう小声でチェイスに囁くと、チェイスはOK、と言ってティアを焚き火のそばへ連れ出す。ティアの右手を優しく握るチェイスと向き合う。腰を抱く腕は力強く、背の高いチェイスと間近に組むとティアの視線はチェイスの胸の辺りだった。
もう何年も前に、お互いに子供同士で踊った時とは随分違うその感覚にティアは思わず俯きかけたが、チェイスがそっと囁く。
「ティア、下を見てたら踊れないよ。――僕の目を見て。僕がリードするからティアは力を抜いて僕に任せて」
そう言われてティアはおずおずと顔をあげ、チェイスの瞳を見つめる。琥珀のような深い金茶色の瞳から目を逸らさずにいると、やがて周囲の気配も雑音も遠のき、二人だけで冬の夜の下にいるような静かな気持ちで、チェイスのリードに合わせてティアは滑るように一歩を踏み出した。
優しく触れている右手が、時に強く引かれ、それに合わせて操られるように踏み出すと、それだけで不思議とダンスのステップを辿っている。最初こそぎこちなく
何度かルーファスと見知らぬ少女のペアとすれ違い、ルーファスが驚いたような表情で二人を見ているのがわかったが、ティアはチェイスから目が離せなかった。寒さも忘れ、少し汗ばむほどに夢中で大勢の恋人達の間を縫って踊ると、やがて音楽が静かにフェードアウトして、二人は弾む息を宥めながら見つめ合い、どちらからともなく笑い出した。
重ねたままの手を引っ込めるタイミングが分からずに、二人で立ち尽くしているところへルーファスがやってきてチェイスの肩を軽く叩く。
「珍しい組み合わせだな。――ティア、次は俺とも一曲踊ってくれよ」
そう言って手を差し伸べるルーファスに、ティアは戸惑い、言葉を探した。心なしかチェイスに握られた右手が軋んだように感じたのは錯覚だっただろうか。
兄弟達とティアは家族なのだ。チェイスと踊り、その兄を断るのは不自然だ、そう思ったティアはわかった、と頷いてルーファスの左手に自分の右手を預ける。チェイスよりも厚みのあるルーファスの手はティアの手を包んで、意外なほど繊細に握られた。タイミングよく流れ始めた音楽は、先ほどとは打って変わって静かに歌っている。
ほんの今までチェイスと二人で羽毛のように軽やかに走り回ったのが、今度はルーファスの腕の中に閉じ込められて一つの根から生える連理の木のようにきつく腰を抱き寄せられていた。うるさく響く鼓動が自分のものなのかどうかさえ分からないままルーファスのリードに身を委ねる。
ルーファスの体温を感じながら水の流れのように静かなメロディーに浮かんで漂う。背中に回されたルーファスの手は大きくて、ティアよりも僅かに高い温度がウールのチュニック越しに感じられる。
いつも冗談か本気かわからないような軽口を叩いてばかりのルーファスが、こんな夜に限って一言も話さないのをティアは少し恨めしく思った。居心地の悪さに耐えかねたティアが先に口を開く。
「――ずいぶん静かだな」
ルーファスは、フッと小さく笑って答える。
「さっきまで嫌ってほど動き回ったからな。たまにはこうして静かなのもいいだろう」
「よくあれだけ大勢の相手ができるものだな」
口に出してからティアは、まるでルーファスを咎めるような口調になったことを少し後悔した。当のルーファスは全く悪びれる様子もなく、ニヤリと笑って切り返す。
「お前だって、他所の連中から誘われたんじゃないのか」
「そんなの誰もいない」
「――そうか、まあ、それは、そうだな」
ルーファスは妙に歯切れの悪い返事で、チラリと焚き火の向こうで同年代の若者数人と話をしているチェイスの方を見た。ルーファスは弟が、ティアには想う相手がいるようだから、とティアへの取り継ぎを頼んだ他所の男を幾人か断っていたのを知っていたが、それをティアに知らせるべきではなかった。
ルーファスの腕の中で逃げ場もないティアが目の前で視界を埋めるルーファスを見るとはなしに見ていると、シャツの襟に目が止まった。冬とはいえ酒を飲み、四、五曲ほども踊ったルーファスはシャツのボタンを開けて襟元が緩んでいた。
そこから見える鎖骨と喉仏に視線を移すと、首筋に赤く鬱血した発疹が目に止まった。こんな季節だというのに藪蚊にでも刺されたのだろうか。ティアはルーファスの肩に置いていた左手をそっとその赤い跡に伸ばす。
「これ、何に刺されたんだ。毒蛾か? 痛みは?」
ルーファスは怪訝な顔でティアの触れた辺りを探る。しばらくそこを指先で探ったあと、思い出したようにああ、と小さく頷く。
「痛くはないさ、毒は――ほんの少しだけあるかもな。お前も気をつけないと刺されるぞ。......すぐ近くにいるからな」
自嘲するようにそう言うルーファスはどこか遠くを見ていて、ティアはそれ以上何も聞かなかった。
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