第65話 神官・ノア①

 黒竜がどこかに行ってしまったので、私たちはこの周辺でキャンプを設営することになった。


 ここに辿り着いたのは、夕方近く。そろそろ暗くなりはじめる時間だ。いつも通り、騎士団の方々がテントを張ってくれた後で、私は防御結界を張る。


 でもこの黒竜の住処周辺に魔物はいない。黒竜がとんでもなく強いことをみんな知っているからなのだろう。その黒竜に『強き者よ』って呼ばれる私って一体なんなの。


 夕食のメニューは何かな、昨日はトマトシチューだったから今日は炭火で焼いたお肉かもしれない、遠征先で食べるごはんってなんであんなにおいしいのかな、ステーキならパンも添えてくれるかな、火であぶったチーズをのせて食べたい。


 全然関係ないことで頭をいっぱいにしていく。だって、さっきの出来事がなかなか受け入れられないから。


 離れた場所で待機していた王立騎士団の人たちは黒竜との会話を聞いていなかったけれど、神官たちは傍で聞いていた。


 だから皆、私が5回目の人生を送っていて、このループから脱却したがっていることを知った。それなのに、誰も何も聞いてこない。その優しさが沁みる。


 いつも通りキャンプは設営されて、楽しい会話と賑やかで温かい夕食の時間が持たれる。今日は黒竜にあえたのでワインも振る舞われた。リクはこの世界の赤ワインにすっかり夢中になっている。この前、料理用のワインを飲みすぎて怒られたことも忘れてぐびぐび飲む。そしてバージルに怒られていた。


 夕食後、たき火を囲みながらアオイがしみじみと呟く。


「私、日本に帰れるのが何よりもうれしいです。ここも楽しかったけれど、やっぱり家族や恋人にも会いたいもの」

「そうですよね……」


 って、え、恋人。相槌を打ちかけた私は固まる。そうっと勇者リクを見ると、蒼ざめた顔をしている。


「アオイ……ニホンに帰ったらデートしようって話は」

「はい、もちろん」


 ふわりと微笑むアオイに、微妙な空気が漂う。ちなみに、騎士団のほうからもざわざわと異様な雰囲気が伝わってくる。私もおどろいているけれど、一番ショックを受けたであろうリクが顔を引き攣らせて聞く。


「いや……無理だろ……? アオイには彼氏がいるんだろう?」

「え……? 彼氏がいたらお友達とデートするのはだめなの…?」

「と、友達」


 勇者リクとアオイの会話に笑いをぐっとこらえると、リルがきょとんと首を傾げた。


『リク、かわいそうだね?』

「言っちゃだめよ」


 サークルクラッシャーの意味を理解しつつあった私は、二回目のループで二人の間に起きたことを察しはじめていた。


 きっと、私が死んだ後、異世界に戻ったリクはアオイに振られたのだろう。あの時、死ぬ直前に泥棒猫と呼ばれたのはとても癪だったけれど、その元凶となった勇者リクはもっと腹立たしかった。よかった、報いを受けていたみたいで。


 急にしゅんとしてしまったリクをそっとしておくように、新たな話題で私たちは盛り上がる。そうして、賑やかな夜は更けていく。


 ちなみに、サイドスキルを無効化できれば人を好きになっても大丈夫らしい、と知った私はトラヴィスの隣には座らなかった。


 彼も少し離れた場所で火に向かい、笑っていた。



 


 野営は好き。


 テントの中で聞く、葉の擦れる音はちょうどいい子守歌になる。外に気配だけを感じるランプの穏やかな明るさもいい。目を閉じるとリラックスして眠れる。


 ……はずなのだけれど。


「眠れない……」

『セレスティア、どこいくの?』

「ちょっと外の空気でも吸おうかな」

『ぼくもいく』

「うん」


 どうしても寝付けなかった私は、隣で毛布にくるまりすうすうと寝息を立てるシンディーを起こさないようにテントを出た。


 土と葉っぱのいい匂いを胸いっぱいに吸い込んで、空を見上げる。樹々の隙間からのぞく漆黒の夜空には、星が瞬いていた。きれい。


「星空観賞?」


 せっかくいい気分だったのに。声の主に、私はあからさまに顔を顰めた。


「ノア……さん。何か御用ですか。あいにく、誰とも話す気はないのです」

『ないのです』


 相槌をうってくれるリルの頭をなでる。いつもののんびりとした表情ではなく、きりりとしている。めずらしく、警戒しているような様子が少し気になる。

 

 そんなことを気にしているうちに、ノアは私のほうへと一歩ずつ近づいてくる。


「君さ、人生をループし続けているんだって? さっき知って驚いたよ」

「……」


 話したくないって言ったのにな。空気を読まずにずかずかと私の領域に入り込んでくるノアとは、本当に仲良くなれそうにない。


「ひとつ、お願いがあるんだけど」

「なんですか」


「また、ループしてくれない?」


 え? 予想外過ぎるノアからのお願いに、私はぽかんと口を開けた。ループして、って。それってつまり……私に死んでほしいってこと……! なんで、どうして。


 困惑と驚愕の感情が同時に押し寄せて全然動けない私に、ノアはさくさくと続ける。


「いいじゃん、ちょっと死ぬぐらい。だって死んでも15歳からやり直せるんでしょ? この旅で思ったんだけど、君とトラヴィス殿下って相当仲がいいよね。トラヴィス殿下がトキア皇国に戻らずこの国に居続ける理由って君なんじゃない?」

「……まるで、トラヴィスがルーティニア王国にいるのが気に入らないみたいな言い方ですね」

「うん。だって、面倒だもん」

 

 あっけらかんとしたノアの口調は、この前私に実家が経営するデパートを自慢したときと全然変わらなくて、なんだか背筋が寒くなる。


 悪びれる風もなく、素で酷いことを言いまくるノアを見ながら、私は思い出していた。そういえばトラヴィスって複雑な立場の人なんだった、って。


 王族なのに王宮とは距離を置き神官として振る舞っていることや、彗星が降ってきたときに手柄がまったく報告されなかったこと。トキア皇国での人質としての期間が終わってもルーティニア王国に戻らなかったこと。


 ノアは、普段王宮で王妃陛下つきの神官をしている。……ということは。その結論に辿り着いた私は、彼を睨みつけた。


「……ノアさんがこの黒竜討伐のパーティーに加わったのがとても不思議だったんです。でも、その理由がわかりました」

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