第56話 ケークサレ

 黒竜は害をなすタイプではない、というリルの発言。それって本当なのかな。


 私が知っている歴史では、黒竜は悪とされていた。黒竜の巣近くの町や村を焼き、移動しては食料をとる。


 生きていくために仕方がないことだとは思うけれど、それでも人と共生するのは無理な気がする。


「リル。黒竜って話せばわかるタイプなの……?」


 リルにこそこそと小声で聞いてみる。


『うん。すこしむてっぽうで、はなしをきかないところがあるけど、わるいやつじゃないから』

「なるほど」

『こくりゅうのところにはぼくもいっしょにいくよ。はなせばわかる』

「わ……わかったわ」


 そもそも黒竜の討伐に行ったとき、私たちは黒竜と話そうとは思わなかった。だって、見つかった瞬間に戦闘になったんだもの。いきなり炎が飛んできて、アオイの前髪が焦げた。ギャッという悲鳴を覚えている。


 いろいろ不思議な点はあるけれど、とにかく無駄な犠牲を避けるためには私が黒竜の住む山に行く必要があるらしい。


 黒竜に話が通じない場合、勇者・リクの力はどうしても必要になるだろうから、リクとアオイを置いていくという線はない。まぁ、魔力5倍の私の聖属性の攻撃魔法もなかなか効きそうな気はするけれど。


 うーん、と考え込んでいると、エイドリアンが不思議そうに聞いてくる。


「セレスティア様は、トラヴィス様のところには行かれないのですか」

「どうして?」

「あれを」


 彼の視線の先には、がらんとした広いキッチンがあった。お料理教室の片付けが終わらないまま、皆どこかへ行ってしまったらしい。


「みんな、どこへ……?」

「アオイ様の先導でトラヴィス様をお探しに」

「へ」

「ケークサレを差し入れとしてお渡しするのだそうです」


 そういうことするんだ。


「ラッピング用品はこちらにございます」

「ど、どうしてそのようなものを」

「どなたかにできたものをプレゼントするのはこのお料理教室の恒例ですので」


 アオイもエイドリアンも女子力が高すぎる。


 そんなの、思いつきもしなかった……けれど。手元のケークサレと、エイドリアンが持っているラッピングセットを見比べて、私は口をもごもごとさせた。


 いつもお世話になっているし……何よりも、サシェの町では助けてもらったし。日頃のお礼だと言えば、何の問題もない。ない。ない。うん、ない。


 ……トラヴィスに……持っていってみようかなぁ。




 なんとかケークサレを箱に詰めてリボンをかけることに成功した私は、大神官様のお部屋近くまで来ていた。ちなみに、手先が不器用なエイドリアンはあてにならなかった。


 トラヴィスは大神官様の右腕のようなものだから、特別な任務がない限り大体はこの部屋にいる。


 ぺたっと壁にくっついて、ドキドキしながら角の先にある大神官様のお部屋の様子を窺う。扉が開いて、先に出発したアオイや巫女たちが部屋から出てきた。

 

 そして、キャッキャと騒ぎながら私がいるのとは反対方向に帰って行く。


「そういえば、皆もトラヴィスに差し入れを持っていくって言っていたものね。そんなにたくさんはいらないよね……」


 どうして気がつかなかったんだろう。大体にして、普段は全力で彼から逃げて気持ちに応えないでいる私が、気まぐれに差し入れをするなんて都合が良すぎる。


 突然意気消沈した私に、エイドリアンが不思議そうにしている。


「行かれないのですか、セレスティア様」

「うん。やめておく……。だって、アオイ様や巫女の子たちからたくさんもらったみたいだし。これは……私が自分で食べるわ」


「しかし、せっかくラッピングをされたのに」

「いいの。だって、私のが特別においしいわけじゃないし。トラヴィスだって、きっとどうせ食べるならおいしいのがいいと思うもの」


 手元のシルバーのリボンがかかった箱を見つめる。そのリボンに指をかけて、しゅるりと解いた。中に入っているケークサレをひと切れつまむ。


 お行儀は悪いけれど、ぱくり、と立ったまま口に入れようとしたところで。


「おいしそうだね?」


「!!!」


 いつのまにか、壁にへばりつく私の隣にはトラヴィスがいた。身体の半分を壁に預け、こちらを見るような格好で。


 私の肩と、彼の肩は触れそうなほどに近い。触れないように距離を開けてくれているけれど、それでも近い。近い。


 どこ。さっきまでここにいたはずのエイドリアンは、どこ……!


「エイドリアンなら、無言のまま笑顔であっちに行ったよ」

「そ、そうなのね。じゃあ、私もこれで」


 心の準備ができていなかった私は、ケークサレを抱えたままこの場を去ろうと決意した。こういうときは逃げるが勝ちだと思う。けれど、行く先を阻まれる。


「それ、俺にだよね?」

「ち、違います」

「違うの? “トラヴィスだって、きっとどうせ食べるならおいしいのがいいと思う”って」


 あああやっぱりいつも通り聞かれてた!


 頬が熱を持つのを感じて彼の顔が見られない。ついでに決まりが悪すぎて何も言えない。そんな私の様子に、トラヴィスはくすりと微笑んで数秒の間を置いた。


「……食べてもいい?」

「でも、お部屋に戻れば皆のものがあるし」

「……セレスティアが作ったのがいいんだよ」

「!」


 そういって彼は私の手を軽く握ると、そのままケークサレをぱくりと食べる。私の手から!? 待って本当に無理!


「おいしい」


 頭上から聞こえた低くて甘い声に、耳から全身がぶわりと震えた。キャパオーバーで真っ赤な私がただただこくこくと頷くと、トラヴィスは口の端を上げた。


「セレスティアは本当にかわ」

「ごごごごめんなさい失礼します!」


 この状況でさすがにそこまでは言われたくない。無理。心臓が持たない。


 残ったケークサレの箱をトラヴィスに押し付けると、私は一目散に逃げだしたのだった。

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