第45話『戦いの聖女』と彗星⑥

 トラヴィスがさらりと身分を明かしたのを見て、お父様はぺしゃんこになってしまった。そして、これでもかというほどの謝罪の嵐が続いた。


 ついさっきまでの横柄な態度はどこへやら、くるっくるの手のひら返しは逆に清々しい。「そんなつもりではない」「話せばわかる」ってどこかで聞いたわ? 


 お父様に従っていた騎士や役人たちが目をぱちぱちさせていたのがもういたたまれなかった。本当は任務から離れて王都に戻ってほしいところだったけれど、今は人手が足りない。


 お父様に「誰かの下について住民の避難を手伝うように」と命じたトラヴィスと私は、このお屋敷の別棟の端の部屋を目指していた。


「この棟はあちこち傷んでいるね」

「ええ……本当に手入れがされていないみたい。私が実家で暮らしていたのもこんな感じのところだったわ」


「……それ、本当?」

「そうよ。一人だけ別棟で、冬なんて暖房が満足に使えないの! ひどいでしょう?」


 敢えて明るく返すと、トラヴィスが全身に怒りを滲ませた。


「戻る。もう一言言ってくる」

「い、いいから! それよりも、今は避難のお手伝い!!」


 それ絶対一言じゃ済まないやつ。


 冬は寒い部屋で毛布をかぶり、異母妹から言いつけられた刺繍をする。固いパンの味気なさと、具のないスープに浮かぶがっかり感。そんな毎日に人生を諦めていたこともあった。


 けれど今は幸せに満ち足りている。衣食住に満足していることだけじゃなく、トラヴィスやバージルやシンディーにエイドリアン……誰かに大切にしてもらえる温かさが幸せだと思う。だから別にもういい。


「セレスティアは変なところで物分かりが良すぎる。もっと怒るべきじゃないか」

「本当にいいの。分かり合えないタイプの人には怒っても無駄だから」

「……俺の怒りがおさまらないんだけど」


 真剣な瞳にどきりとして、思わず目を逸らす。本当にやめてほしい。でも死にたくはないから今は進もう。主に、このお屋敷にいる誰かのところへ。


 お父様に文句を言いに戻ろうとするトラヴィスを宥めながら辿り着いた部屋には、南京錠のようなものがかけられていた。


「鍵だわ。扉自体はそんなに頑丈そうではないのに……」

「うん。こうする」

 

 バキッ。


 トラヴィスは爽やかに微笑んでから、勢いをつけて扉を蹴った。すると、いとも簡単に扉は外れて隙間ができる。


「う、うそ」

「俺、神官だからね?」

「そ、そういうもの」


 身体が強化されている神官にとっては鍵よりも扉の強度のほうが問題だったらしい。トラヴィスの、端正な顔立ちとのギャップがすごい。とりあえず、目的の部屋に入れた私たちは周囲を見回した。


 二間続きの部屋になっているのだろう。こちら側には洗面所やバスルームなど水回りの気配がある。そして、奥の部屋に続く扉が開いていて、そこに一人の男の子が佇んでいた。


「……あなたたちは、誰ですか……」


 柔らかそうな金色の髪に、碧い瞳。年齢は10歳にならないぐらいだろう。痩せていて、寒い季節だというのに手足に洋服の丈がまるで足りていない。


「こんにちは。王都から来た聖女です」

「……」


 天使のように可愛らしい少年から疑いの目が私へと向けられている。


「本で見たのと、違う」

「あ」


 そうだ私が着ているのはバージルが選んでくれた赤茶色だった。隣で声を殺して笑っているトラヴィスを睨む。さっきまでかわいいと言ってくれていたのは誰かな?


「……っ。こんにちは。神官のトラヴィスと言います。熱があるのかな? 動ける?」

「僕は……レイ・ヒューズです……でも、この部屋から出たら怒られてしまいます」


 トラヴィスが男の子の前に膝をつくと、彼はレイと名乗ってくれた。トラヴィスの言う通り、レイの顔は真っ赤で足元はふらふらしている。きっと熱があるのだろう。


「避難の前に、私たちの宿まで運びましょう。ここは寒いもの。少しでも回復させてから汽車に乗せた方がいいわ」

「ああ。俺が運ぶ」


 私の回復魔法を使って強制的に熱を下げることができなくもない。けれど、身体への負担を考えるとただの風邪ならば自然に治癒させたほうが良いだろう。


「でも、僕はこの部屋から……」

「出てもいいのです。どうしてかというと、私も出たからです」


 頑なに部屋を出ることを拒むレイに微笑みかけると、彼は首を傾げ目を丸くしたのだった。




 宿までトラヴィスに背負われながら、レイはいろいろなことを話してくれた。


 自分は『望まれない子』だということ。母親はレイが三歳のときによその男の人とどこかに行ってしまい、戻ってこないということ。それ以来、あの別棟でずっと暮らしているということ。


 私もトラヴィスもただただ相槌だけを打った。時折、トラヴィスがレイにかける声がとても優しくて、なぜか私にまでしみる。


 何も言えない私は、せめて背中に掴まり切れなかったレイの手をトラヴィスの肩に乗せた。


 その手は小さくて、とても熱かった。

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