大嫌いだ




 嵯峨野家の前にて。

 一瞬、フラッシュをたかれたような強烈な眩さに襲われた天祐が、その後遺症である緑や赤の点滅から脱して発光源である鉄労を再度見ようとした時だった。

 コンクリートの道路を軽快に駆ける音が耳に入って来て、その方向へ顔を向けると。


「剣牙」

「これやる」


 差し出された竹の板を受け取った天祐が、書かれた文字を見て目を瞠ると同時に駆け走り始めた剣牙の後を、鉄労に失礼しますと会釈をして追った。

 行き先はわかっていた。






 喧嘩、なので、部室に入る時も出る時も、始める時も終わった時も礼儀たるお辞儀はせず、また、喧嘩の合図を出したりもしない。

 プロテクターを全身に装着してのち、互いに、もしくは複数で向かい合った時点で、いつでも開始してよかった。

 喧嘩をする本人たちの誰かが、もしくは立ち会う校長先生が終わりと言うまで続ける。


 プロテクターを全身に装着して剣牙と相対した瞬間に、天祐は彼目がけて小走りで向かうと同時に隙間を開けて両手共に拳を作ると、へその辺りを集中的に殴り続けた。

 大振りはしない。疲れるだけ。小振りで。

 腹の底から、けれど、外には出さずに呻き声をあげ続ける。

 ビリビリビリビリ。

 殴り続けていると。

 軽い電流。

 否。

 イガグリガニを直接拳で殴って太く堅い棘が肉を突き破り、骨まで食い込んでいるかのような錯覚に襲われた。

 ひどい痛みと痺れだ。

 息が苦しい。

 酸素が一気に減ったのかと危機感を抱くほどに。


(くるしい)


 腹を集中的に殴る天祐に対し、剣牙は天祐の腕や頭、横腹を容赦なく殴り続けた。

 急加速して、なおかつ、跳ね上がるトラックのタイヤが衝突して来たのではと錯覚するほどに、強烈な衝撃だった。


(くるしい、いたい)


 けれどどうしてだろう。

 逃げたいなどと、一抹も抱かない。

 まだまだ、まだまだまだ続けたい。

 これっきりだから。

 真剣に、純粋に、己の全部で、知らない己も引きずり出して殴り続けているから。

 自分も受け止めて、相手も受け止めるとわかっているからこそ。


(まだ)


 呻き続ける、叫び続ける声とは裏腹に、口から出て来たのは。


「ありがとう。剣牙」


 最後は目を見て、剣牙の目を己に縛り付けて、顔を殴りたかったが、届かずに鎖骨目がけて大振りで殴りつけて、同じく、鎖骨目がけて殴り返されて、吹き飛ばされて。

 意識を失った。

 一瞬間。

 なので今度は、校長先生の終わりの言葉は聞こえたのであった。








「鴨田天祐は書道ダンス部に入ったそうだ」

「「へえ」」


 一週間後。

 己の足で部室を去って行った天祐は二度と足を踏み入れることはなかった。

 大抵の生徒のように。

 だがその代わりと言うか何と言うか。

 剣牙は額に青筋を立てながら、鉄労に眼をつけた。


「部外者は帰れや」

「俺と喧嘩してくれたら帰る」

「誰がするかさっさと帰れや」

「いやだ」

「嫌だじゃねえし、それに」


 剣牙は丸めた手紙を鉄労の目前で見せつけた。

 今日の朝、自室の机に置かれていた物である。


「きしょいことすんじゃねえよ」

「いや。俺も置いた後にどうかと思ったが。伝えなくてもそそっと伝わっているだろうし。だがもしかしたら伝わってないのかもしれんと思ったら身体が動き出してな。大丈夫だ。これっきりだからな」


(天祐君に触発されてしまったんだろう)


 あの日、喧嘩を終えて部室を出て来た天祐から事情をそそっと聞いていた鉄労は、火傷しそうなくらいに胸がひどく熱くなると同時に、少しだけ。ほんの少しだけしょんもりした。達筆の主が剣牙でない事に。

 否。いいのだ。文字で人間決まるわけではないのだから。


「ったりめえだぼけえ!」

「あ。そろそろ出来立てほやほやのコロッケが売り出される頃だ。一緒に行くか?買い食いしよう」

「行くか!あ。おい。これ持って帰れや!」

「その手紙は剣牙に渡したものだから好きにしろ俺は受け取らんが」

「だから」


 同じ位置に立とうとしない。

 親だからと言われればそうだがそれでもどうしようもなく苛立つ。

 だから。


「大嫌いなんだよ!」

「はっはっは。父は大好きだ!」

「きしょくわりいことを大声で言うな!」

「ほっほっほ。青春じゃのお」










(2022.3.8)



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だいきらい 藤泉都理 @fujitori

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