89.その苦しみは本人にしかわからない

 夕飯の足しにと、おばさんがでっかいおにぎりをいくつも持たせてくれた。本当にありがたいことである。なんであんなにおにぎりっておいしいんだろうな。

 遠回りして桂木さんの山の方から車を走らせる。8月中は油断せず見回りをした方がいい思ったのだ。そうしてやっと山に戻った。

 まだポチは帰ってきていなかった。いったいいつまで遊んでいるんだろう。


「タマかユマ、ポチを連れてきてもらっていいかー? 多分けっこう汚れてるだろうから明るいうちに洗いたいんだ」


 タマがキリッと首を持ち上げてツッタカターと走っていった。タマを見送って家の中に入る。土間がなんか汚れていた。ポチだろう。片づけをしている間にタマが泥だらけのポチを連れて帰ってきてくれた。さすがタマさん、優秀である。


「おー、今回も派手に遊んだなー。タマ、ありがとうなー」


 タライを出して外でわっしゃわっしゃと洗う。暑いから川の水がとても気持ちいい。さすがに十月を過ぎればつらくなってくるだろうなと思いながら、タライの水を何度も替えてポチをキレイにした。水って素晴らしい。ポチがぶるぶると水滴を飛ばしている間にタマも洗ってやった。一緒に風呂には入ってくれないけど、水浴びをするのは好きらしい。


「養鶏場にもお礼に行かないとなー……」


 小売り価格で提供してもらったとはいえ、一度にけっこうな量を出してもらったのだ。感謝してもしきれない。


「夕飯終わったかな……」


 夏の間の日は長い。それでも六時半ぐらいには日が落ちて、今は西の空が薄っすらと赤く染まっている。この日の入りからしばらくの明るい時間を薄明というらしい。

 まだ夕飯時だったら後でかければいいと、俺は桂木さんに電話をかけた。


「もしもしっ!」


 桂木さんがすぐに出た。こういうのを秒で、とか言うのかな。しらんけど。


「もしもし、佐野です」

「はいっ! 佐野さん、ありがとうございますっ!」


 なんか気合十分というかんじである。


「えーと、ナギさんのことって聞いてもいいのかな」

「はいっ! いくらでも話します!」


 即答して桂木さんは話してくれた。

 ナギさんは桂木さんが同棲していたDV元カレの親友で、基本善人だが思い込みが激しい人らしい。ナギさんはDV元カレをとにかく信用していて、何度も桂木さん宅を訪れては「復縁してやってほしい」と言っていたのだという。

 あー、なんというかお節介ここに極まれりみたいな人だなと思った。


「話ならいくらでも聞くし、話し合いの場も設けるとか言うんですよー」


 うんざりしたように桂木さんが言う。


「でもDVする人って二面性っていうか、DVのターゲット以外にはすごくいい人だったりとかするんですよね。だから何かの間違いだろう? とか言われても響きませんし、アンタ親友とか言ってアイツのどこを見てたのかなーって……」

「……それは確かにむなしいね」


 家庭では鬼の形相でも、一歩家を出たら聖人なんて話は何度も聞いたことがある。ものすごく怒っていたとしても、電話が鳴って出た途端とてもいい声で受け答えする親の姿を思い出したらさもありなんと思った。あれってどうなってんだろうな。切り替えなんだろうけどさ。


「しかもむかつくことに親友がそんな奴だって知ってるから、アイツもただの行き違いなんだ、とか、カッとなってつい、とか言い訳ばかりして同情を引こうとするんですよ。だから張り切って仲裁しようとしてて。ストーカーとか直接被害があったわけじゃないから、あの人の善意を誰も止めることはできないじゃないですか。おかげで一時期電話の音も怖くて外にも出られなくなっちゃって……」

「それは災難だったね……」


 小さな親切じゃない。大きな親切めちゃくちゃやヴぁいになっちゃったんだなと思った。


「もう一つだけいいかな」

「……はい」

「ゴールデンウィークの時元カレに似た人が村に来ていたかもしれないって言ってたよね」

「はい」

「あれ、多分ナギさんじゃないかな」

「……そうかもしれません。あの二人雰囲気も似てたんで……」


 本人が来たわけじゃなかったのはよかったけど、ナギさんはナギさんで厄介だなと思った。


「……それにしても困ったね」

「あーもう……佐野さん巻き込んですいません……」

「いや……俺は別に被害受けてないからいいよ。でも不思議だよな。本人がこなくてその親友が二回も来るなんて」

「……まぁ、それもそうですよね。ここ、けっこう遠いですし……」


 もしかして仲裁をしたいとか言いながら、ナギさん自身が桂木さんに本気になってるんじゃないのか? なんてちらと思ったが何も言わないでおいた。余計なことを言って何かあったらたいへんだし。


「それでさ、協力を仰ぐなら湯本さんとか相川さんに話すって手もあるけど、嫌なら嫌と言ってくれ。でも最低でも山中さんには相談しておきなよ」

「そうですよね……みなさんにご迷惑をおかけして……」

「そういうのないから。ここまでは話していいとか、全部秘密にしておいてほしいとかでもいいし」


 別に迷惑はかけられていない。ただみんな少しばかり心配しているだけだ。

 このまま何も話さないでいて桂木さんを守る自信はない。もちろんこれは本人の問題だから絶対に話したくないというならそれも尊重はする。その中で彼女を守る方法を模索することになるだろう。

 だって俺は当事者じゃないから。桂木さんの苦しみとか葛藤とか、俺にはただ想像することしかできないから。


「佐野さん、ありがとうございます……少し考えます」

「うん、何かあったら声かけてくれ。協力できる範囲でするから」

「……ありがとう」


 そうして電話を切った。ひどく疲れた。おばさん作のでっかいおにぎり食って(めちゃくちゃうまい)、ユマと風呂に入って寝た。

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