第81話 バトラス伯爵家のお茶会②



 ピアちゃんとロバートがお茶会へ参加することになり、それまでの和気あいあいとした雰囲気がピリッと引き締まる。

 みんな紳士淑女らしく微笑みながらも先程よりピンと背筋を伸ばして、グラスを持つ指先にまで気を配っている感じだ。

 特にロバートの一件を覚えている淑女科と経営科の生徒達は、彼を要注意人物と見なしていた。ルイーゼ様にこれ以上彼が関わらないようにと、彼女の周りを固めている。

 ルイーゼ様のことは、このままみんなが守ってくれるだろう。


 わたしはわたしで、別の人物に張り付くことにする。

 そう、ミスティア様である。


「あの小娘……! オークハルト殿下にお会いするためにバトラス伯爵家までやって来るなんて!」

「落ち着いてください、ミスティア様っ」

「これが落ち着いてられるわけがないじゃない! 休暇だからと油断していたわ……わたくしったら怠慢だわっ」


 嘆くミスティア様の肩を撫でながら、わたしは考える。


 なぜピアちゃんがこのお茶会に参加したのだろうか。


 サラヴィア様とゴブリンの後ろ楯があるというのなら、最初からオーク様との面会を申し込んだ方が手っ取り早いはず。それとも後ろ楯というほどの力でもないのだろうか?

 食堂の時もゴブリンは面白半分にピアちゃんの味方をしていたけれど、それくらいの軽い気持ちで、今回ピアちゃんがお茶会に参加できるように手紙を持たせてやったのかしら。

 でもバトラス伯爵家はエル様の派閥に属する家柄だ。そこに帝国の権威だけでは捩じ込めないから、側妃様の威光を借りてまでってのは……なんだかおかしい気がするのだけど。大がかりな権力に対してやることがお茶会乱入とは、妙に小さいというか……。


 うーん、と首を傾げつつピアちゃんの様子を観察する。


 ピアちゃんはお茶会に乱入してからずっとオーク様の周囲に侍っている。さすがに腕にしがみつくような真似はもうしていないが、隙あらばオーク様にしなだれかかろうとして、うろちょろしている。

 そしてそんなピアちゃんを牽制するように、ルナマリア様がオーク様の傍に控えていた。ピアちゃんがちょっとでも近付けばいつも以上に強張った感じの無表情で前に出て、無言の圧力をかけている。


「ああ、可哀想で見ていられないわ、ルナマリア様ったら。たかが男爵令嬢ごときにあんなに怯えて……」

「ええ、そうですね……」


 べつに婚約者候補として切磋琢磨しているわたし達じゃなくても、誰でもルナマリア様の感情豊かな無表情が読み取れるだろう。

 ルナマリア様はピアちゃんに怯えている。オーク様を取らないで、とハリネズミのように一生懸命威嚇している。


 ルナマリア様は今までオーク様を巡る恋敵らしい恋敵と争ったことがないのだ。

 オーク様の婚約者候補であるわたしとヴィオレット様が名ばかり状態で、そのほかオーク様を狙うご令嬢もなんだかんだわたしの絶世の美少女顔に恐れをなして去っていくパターンが多かったので、一途な恋をぬくぬくと温めてきた純粋培養のご令嬢なのである。

 ルナマリア様は必死でピアちゃんを睨み付けているが、そんなことで怯むような人間が、最初から婚約者候補が何人もいるような王子を狙うはずもない。ピアちゃんはヒロイン属性ながら、なかなか肉食系女子だ。


「ここはやっぱりわたくしの出番ね! アボット嬢を叱りつけてくるわ!」

「おやめください、ミスティア様」

「何故よ、ココレット様? ルナマリア様が可哀想じゃない!」

「お気持ちはわかりますが……」


 ルナマリア様も心配だけれど、ミスティア様にもこれ以上、悪役令嬢街道ど真ん中を突き進ませるわけにはいかないのだ。

 すでに学園内でピアちゃんの派閥が拡大している今、ミスティア様がどれだけ真っ当な正義を貫こうと曲解される恐れがあるのだから。


「ここはわたしが行きますわ」


 庭の隅にいたダグラスを呼び、ミスティア様のストッパーとして控えてもらうと。

 わたしはレモネードのグラスを持ったまま、ピアちゃん達のもとへ足を進めた。





「お久しぶりですね、アボット様」


 さて、どうするか。

 肉食系女子とは前世でも今世でもあまり関わったことがないので、宥め方がよくわからない。ミスティア様のように真っ向から貴族のマナーを説いてもダメで、ルナマリア様のように相手に察してもらおうとするのも無駄。オーク様本人からの助太刀は当てにならない。

 ピアちゃんをただの平民上がりの男爵令嬢とあなどれば、数々の乙女ゲームの悪役令嬢のようにこちらが酷い目に遭うかもしれない。

 一番楽なルートはヒロインの友達ポジションを手に入れることだけど……。


「……まぁ、ブロッサム様もこちらのお茶会にいらっしゃっていたんですね! そうですよね、淑女科でしたもんね?」


 赤い髪を揺らし、こちらに振り返ったピアちゃんはエメラルドグリーンの瞳をキラキラと輝かせながら笑顔を浮かべた。

 ……なぜだろう、にこにこ笑っているのに「近寄らないで」って感じのバリアを感じるのよねぇ。


「でも大丈夫なんですかぁ? ブロッサム様?」

「大丈夫とは、なんのことかしら」

「見ましたよ、テストの順位表! 学年二位だなんて本当すごいですっ。淑女科のカリキュラムなんかであんな順位が取れるわけありませんもの。きっと物凄ーく、たくさん、勉強してらっしゃったのですね? 特進科のわたしでさえ寝る暇も惜しんでテスト勉強しましたけど、ブロッサム様には敵いませんでしたもの。きっと常日頃お勉強にお忙しいでしょうに、お茶会になんて顔を出して大丈夫なのかな~って、わたし心配になったんです!」

「……心配には及びませんわ、アボット様。息抜きは誰にでも必要ですもの」

「ああ、そうなんですね。ただの息抜きで良かったですっ。そうですよね、息抜きは必要ですよねぇ。本当はいつも遊び歩いていて、テスト結果も不正でした~なんてこと、まさかオークハルト殿下の婚約者候補に選ばれたブロッサム様がされるはずもありませんし? でもブロッサム様ならちょっとお声掛するだけで教師でも誘惑されてしまいそうですけどね、うふふ!」


 正妃様に見せつけようとテスト頑張ったら、ピアちゃんに不正を疑われたでござる。


 まぁ確かに、別名花嫁教育クラスと言われている淑女科から学年二位が出るのは珍しいかもしれないけれど。わたしも十一歳から妃教育という国最高基準の教育を受けてきたしなぁ。ミスティア様も四位だし、ルナマリア様も二学年ではドワーフィスター様に次いでの順位だと聞いているので、そんなに不思議ではないと思う。

 むしろ妃教育を受けていない+淑女科のルイーゼ様が三位だってことの方が称賛されるべきよね……。


 そんなことを考えるわたしの元へ、ルナマリア様が横から近づいてきた。


「……黙って聞いていれば、ココレット様に対して失礼なことばかりおっしゃって……! よろしいですか、アボット様。ココレット様は殿下の正妃となられる御方です。そんな態度ではアボット男爵家の首を絞めますよ」

「まぁ、可笑しなことをおっしゃるんですね、クライスト様。婚約者決定は十八歳になってからと国の法律で決まっていたと思いますけど? それなのにブロッサム様が正妃に決定しているだなんて、そんなこと……」

「事実上決まっています。お二人は心から愛し合っておいでです」

「人の心は移ろいやすいものですよ。あと四年も想い合っていられるかしら?」

「……例えココレット様の御心が移ろおうと、御子をお産みになれるのはココレット様だけです」

「は? そんなの女であれば誰だって……」


 一生懸命にわたしを庇おうとして下さるルナマリア様に、胸が熱くなる。

 わたしは思わずルナマリア様の手を取り、微笑んだ。


「わたしの愛は決して変わりませんわ、ルナマリア様。移ろうことなどありえません。だからどうか安心なさって」


 エル様を逃すなんてありえない。あんなにイケメンであんなに顔が良くて美しくって格好良くって顔が天才で、おまけに性格までいいエル様を失うような真似を誰がするというのか。エル様と結婚出来なければ絶世の美女として生まれてきた意味もないじゃない。

 本気でそう思う。


「はい、ココレット様」


 ルナマリア様は近づいたわたしの顔に照れながらも、こくりと頷いた。


「ちょっと! 無視しないでくださいっ! わたしが平民上がりだからって馬鹿にしているんですね! ひどいですっ!」

「え」


 突然ピアちゃんが突進してきて、わたしは思わず彼女を避けようと体を動かしーーーバランスを崩した。

 転ぶことはなかったが、片手で持っていたレモネードのグラスが傾き、ピアちゃんへ向かって中身がぶちまけられる。

 レモネードがピアちゃんの着てきたオレンジ色のドレスに掛かるーーーという時、ピアちゃんは一瞬嬉しそうに口角を上げた。

 そして彼女が「きゃあっ」と悲鳴をあげようとした瞬間ーーー。


 バチッ! バチバチバチィッッッ!!!


 白い光の膜のようなものが目の前に現れ、レモネードがその膜に触れた途端蒸発したように消失した。

 結果、ピアちゃんもわたしもレモネードを被ることなく、ドレスも綺麗なままその場に立っていた。


「なっ、なに今の!?」


 ピアちゃんが騒ぐが、もう光の膜はない。辺りに手を伸ばしてもただ空気があるだけで光に触れることはなかった。


 ……今の、なんか見たことがある。いつだっけ、あれは……。


 呆然とするルナマリア様やオーク様などに視線を向けつつ考えていると、不思議そうに首をかしげているミスティア様の姿が目に入る。


 ああ、そうだ。

 ドワーフィスター様の部屋の扉に仕掛けられた、防御魔法にそっくりなんだ。


 九歳の頃、初めて行ったワグナー邸で見た記憶を思い出し、わたしもミスティア様と同様に首を傾げた。

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