第54話 聖女ツェツィーリアと旅人ルッツ



 本日の視察先は、我が国でわりとポピュラーな伝説である聖女ツェツィーリアが、実際に居たと言われている教会だ。

 彼女の伝説の内容は何度もミサで聞いているので、すぐに思い出せる。


 盲目のために教会の前に捨てられた赤ん坊が、ツェツィーリアと名付けられて育てられる話だ。

 彼女は生まれながらに不思議な力と優しい心を持ち、その二つで多くの悩める人々を救っていく。しかし彼女の力には代償があり、それは自らの寿命を縮めることだった。

 そんな彼女の前にある日、孤独な旅人が現れる。彼の傷ついた心を癒すために、ツェツィーリアは最後は修道女見習いをやめて彼に嫁ぐのだ。

 そして彼と共に短くも幸福な結婚生活を送り、最期のときにツェツィーリアは彼のために最後の力を使い、天に召されたという内容だ。その最後の力については後世に伝えられてはいない。


 そのツェツィーリア伝説の教会へ視察に行くとルナマリア様に話したとき、聖女マニアである彼女はとても羨ましそうに眉を垂らしていた。王都から馬車に乗って二週間はかかる場所にあるので、妃教育や学園生活で忙しい身の上ではなかなか来れない場所にあるのだ。

「ココレット様、ぜひともレポートをお願い致します……っ!」と無表情ながら鬼気迫る様子で羊皮紙の束を押し付けてきたので、思わず後ずさりしてしまったことは記憶に新しい。

 妃教育で出されるレポートよりも枚数が多かったので、頑張って視察をして、少しでも文字数を増やさないと。


 わたしは気合いを入れて教会内へと足を進めた。





 視察は滞りなく進んだ。

 もともとこの教会がある領地自体、牧歌的というか穏やかな土地で、教会もそれに合わせたように温かみのある雰囲気の建物だった。こじんまりとしていて、所々に盲目のツェツィーリアが生活しやすいように取り付けられたスロープや手すりが残っている。……こういうところもよく観察して、レポートに記入ないと。


 エル様は相変わらず教会にいわくのある装飾具やロザリオなどがお好みのようで、その辺りについて神父様に詳しく聞いている。


「……では、その旅人がツェツィーリアにロザリオを贈ったと?」

「え、ええ、はい、そうです。ルッツは……、あ、ツェツィーリアの夫になった旅人はルッツという男だったのですが、元はどこぞの貴族だったんでしょう、こんな片田舎では見かけないような装飾品や金なんかもたくさん持っていたと言われております。どこぞの家で食うのに困れば、ルッツがそれらを売って食料を買ってきてくれたそうで。とんでもない不細工な男でしたが、……あ、失礼、その、とにかく心根の真っ直ぐないい奴だったと聞いております」

「旅人ルッツに関する資料などは残っていますか?」

「いえ、なにせ昔の話ですし、資料だなんてそんな、大それたものなんてありませんが……。ああ、でも、彼がツェツィーリアと共に暮らした家や、二人の墓は残っておりますよ」

「そちらへ案内をお願いします」

「わかりました。ただ、家の方は大家の婆さんが鍵を預かっているので、手配に少々時間がかかりますが」

「構いません。待たせていただきます」


 なにやら移動するようだ。

 エル様を横から見上げれば、思案気に眉間に皺寄せている。顎に指を当てる仕草が実に色っぽい。

 エル様に関するレポートなら何百枚も書けそうだなぁ、と思って見つめていると、わたしの熱視線に気付いたエル様がこちらに顔を向けてくる。そして微苦笑を浮かべた。麗しい……ッ!


「急に予定を変更してごめんね、ココ。退屈だったら馬車で待っていてくれてもいいし、先に領主の館でお茶を楽しんでくれていてもいいから」

「いいえ、わたしはエル様のお側に居りますわ。いつでも」

「……ありがとう」


 蒼眼を柔らかく細め、エル様がわたしの頭を撫でる。

 はぁぁぁ~~イケメンからの撫で撫でポンだよ~~!!! 乙女ゲームの世界みたい~~ッ!!

 移動の準備が出来るまで、わたしはエル様を満喫した。





 旅人ルッツが聖女ツェツィーリアと暮らしていたという家に到着した。

 家の周囲は畑が広がり、古びた鶏小屋や家畜を放牧するための木の囲いが残っていた。ルッツは自給自足をしながらこの地に馴染んでいったのだろう。


 家の玄関扉の前には、大家のお婆さんがちょこんと立っていた。馬車から降りるわたしたちへ恭しく頭を下げ、側へ近付くと畏れ多そうに顔を上げる。そしてエル様の顔を見るなりーーー、


「ルッツ! あんた、ルッツじゃないかっ!!?」


 驚きに目を丸くして叫んだ。


 役人が慌ててお婆さんの肩を揺する。


「なにを言ってんだ、大家さん。この御方は我が国の第一王子ラファエル殿下だよ」

「あんたこそなに言ってんだい、こんなにルッツにそっくりじゃないか! 最近の若い者はどうしようもないねぇ!」

「そうだよ、大家さん、二人の顔を覚えているのはもう大家さんのような年寄りだけなんだよ。俺が生まれたのはルッツもツェツィーリアもとうに亡くなったあとなんだ」

「人を年寄り扱いしよってッ!」

「いいかい、大家さん。重要なのはそこじゃない。ルッツはとっくの昔に死んだ男だってことだ。ラファエル殿下はルッツじゃないよ」

「こんなにそっくりなんだから、ルッツに決まっているよ!」


 お婆さんと役人の話し合いは平行線を辿り、説得を諦めた役人がわたしたちに耳打ちする。


「年寄りの戯言ですよ。ボケが始まったんでしょう。さっさと鍵だけ借りて、中を見ましょう」

「……いえ、あのご婦人の話が聞きたいです。ご婦人も同行願えますか?」

「……わかりました」


 物好きだなという顔でエル様を見た役人は、お婆さんから鍵を借りると、玄関扉を開けた。そしてわたしたちの一行と共にお婆さんを促し、家の中へと案内をした。


 長年放っておかれていた家の中は空気が淀んでいる。従者たちの手で次々に窓が開けられ、換気がされた。家具には埃避けの布が掛けられていたが、床にはやはり埃が積もっていた。

 わたしたちは口元や鼻にハンカチを宛がいながら、埃の舞う室内を進んで行く。時折エル様が「平気? 息苦しくないかい?」と気を使ってくださった。わたしはまったく平気だとアピールするために深く頷く。「これしきのこと、なんでもありません」と。今世はそりゃあ侯爵令嬢ですけど、前世では自分で掃除くらいしていたもの。埃やカビ、油汚れとだって戦える。

 そんなわたしのことよりも、ピカピカ清潔な王宮暮らしのエル様がなぜこの環境に動じていないのかが不思議なのだけど……。

 エル様は平気なのかと尋ねても、「……もっと酷い環境も知っているから」と苦笑するだけだ。視察でスラム街にでも行ったことがあるのかしら?


 そんなことを考えているわたしの横で、お婆さんがエル様に「ルッツ」と声をかける。


「ほら、あの壁の傷を覚えているかい? ウィルじいさんが酔っぱらって火掻き棒を振り回した時につけちまったやつだよ。あの人ももう死んじまったけどねぇ」

「……ご婦人、ルッツという男はそれほど私にそっくりでしたか?」

「あんたまでなにを言ってるんだい、ルッツ。自分のことだろう? そこまで不細工な面は、誰だって忘れられないよ」

「ルッツの瞳、もしかしたら黒だったのではありませんか?」

「黒……? さぁねぇ、あんたに会うのは久しぶりだからもう忘れちまったよ。青でも黒でもいいじゃないかい」


 二人の会話に、ふと脳裏に過る記憶がある。

 エル様にそっくりで、黒い瞳の……、旅人……。そうだ、確かあの御方が王都を去った後のことは記録になにも残されていない……。


「……エル様、あの、旅人ルッツの正体はもしかして……?」


 わたしはその予想に胸を高鳴らせながら、エル様を見上げる。

 エル様はわたしの考えを読んだように頷き、「たぶん」と答えた。


「なにか証拠が見つかればいいのだけどね」


 そう言ってエル様は室内に視線を走らせる。

 わたしもつられるように辺りを見回した。宝探しゲームのようにわくわくする気持ちで、一杯になりながら。

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