第13話 器物損壊事件



 ボート遊びが終わって桟橋へ戻ると、別荘のテラスではお茶の準備が整い、お弁当が広げられていた。

 エビやローストビーフなどがっつりした具材が挟まったバゲットから、ハムや玉子や野菜を挟んだ定番のサンドイッチ、季節の果物と甘すぎない生クリームで作られたフルーツサンド、サラダに揚げ物に焼き菓子にと盛りだくさんだ。

 わたしとレイモンドは椅子に座るとさっそく食事を始めた。


 テラスには周囲の木々からこぼれる木漏れ日がチカチカと降り注ぎ、目の前には美しい湖が広がっていて最高のロケーションだ。我が家のシェフの料理はなんでも美味しいけれど、こういう場所で食べると贅沢感が増してさらに美味しく感じる。

 わたしもいつもより食が進み、レイモンドもお面を傾けながら器用に食事を楽しんだ。


 昼食が終わると、レイモンドが楽しみにしていた釣りの時間である。


 護衛兼釣りの指導係りである使用人を一人連れて、森の中の小道を湖沿いに歩く。ボートに乗っているあいだに見つけた釣り場へ、わたしたちは移動した。

 釣り場に着くと、レイモンドは使用人の指導のもとさっそく釣りを始めた。

 わたしはその様子が見える範囲内で、周辺を散策する。

 足元にはさまざまな山野草が咲いていて、せっかくだから押し花でも作ろうかと考える。

 植物図鑑でも持ってくれば良かったなぁ、と思いつつ可憐な花々を吟味していると。


 突然背後から、


 ガシャンッ!!!!


 と何かが割れたような音が聞こえた。


 慌てて振り向けばそこには、キツネのお面が割れて素顔をさらしているレイモンドと、茂みへと走り出す使用人の姿が見えた。

 すぐに「お坊っちゃまになにをするっ!?」「うるせぇ! 来るんじゃねぇ!」と茂みの奥で争う声が聞こえてくる。


 わたしはレイモンドのもとへ駆けつけた。

 彼は呆然とした様子で浅瀬に座り込み、真ん中からまっぷたつに割れたお面を見下ろしている。

 わたしはレイモンドが体を冷やさないよう、すぐさま水の中から立たせると、彼の両肩に手を置いた。


「大丈夫? 怪我はない? いったい何があったの?」

「お、面が……。母さんがくれたお面が、」


 どうやら体に怪我はないみたいだ。けれどだいぶん心にショックを受けたようで、見開かれた翡翠色の瞳からみるみるうちに涙が溢れ出した。

 レイモンドは割れたお面を抱えあげ、ボロボロと泣く。


「っ、母さん……ッ、かあさんが、くれたのに」


 わたしはレイモンドを抱き寄せた。

 レイモンドはお面を両腕で抱き締めたまま、わたしの胸に顔を埋める。額をぐりぐりと押し付けて、「かあさん、かあさん」と嗚咽混じりに泣いた。

 彼の涙はとても熱くて、わたしのドレスを濡らす。

 下手な慰めも言えず、わたしはレイモンドの頭や背中を撫で続けた。





 しばらくして、使用人が一人の男を捕縛してきた。

 その男はこの貴族の集まる別荘地にはふさわしくない薄汚れた格好をしていた。

 どこかで見たような……と考えたとたん、思い出す。

 ボートに乗っている最中に、森で見た男だ。どこかの別荘の下働きかと思って、あまり気にも止めなかった。


「この男が茂みから石を投げ、お坊っちゃまの仮面を割ったようです」


 使用人が説明してくれたことで、ようやく事件の内容を知ることができた。


「いったい何故そのようなことをしたのですか?」


 わたしが男に問いかければ、男はわたしの顔を見てハッと息を飲んだ。みるみるうちに頬を赤く染めるので、わたしはなんだかすごく嫌な気分になる。

 わたしはわたしの見た目を愛しているが、義弟に石を投げつけるような男にまで見惚れられたくない。男を厳しく睨み付ける。

 けれど男はまるで女神を前にしたかのように恍惚とした様子で、話し出した。


「俺は……人に頼まれまして……」

「詳しく話してください」

「何日か前に酒場で飲んでいたら、どこぞのお貴族様に、そこのガキのおかしなお面を割ってこいと頼まれましたんでさぁ。ちょいとした復讐だと言われて金を積まれましてね。侯爵家からつけてきたんでさぁ」

「その貴族と言うのは誰です?」

「名前は聞いてません、が、金は前金で半分、残りは成功報酬としてまた同じ酒場で受け渡されることになっとります……」

「そうですか」


 わたしは使用人にさまざまな指示を出し、男を連れて別荘に戻ることにした。レイモンドを早く着替えさせてやらなければならない。


 別荘に着くと、レイモンドをバスルームへ連れていく。男性使用人に頼んで彼の入浴と着替えの手伝いをさせた。

 その間にアマレットたちに帰宅の準備を急がせる。


 わたしは割れたキツネのお面を見つめながら、溜め息を吐く。

 せっかくレイモンドと楽しいひとときを過ごすつもりだったのに、これでは台無しよ。


 実行犯のさきほどの話から、酒場に行けば成功報酬を持ってくると言う貴族を捕まえることはそんなに難しいことではないだろう。

 父に言えばすぐに動いてくださるはずだ。これは侯爵家の跡継ぎを狙った悪質な事件なのだから。


 けれど壊れてしまったお面はどうすることもできない。

 なぜ犯人はあえてこのお面を壊すことを狙ったのだろう? これはレイモンドの母の思い出がたくさん詰まった、彼の宝物だったのに。

 それを知った上で狙ったのだろうか? レイモンドに復讐するために?


 考えても答えは出ない。

 わたしは意気消沈したレイモンドを連れて、ブロッサム侯爵家へと帰宅した。

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