第十三章 両端に惑う(1)

 

 

 総督府の参謀が来松したことは、家中や城下にも更なる動揺と憤慨、そして慨嘆を呼び起こした。

 ただでも諸藩の使者や藩境に向かう小隊が引きも切らずに行き来するのである。

 二本松藩からも藩境の守備に兵を出し、各所で仙台と会津が対峙しての合戦が行われる。無論、水面下で接触する両者に本気で事を構える気はなく、厭戦の色が濃い。

 この空気を嗅ぎ取り、総督府参謀らは督戦して回っているようでもあった。

 町方の者や近郷の民は愈々身近に迫った戦に不安を漏らし、家中の大多数が総督府の強硬な姿勢に反感を強めていた。

「長州の世良とか言ったか、どうも奴が執拗に会津を攻撃するよう督戦しているようだぞ」

「そんなことでは、会津が謝罪降伏をしたところで受け容れるとは思えんな」

「丹波様が伊達の家中と談判したらしい。表向き従って兵を出したようだが、上手くいくのか」

「会津の降伏が容れられればそれで良し、容れられなくばその時は──」

「何故我らが会津と戦わねばならんのだ。筋が違うだろう」

「そうだ、既に幕府は恭順している。この上さらに会津や庄内を徒に屠らんとするような輩をのさばらせて良いものか」

 どこで誰に会っても、皆がただならぬ気配を漂わせていた。

 それは木村家の道場でもやはり同じで、木村親子の門人が集まり、近日の異変を語る。

 来松した中でも世良という男は一際声高に会津を攻めるよう厳命し、その強硬な姿勢はこの二本松で藩老や世子を相手にしても同様であった。

 

 瑠璃は予定外にこっそりと木村家を訪れ、その門を潜ろうというところで足を止めた。

 道場の中から侃々諤々言い合う声が漏れ聞こえている。

 総督府の来松によって警戒の高まる中、瑠璃もまた城に留まらざるを得ず、銃太郎へ数日間の暇を伝える遣いを出していたのである。

 世良らが足音荒く城を去った後も、城中は騒然としていた。

 宿老の丹波は頭を抱えながらも仙台・米沢などの諸藩士を訪ねて奔走していたし、動揺と緊張に支配された城中から逃れて来たものの、城の外も似たような状況だ。

 仔細が把握出来ていない分、藩庁の外のほうが一層論調が激しいようでもあった。

「瑠璃姫、こっちこっち!」

 道場へ入ろうか迷う瑠璃の背に、不意に呼び声が掛かった。

 中にいる者に気付かれぬように配慮しているのか、至極抑えた声の主を探して振り返ると、冠木門の外からこちらを窺う篤次郎と才次郎。その後ろには、山岡栄治の姿もあった。

 貫治の門下である栄治が道場の中におらず、子供たちと一緒に現れたのには不思議な思いがしたが、その栄治もまた瑠璃を手招いているのを見て、三人のほうへ足を向けることにした。

「珍しい組み合わせじゃの?」

「瑠璃姫、俺、聞きたいことがあるんだけど」

 歩み寄ると同時に才次郎が身を乗り出す。

 普段率先して口を開くほうでもない彼が、態々声を上げるには余程熟考を重ねたものだろう。

 一体何かと先を促すと、才次郎は瑠璃よりもやや低い目線を上向けて真っ直ぐに瑠璃を見た。

「降嫁するって話、あったよな?」

 以前に束の間浮上しただけの話を、才次郎は至って真剣な面持ちで訊ねたのである。勿論、話自体は出たには出たが、どうなるとも言えない問題であり、瑠璃は有耶無耶にはぐらかす。

「もう相手は決まってるのか?」

「えっ!? き、決まってはおらぬな……。うん」

 才次郎の足は一つ問うごとに瑠璃のほうへ踏み出してきており、それに合わせて何となく後退る。

「じゃあ、俺が名乗り上げてもいい?」

「ふぉ!? お、才次郎、何じゃ唐突に?! 名乗りを上げるも何も、降嫁自体現実になるとは──」

「もしも姫様が困っていたら、お助けするようにって父上も言ってたから。城で困ってるから、抜け出して来てるんじゃないのか?」

 だったらいっそのこと、うちに嫁に来い。と、才次郎は至って真面目に言い放つ。

 親切心からの発言のようだが、事はそんなに容易なものではない。

「そ、そうか……ありがとう、才次郎。けど心配は要らぬ。突然そんなことを申せばそなたの父御も腰を抜かすぞ……」

「今朝父上にも話したよ。味噌汁噴いて身の程を弁えろって怒ってたけど、でも──」

(味噌汁……、遅かったか)

「さっきも、すごく辛そうな顔してたから」

「才次郎……」

 今も道場からは時折大きな声が聞こえてくる。

 息巻く若い家中の言い合うさまに、気後れを感じたことは否めない。道場にいるであろう銃太郎を訪ねて行くのに躊躇したことも事実である。

 今もまさに道場内で交わされる議論にも、藩是として示されたものにも同意するところは大いにある。だが同時に、恭順を説く者の言にも理解が及ばぬわけでもない。

 心中秘かに両端を持するようで、胸に痞えた両極の感情に苛まれてもいた。

 そうした瑠璃の機微を察してくれたのだろう。


 

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