第120話

 手を繋いだまま、宗くんが玄関を開けた瞬間、不快なむわりとした空気が一気に入ってきた。



 それでも手を引かれるまま外に出たのは………宗くんとふたりになりたかったから。



 玄関を閉めて、僕たちはそのまま無言で歩いた。






 僕たちが住むマンションは、駅までの抜け道沿いにあって、すぐ脇に小さな川が流れている。そしてその川に、堤防からおりて行けた。



「あっちの方が多分涼しい」



 宗くんはぼそっとそう言って、僕の手を離さないまま堤防の階段をおりた。



 舗装された川沿いの道。遊歩道。

 朝夕は犬の散歩やジョギングをしている人がよくいる。でも今は………ほとんどいない。



 水が流れる音。

 吹く風。



 確かに堤防上よりも、水辺が近い分涼しいような気がした。




 遊歩道になっているだけあって、少し歩いたところにベンチがあった。どちらからともなく、僕たちはそこに座った。



「大丈夫か?」

「………うん」



 夜なのにやまない蝉の鳴き声。

 草むらからは何の虫か分からないジーという鳴き声。

 そこに静かな宗くんの声。



「………」

「………」



 改めてこうしてふたりきりになると、どきどきし過ぎて、意識し過ぎて、どうしていいのか、何を話したらいいのか分からない。



 あおちゃんのことを、という理由で出てきているのに、それをすぐにすぐ話すのも躊躇われた。



 宗くんも多分、緊張しているんだと思う。緊張か………もしかしたら同じようにどきどきしている。だから黙っているんだと思う。



 僕は、繋いでいない方の手でネックレスを握った。



 たろちゃんネックレスだけのときも時々握っていたけれど、宗くんにもらった指輪をここに通してから、余計に握るようになった気がする。もう、癖のようになっている。

 指輪を握って、ここに宗くんの気持ちがあると思うと安心できる気がして。



 僕は、すぐ横に座る宗くんの肩にそっと頭を乗せた。



「………しんどいか?」

「………ううん。違うよ」



 あおちゃんも、いつか出会うよ。



 宗くんが宗くんに凭れる僕の頭にほっぺたを寄せる。



 知らないのに知っている、覚えていないのに懐かしい、宗くんのにおい。

 それにどきどきする。なのに安心。



 この説明不可能な不思議な感覚。



 あおちゃんも、こんな風に感じる相手にいつか。



 死ぬまで、も、死ぬほど、も、そうだよって普通に思う相手。

 まだ16。なのに指輪も、だから何?それが何?って思う相手。



「明」



 宗くんの、繋いでいない方の手が伸びて来て、僕のほっぺたに触れた。



 心臓が、期待値で痛いぐらいどきどきしている。



 期待値、だよ。



 僕は小さい頃から虚弱軟弱で、小学校高学年になる頃には、恋愛も結婚も普通の人生も縁がないだろうと思っていた。

 そうなんだから仕方ないと思うのに、そう思いながら、何で僕はこんななのって、そう思いきれずにいた。

 その思いは今だって決して消えていないし、これからだって抱え続けて行くものだと思う。でも。



 ここ。



 まったく覚えていない、思い出せない小さい頃の宗くん。当時の僕の、宗くんへの気持ち。



 なのに思う。ここ。ほら、ここ。ここなんだって。



 こんな僕でも宗くんは、いいって言ってくれるんだよ。冴ちゃんや実くん、家族以外の、誰よりも先に僕を見つけてくれて、誰よりも先に、一番に言ってくれたんだよ。僕がいいって。



 凭れていた頭を起こして、僕はすぐ目の前の宗くんを見た。

 頭を起こした僕をじっと見ている、宗くんの目を。



 宗くんは、僕が見るとすぐに目をそらした。



「………久々過ぎて見れねぇ」



 ぼそっと言って、ちらっと戻る視線。



「………菊池と、どうした?」

「………宗くんにもらった指輪を見られて」

「………ああ」

「宗くんからってバレて、そしたら………」

「色々言われた?」

「………うん」



 僕のほっぺたに触れたままの、宗くんの手。

 僕はその手にほっぺたを預けて、照れて僕を見ない宗くんから視線を外した。



 僕が見なければ、宗くんは見てくれると思って。

 好き以上。大好き以上の気持ちがこもった目で。



 宗くんのその視線を感じたくて、僕はそうした。



「明」



 静かな声が僕を呼んで、僕の唇に宗くんの唇が、声と同じぐらい静かに………乗った。

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