第99話

 飛んだのは一瞬。



「明‼︎」



 焦る宗くんの声。

 そして、支えようと伸ばしてくれた手が僕を抱きかかえようとしてくれた。

 けれど、力が入っていない僕を支えきれず、宗くんは僕と一緒にずるずると床にへたり込んだ。



「………ごめん」

「保健室行く。おぶされ」

「………重いからいいよ。じっとしてれば治る」

「いいから」



 宗くんの声の他にも、たくさんの人の声が聞こえる。

 どうしたの?とか、大丈夫?とか。



 寝不足と暑さとここで立っていたことによるただの貧血。

 騒ぐほどのことじゃないし、本当にじっとしていれば治る。



 なのに宗くんは、誰かに宗くんと僕の鞄を任せて、おぶされって僕をおんぶした。



「明、ちゃんとつかまれ」

「………ごめんね、宗くん」



 謝りつつも、僕は宗くんの体温とにおいに、やっぱりここだって、目を閉じた。



「無理すんな、ばか」



 背中に響く宗くんの、果てしなく優しい声に僕は安心して、宗くんの肩から首に腕を絡めた。






 いくら僕がひょろひょろだからって、おんぶをして運ぶには重いと思う。

 それでも宗くんは何も言わず、保健室まで僕をおんぶのまま運んでくれた。



 保健室は開いていたのに先生は留守で、僕は空いているベッドまでそのまま運ばれて、座らされて、上履きを脱がされた。そして寝ろって。



 おとなしく寝転がると、宗くんはさっと僕から枕を取って、折り畳んだ薄い掛け布団の上に僕の足を乗せた。



 それはあまりにも正しい、貧血の対処法だった。



「………外すぞ」

「………え」



 目の前で倒れた人間を前にここまで冷静にできるってすごいな。



 そう思っていたら、宗くんはぼそっと言って。



 ………言って‼︎



 分かっている。これが貧血時の正しい対処法だって。でも。



 ………でも‼︎



 宗くんの手が僕に伸びて、何をするのかと思うヒマもなく、僕のカッターシャツのボタンを外した。



 その瞬間、身体まで跳ね上がるんじゃないかっていうぐらい、僕の心臓はどきんって跳ねた。



 ボタンは、元々一番上は外してあったから、二番目のボタンだけが宗くんに外された。



 ………僕は、どうしてこんなことでこんなにもどきどきしているんだろう。顔が熱い。身体も熱い。



 熱が抜けるみたいに冷えたはずの手先足先まで、一気に熱くなったような気がした。



 恥ずかしくて顔をそらした僕を、じっと見下ろしているような宗くん。



「メガネ、外した方がいい」

「あ………うん」



 言われて外して、そのメガネが宗くんに持って行かれた。ここ置いとくって、頭の横。



「先生呼んでくる」

「待って‼︎」



 咄嗟。反射的。



 メガネを置いて、僕のすぐ横をすり抜けようとしていた宗くんの手を、僕は本当に咄嗟に、反射的につかんだ。



 呼び止めて、どうするかも考えていないのに。



「………離せ。先生呼んで来る」

「待って」

「熱中症かもしれないだろ」

「ただの貧血だよ」

「離せって」

「待ってよ、宗くん‼︎」

「離せ‼︎」



 あまりにも聞いてくれなくて一方的で、思わず大きくなった僕の声に、宗くんの声も大きくなった。

 それにびっくりしてビクってなって、つかんでいた宗くんの手が離れた。



「………悪い」



 小さく謝って、バリバリと頭を掻いて、宗くんが行こうとした。出て行こうとした。



 その背中に、何故だか涙が出そうだった。

 待ってって。行かないでって。



 イヤだよ。お別れはもうイヤ。悲しいのはもうイヤ。



「………僕のこと、嫌いになった?イヤになった?」

「………っ」

「一緒に住まないってそういうこと?」

「………」

「………イヤだ」



 イヤだよ、宗くん。僕を嫌わないで。嫌いにならないで。

 悪いのは宗くんを忘れてしまった僕だけれど。



 僕の胸の奥が、ぎゅうって、痛かった。

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