第38話
マリア博士はカライト博士が残した手帳を読み解き、書かれていた内容を俺にも理解できるように話し始めた。
「手帳によればカライト博士を第三地下の研究所に幽閉したのは、グレーボックスを用いた死者蘇生の研究をさせるのが目的だったみたい」
「……それで?」
マリア博士は、俺の反応がいまいちだったので不満げに口角をへの字に曲げる。満を持して真相を語ったのに俺が驚きのひとつも見せなかったので、気を悪くしたらしい。
「ボックスとの融合が不老不死に繋がるという話は過去のデータから理解しています。ですが死者蘇生とはどのような理屈なのでしょうか?」
俺の代わりにマリア博士のご機嫌を
「疑問はもっともね。そもそも人の遺体にボックスを用いた実験は公的な記録がないの。融合実験のほとんどはカライト博士と同時期に行われた研究だけで、論文として完成していない内容も多いのよ。だからボックスが死者蘇生の可能性を示している論文は、実質存在しないわけ」
「納得しました。それで私のデータベースには存在しないのですね。ならば論文として完成しなかった走り書きやデータの断片には、死者蘇生の研究について書かれているのでしょうか?」
「その通り! 流石は私の助手ね。頭脳明晰だわ」
サトーの人格や知能指数はマリア博士によってカスタマイズされている。つまりマリア博士に最適化された自律型のAIであるため、本人にとってサトーが親しみやすいのは当然の帰結といえる。
そのせいか俺の視点からだと、難しい話題を一寸の狂いもなく正確に問答している様はひとり相撲をしているようにも見えて、ひどく
「ボックスが生物の脳だけではなく情報集積装置や記憶装置と融合して機能する点に気づいた時点で、生物の生死は絶対条件ではないと推測されていたわ。仮説に基づく実験の結果、おそらく証明できたようね」
「おそらくということは、条件付きで達成したということでしょうか?」
「その通り!」
マリア博士は人付き合いが悪く研究所に引きこもってばかりいるせいか、コミュニケーションの取り方はへたくそだ。
それに初対面の人に対する好感度は0か100しかなく、距離感の取り方がうまくない。大抵の場合は、踏み込みすぎか離れすぎで相手に敬遠されがちになり、以降二度と会わないケースも少なくない。
スウェルとの最初の挨拶においてマリア博士は、フルマックスの親しみを示し、それは受け入れられた。長年の付き合いがある自分としては、マリア博士の交友関係が少しでも広がったのは良い傾向だし、ありがたく思う。
だから俺としては、その件について少なからずスウェルへ感謝の念を感じている部分だった。
「死んだ実験動物の脳を使ったボックスの融合実験は、成功例がほんの僅かだったの。復活しても挙動は安定しないし、すぐ動かなくなる場合も多かった。もっと検証すべき実験結果だったけど、カライト博士は早い段階で生体実験に切り替えたそうよ」
「生体実験の方が安定した結果が得られたからですね」
「その通り!」
重要な検証課題がなければより有望な実験を優先するのは、合理的な判断だ。科学においては偶然や結果を正確に解釈する能力も大事とはいえ、答えを導く慧眼も必要だった。
しかしカライト博士に足りなかったのは周りの評価と時間、そして時世を先読みする力だったのかもしれない。その後、ボックス融合実験への風当たりが悪くなり世間に疎まれると分かっていれば、もっと慎重なやり方を選べたはずだ。
「倫理の側面でいえば、実験動物の生死は無視できないけど最重要課題じゃない。身もふたもない言い方だけどね。大事なのはどのようにして死ぬのか、苦しんで死なせるような実験は研究者であっても忌避されているわ」
その点でいえば息のある生物とボックスの融合実験は、致命的に相性が悪い。脳とボックスを融合させた場合、今までの実験結果ではすべての生物が異常行動を示している。シンプルに言えば狂ったのだ。
実験動物へのボックス融合実験では、処置した対象が示した仲間への攻撃性や残虐性に留まらず、自傷行為や自殺とも見られる行動が確認されている。その一方で肉体のほうが完全に死ぬか、脳と融合したボックスが変形などで損傷しない限り生存できるわけだ。
まさにその様はこの世の地獄を自らの身体に刻むような光景だと、密かに試したマリア博士もそう言っていた。
「ボックスの融合実験が不老不死だけではなく死者蘇生もできるのは分かった。けどよ、単に面白そうだからあの第三地下で研究が行われたわけじゃないだろ? その辺は?」
「カライト博士も死者蘇生の研究結果を何に利用するかは把握してなかったみたいね。軍の高官らしき人物に研究の進展を報告してたみたいだけど、追加の指示もなかったみたい。それに研究は中々うまくいかなかったそうよ」
「あのカライト博士でも神のごとき、とはいかなかったのか。死者が起き上がるなんて、それこそゾンビ映画――」
俺は自分で言葉にして気づく、第三地下で遭遇した丸刈りの男と人の異形が研究の結果生み出されたモンスターだとしたら、死者蘇生の実験は部分的に成功したといえるのではないだろうか。
「第三地下では生きた囚人を実験の材料にしなかった。死んだ囚人を使っていたのよ。私も今思い出したけど、研究所が襲撃されて直上の地上施設へ行ったら、そこは火葬場だったわ」
火葬場は遺体の終着地点だ。もしも死体を集めていたのなら、これ以上にふさわしい場所はない。
振り返ってみれば、第三地下の最奥には広い死体安置所もあった。あれは偶然そこにあったわけではないらしい。
それにわざわざ収監施設の地下にカライト博士を招いて研究したわけもこれなら予想がつく。火葬された遺体はほとんどの場合遺族に返却されるわけだが、異なるパターンがある。それは亡くなった受刑者を遺族側が拒否する場合だ。
軽犯罪の受刑者にはあまりないが、遺族が重罪を背負った身内を忌避するのは珍しい話ではない。生きている間でさえ知り合いは一方的に連絡を断ち、誰も面会に来ない受刑者もいる。
それが死体ともなれば、心理的ハードルはより低いだろう。刑務所側も遺族側が拒否すれば火葬した遺骨の受け取りを強制せず、近くの受刑者向け集団墓地に埋葬するのだそうだ。
死体の行き先が最も気にならないやり方は、この方法が一番違和感が少ないだろう。火葬場を設けたのも他の刑務所から死体を集める名目としては申し分ないからと予測される。
「あの辺は10年前だと近くに何もなかったし、
「ならカライト博士の研究はどこまで進んだんだ? 死者蘇生そのものは成功したとして、とても奴らは正気に見えなかったぞ」
「手帳には死者蘇生を安定させる手法が確立したと書かれていたわ。どうやら死後の経過時間が短い、新鮮な死体ほど良かったそうよ。ただ意思疎通を可能にするのは、そのままの肉体では無理だったようね」
マリア博士が言及する初期の死者蘇生は、俺たちが遭遇した丸刈りの男たちを指すらしい。群れを成すほど数がいたのを考えれば、かなり試行回数を繰り返したようだ。
「その丸刈りの男たちも復活したけれど、肉体の腐敗や損傷に弱かったみたい。個体ごとの力は弱かったから、保存液を満たした強化樹脂の容器の中へ寿司詰めにしたそうよ。何せ条件付きとはいえ相手は不老不死、身体が崩壊しない限り不眠不休で動き続けて処分にも困る。
火葬すれば融合脳だけになるけど、中身がばれるリスクを考えれば処分するために地上へ運んで目立つのは避けたかったようね」
その結果、発電機の再起動のはずみで丸刈りの男たちを拘束していた容器が解放されてしまった。不老不死とはいえ、10年近くも保管されてよく動けたものである。
「研究のフェーズは次に精神の安定化を目指したそうよ。投薬やカウンセリング、既存のボックスでも行われるプログラミング制御も試したようね。ついには眠らされた受刑者を死体と一緒に運ばせて、死後すぐに蘇生させる実験もしたみたい」
「おいおい、物騒だな。それで成功したのか?」
「どれも結果は
「全部うまくいかなかったのか。それもそうか。成功してたら10年の間で公表されていてもおかしくないしな」
「そうね。だけどこれで終わりじゃない。カライト博士は悩んだ末に過去の事例を習うことにしたの。それは肉体の改造よ。君も見たそうだし、
俺はマリア博士に指摘され、第三地下から抜け出す前に遭遇した強力な個体を思い出した。
人の異形、と俺が形容した奴らは思い違いではなく、人間の機械化に反発した人体進化論の研究に関係があったようだ。
「カライト博士は遺伝子改良ではなく、直接他の人間の肉体を繋ぎ合わせて肉体を強化する方法を選んだようね。手記によれば運動性能が向上しただけではなく知性も示し、理性的な時もあったそうよ。
ただその分、狂暴化した時の抑制がうまくいかなった。それにまだ意思疎通もできなくて、誰を蘇生したかも分からなかったそうよ」
「ん? 誰を、ってどういうことだ? 囚人の情報くらい記録してただろ」
「肉体を繋ぎ合わせた、って言ったでしょ。腕や足が増えただけなら問題はないけど、融合の仕組みを考えれば脳の体積を増やしたくなるのも分かるわ」
「脳みそ同士もくっつけたのか!?」
「他にも脳そのものを物理的に成形したり、半導体を組み込む改造も行ったみたい。もうやりたい放題ね」
死体とはいえ、人の脳を組み合わせるなんてものは倫理的には最上級のレッドカードだ。第三地下という秘密研究所だからこそできるような非人道的な実験手法に、俺は
確かに生死関係なく脳を単なる情報媒体として捉えれば、体積を増やせば蓄積できる情報も増えるはずだ。配線も含めて機能するかはともかく、半導体を使ったのも演算量や保存情報量の確保だろう。
そして脳の機能そのものはシワの造りひとつでも大きく変わる。だからこそ直接加工するやり方も、方法論として理解できる点もある。
ただしそれを実行すれば話は別だ。それは誰もしようとさえ思わない禁忌の手段だ。
友人の子を理不尽に酷使するマリア博士でさえ、脳を傷つける実験については苦笑いくらいしか反応のしようもなかったようだ。
「生体と半導体をボックスと融合させる……。特異アンドロイドの事例と似てるな」
「特異アンドロイドといえば、この間の工場の件覚えてる?」
俺の独り言で思い出したかのように、マリア博士が別の話題で俺に尋ねる。
「通報で向かった工場にでかいドローンが隠されていた奴だろ? アンドロイド以外で暴れているのは俺も初めて見たが、やっぱり珍しいのか?」
今まで特異アンドロイド、と呼称されていたので無意識に人型ドローン以外のロボットは排除していた。なのであれには、かなり意表を突かれた。
考えてみればボックスを用いるのはアンドロイドに限らない。おかしな挙動をするのが内部のボックスや翻訳系CPUの悪さであるなら、名称で絞るのは不合理だ。
「確かにアンドロイド以外の事例は存在したわ。でもそれが『特異アンドロイド』のカテゴリーを外れないのは、早い段階で判明してた。今回もそうだったわ」
矛盾した言い回しをしながら、マリア博士はモニターに別のウィンドウを開いた。そこにはメールの内容が表示されており、宛先は警察からだった。
「例の工場のドローンは私も委託の関係で解析に参加してたの。この情報は秘密保持違反だから勝手に他言しないでね」
警察に協力してる割には、破れたザル並みに風通しの良い道徳観を見せられ、俺は困惑する。
「先の事件の大型ドローンは、ボックスそのものの反応は消失していたわ。でも周りの翻訳系CPUは生きてたの。そのアルゴリズムを読み解いた結果、それは単なるドローン制御のプログラムじゃなくてアンドロイドの制御形式から変換する別の翻訳プログラムだったの」
「えーっと……、つまりボックスの暗号形式の翻訳以外に、機体の制御形式を変える翻訳が行われていたってことか? 何のためだ?」
「あら? カネツネにしてはいい理解力ね。これが指し示すのは何らかの理由でアンドロイドに最適化したボックスの制御のまま、ドローンの身体に載せ替える必要があった。推測するに、元は特異アンドロイドだったものを誰かが大型ドローンに装備させたのよ」
マリア博士が言うには、機体制御を変換するプログラムはとてもお粗末だったらしい。他の無傷で回収された特異アンドロイドのボックスと比べても、製造方法が完全に解明できないほど高度なもので技術力の差は歴然だったようだ。
どうやら特異アンドロイドから取り出したボックスをドローンに転用したものの、構造の違いにより齟齬が生じてシステムが修繕されたようだ。
それゆえに特異アンドロイドの作成者と改修した人物は別人と推測されている。
それもそのはず、わざわざ翻訳プログラムを一新せず、アンドロイド用の翻訳を施した後にドローン用へ転用しているのだ。システム全体を把握していたなら、こんなツギハギの改造は加えない。
「なんでそんな遠回りなやり方を?」
「実行犯は捕まっていないから憶測にすぎないけど、流通元と利用元が別々なんでしょ。どうしてそんな粗悪品を闇市場に流しているかは、私にも知りようがないけど」
マリア博士はお手上げとばかりに両手を掲げた。
「さてと、話をそらして悪かったわね。カライト博士の研究の話に戻りたいところだけど、この先の記述は無いわ。残りは知られたくなかったのか、破かれてるの」
マリア博士の言う通り、手帳は途中からごっそり千切られた跡がある。ただ最後のページには短い文があった。
それは先ほどの、カライト博士がメルへ伝えたかったメッセージだった。俺の目には複数のイトミミズがのたうち回っているようにも見えるが、マリア博士にはその伝言が読み取れたらしい。
「何度かカライト博士の直筆論文に目を通したことがあるの。この時代には珍しく、紙の人だったからね。メモ書きも含めて彼女の手癖の文字を読んだけど、筆跡がとても似ているわ」
文字の癖というより、これなら一周回って暗号のようなものだ。もしも俺がその場で手帳の中身を確認していたら、すぐ捨てていたかもしれない。時間に追われていたのが不幸中の幸いだった。
「メルって、弓塚メルのことよね?」
「ああ、おそらく。メルが当時、ボックス翻訳のスペシャリストだったことも考えればその方が自然だ。疑問があるとすれば接触方法だが……、俺にも心当たりがない」
親友とはいえ、俺も四六時中メルと生活を共にしていたわけではない。自殺する直前まで一緒にいたわけでもないし、自殺の理由も知らなかった。それなら誰かと密会していたとしても、知らないのは不思議でもない。
「どんな人にも言えない過去の1つや2つあるものよ」
マリア博士は経験豊富な年長者きどりで、人生の先輩風を吹かす。
「小学生高学年の子どもの話だぞ。40代のおばさんとはわけが違う」
「おばっ――!」
マリア博士は顔を引きつらせながら何とか抗議の言葉を言い返そうと餌を求める池の鯉のように口を動かした。
しかし、しばらくして良い回答が思いつかなかったのか、マリア博士は諦めたように別の反撃へ切り替えた。
「ところでこれは社長のノーヘッドと話し合って決めたことだけど」
マリア博士は嫌味っぽい笑顔で俺に告げた。
「ほとぼり冷めるまでカネツネは謹慎だって」
「んなっ!?」
今まである程度自由に動けていたため、悪態をやり返すような突然の辞令に俺はただただ意表を突かれたのだった。
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